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人生スタイル自体の驚天動地ではある,道なき道の中庸に。

右耳当たりのリンパの凝りのほぐれて,それは性格の変化とゆう,
いたって人文的な側面をもってほどかれていった,凝りだったのが
すこし熱も出てきて,喉の腫れて一日ほど。何だか,その始まりは
奈良の唐招提寺に参じて,お香など購って帰る際に,その御影とゆう
年間みられる方の鑑真和上を拝んでよりの何だかチャネルになったようで
三回もその開山堂とゆうところで廻ってはめぐり,まわっては巡るうちに
不可思議にも目茶目茶な笑みのこぼれてくるとゆう不思議を体験して。
本当に楽しく返られた旅程のあれやこれや。すこしずつ喉の腫れてくる
のを感じながらも,一日やすめば治りそうな,ホントに滋養の摂られた
遅めのJourneyだった気のする奈良詣で。立派に,鑑真大和上和讃などを
持ち帰っては違い棚などに飾って,お香を焚く心地は,最澄上人=芥川氏,
=東照宮家康公=藤原道長=孝謙天皇など。チャネルになって,まずは,
私の映し鏡を,と不可思議なる質問をした僕にとっての鑑真和上よりの
答えは,お寺の孝謙天皇による揮毫とゆうのか,その題字による宝蔵館の
唐・招・提・寺の四字による返信の展示のようだった。女系の天皇の御代に
こんなまだ歴史的遺影の数々とゆうのか,展示に限らず本当に遺産としての
建築や芳香の残っていることにノスタルジックに感動してしまったのだった。
人生スタイル自体の驚天動地ではある,道なき道の中庸に。抹香の匂いらしき
例えばコパイバのど飴など,インディオに伝わる「聖木樹液」のキャンディーを
頂いて舐める心地。鑑真香の薫りに親く,喉の痛みもこういった庇護のもとに
訪れてくださるのならば,一命を取り止めたような何だか,むしろの有り難い。

主客同一とはゆうなれど,現象とは客体であって,主観性をも含むので,なので
むしろの有り難い。雑貨屋さんカフェのカフェオレブレンドを久しぶりにデカフェでは
なくって,普通に朝昼頂くためのお土産に購って帰ったのを,ウーロンドリップにて,
豆乳オーレにして呑むのだった。そこのは,何だかスパイシーでカフェオレブレンドとは
珍しくも感じられるくらいのホンデュラス産など混ぜてある面白い風味のモノで,それで
不思議な気持ちで,二つ目の飴を舐めながら,この先は何を待っているのだろう?自己の
願いとゆうのも忘我して解らなくなるような。風邪みたいな早く治って欲しいとも思えは
しないような,恍惚とした瞬間。主客同一とはゆうなれど,現象とは客体であって,
主観性をも含むので,なので,むしろの有り難い。Paul McCartneyの”Tug of War”など
Remix版の出ていたので,こうゆう時に極めるのはよくないかなど感じ取りながらも,
その悲愴と情熱の間際にあって,のど飴も二つまで。ちょうど,なんらかの理由でもって
小学校五年生あたりの頃合いで,このリンパの詰まりは出来上がってきたような憶えの,
なんでだろう?外で遊び過ぎたこと?いいや,多分むしろの手を洗わなかったのじゃない
など憶測しているあいだに。この香木のような匂いの性格をしていた因縁によって,また
それらは称徳天皇の美しさに見惚れた当時の怪僧や公族の方々の色々な想いの捉われまま
あれど,そういったロマンチックに記憶街道を走る心持は,休んでいたにせよ,控えめに
人生の薫りを嗅ぐような幸せな気持ちであって,楽しくも感じるのだった。

妻が有機農業講座に出掛けていって,妹さんは,そこのランチを振る舞ってくれる仕事で
手伝う予定もキャンセルする形になってしまって,人生スタイル自体の驚天動地ではある
道なき道の中庸に。ささいなことではあるけれども,僕は身体のあまり強い方ではない,
人生の価値観は絶対的に転換する,その瞬間は『仕事も休んで,余りに滅入ってしまう』
など言ってる妻の言葉を聴きながら,僕は身体のあまり強い方ではないらしいけれども
いつかは反転して,強いパワープッシュのような放射状に反射する電球の周りのピカッと
耀くようにもなれはしまいか?すでにコパイバとゆう聖木の飴を持ち帰って渡してくれた
妻の後ろ姿をよそに,舐めながら,この先は何を待っているのだろう?自己の願いと
ゆうのも忘我して解らなくなるような。風邪みたいな早く治って欲しいとも思えは
しないような,恍惚とした瞬間。Paulの”Tug of War”のRemixは2015と描いてあるけれど
本当に最近の”NEW”など,コラボしてロックの感じで,ビート感の強い仕上がりで出来て
このテイストで続けて制作されているのは,やっぱり昨今表彰されたニュースで
盛り上がりを見せる鋭意な姿には感嘆の結果しか持ち込みえないのだった。
Jazzの”on the Bottom”を出された時の枯淡な表現も素敵だったけれど。今の感じはもう
隔世の感をまで感じ取らせて何だか嬉しい気分になるのも否めない。どこか鑑真和上の
強かな意思の光りを重なり合わせるPopsを体現する。二段論法までで良いらしい。その
2×2×2の姿で,最高の結論にいたるらしい。遅まきながらのゴールデンウィーク探訪に
その周辺で,まず先立って自己否定に走って行けば,いずれそこよりの,何処か肯定する
Popsに滑り込む。これで良い,そのような否定を覆すのは笑いとゆうより皮肉でもある
イロニーは諧謔と相まって,そこのあばら骨に挟まった微笑の種をほぐして解放するモノ
らしい。感嘆と諧謔は,多分もって”Ebony and Ivory”なのだった。

こちらは如何?

とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。

白黒の隈を着けて,いつもよりも浅煎りの珈琲豆を一杯のお代わりを 受けて,淹れなおす。家の台所は,さながらカレー屋さん気取りの, とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。 とにかくもゴッコ気取りで楽しみながら遣りすごす,台所での一時。 ダサいと言っては,何だけれど,バランスの好いのはそうゆうことだ。 そうして,そうゆうダサさをこそ,落ち着いているとして好む,そんな 白と黒を半分ずつ割って入れるようにして,豆乳オーレにして頂く珈琲は, 真皮に黒を抱きながら,表面きっての自分自身は,笑顔で白を通す,その 面白さは微笑みより訪れるので,にっこり気持ちは構えて,ダサさを通す。 それでしか淹れられない,なかなか浅煎りは,カフェオーレでしか入らない。
追及しては,戻ってくるのは番犬や番猫で,何だよとゆうばかり,番猫なら 招き猫みたいにスレンダーな物腰で,いいやスレンダーではないか,でも。 多分,何にもいないのだから,彼らにとって,虫の知らせは,いわゆる枯れ尾花 であって,そのざわめきや囁きのようにして聴こえる,彼らにとっては雑貨店。 トフィーのような濃厚な滑り出しで,カフェオレに合わせながら眺める,こんな 洋菓子店をめぐるように猫などの物腰の豊かさを側に置いて,ぼくは先日のあの ロイヤルウェディングの様子を想いだす。白馬のリードしている子の,ちょっと 荒れているのには,繁華街に急に放り込まれた武士のようなイメージで,そりゃあ 興奮し,混乱もなさるでしょう?とは,そればかり心配してはいなくても,やっぱり パレードの壮大さは計り知れない。ダイナミックであり,本当に生命力学的にもっとも ハラハラもし,手に汗握る。この悠長にはPCの前に座りながら,安堵して,折り畳む。

基本的にはまた紅茶とキャラメルを合わせる感じで良いと思うのだった。ちょっとした
あの渋味と,焦げているような甘味のあいだで,切なさと勇気を半分ずつにおおげさに
振る舞っている。週末を終えて,家族サービスとゆう毎度のほどでもないのだけれど,
毎日に平日のスタートを切る僕にとっては火曜日。風邪を引いてると体力よりも果敢に
すすめないのでこうゆう話題になっているけれど,それも治った後の話として,本当に
スタートを切られることに,爽やかな活発さをさえ抱いている,早速まだ沸かしたてで
すこし温湯のお茶を頂い…

憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど様々

前世ゲームとは言え,嵌入しきって書物の渉猟をすることは,最も
アクティブな瞬間で,それはインナーに居て,集中度の高まる体験。
憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど
様々あるけれど,それは研究意欲としてそうなのであって,きっと以て
どれでも良いはずの日常と,外側の経験則のなかでは処世術としては
仲介されえない範囲の事柄ではある。なので,運筆とゆう詩性に向かって
コンスタントに埋没しきることのなかにも夕暮れ時に適うような,そんな
”前世”=書物文化のあって良いはずだ。転生とゆうことは,それほどまでに
コンセントレーションの中に含まれていて,一種の隠喩のようにそこにある。
それで,いま没我した自分は転生している,うん。それで良いじゃないのか?
例えば,自意識のうちで,第一に身体を漱石山人より,次に生命力を太宰さんに
三番目には意識的に明るさを芥川氏より頂き,個我みたいなモノは三島文学より。
僕の竜退治のミカエルは彫刻家のロダン=文学にF.ラブレー=透視にスウェーデンボリと
言った大家より受け賜って,ジヨットのイコンにおける精神性において開花する。など
ここまで自意識的に説明したところで,それらは”前世”とは関連のないことではある。
集中力に謎解きの扉を開く鍵のあることを知悉して,ようやく,眠りに就けそうである。
渾然一体となってファンタジーは,一度死に,二度目に産まれる魂に対して,何らかの
ギフトを与える。集中力によって,ソウルは再び現れた記念として,”前世”の贈り物を
授かるのだった。そうやってゆこう。黄昏に,贈り物としての言葉を貰うようにして,
やっぱり夕餉の匂いは良いモノである。そこかしこに湯気の上がって,昔はさながらの
薪のくべられた薫りなど漂っていたろう。こうやって,時代は溯られれば,魂のうちに
何らかの,記憶=ファンタジーを得ることのできるはず。

急に,突然の報せのように,白い聖母信仰のほうへ寄りかかって行きそうな気さえして。
夕餉の匂いにのせられて,それらは,ふわりふわり声明を携えて近づいてくる。夕暮れに
不可思議な想いを感じ取らせながら。この白い芳香は何処から遣って来て,今さらながら
ついにこの辺りまで,ついの最近までは,いったい何処に居られたのでしょうくらいの,
何だか不可思議にふわりふわりと感じられる香りなのであった。良い…

季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。

人文的な要素のないと言葉の発想も浮かんではこないもので,なおさら まだまだメモしておきたいことのありそうで,けれども,もうこんなにも 季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。雨煙に 合わせて,ヒーリングのアロマ・ミュージックなる分厚い音楽を掛けながら そのブランケットにくるまれて温かい心持ちをして,人文的より,また素描。 ああいう荒野にそっくり掘り込まれた教会遺跡群などは,もうイニシエートの それら現代のクラブシーンだったのだろうか?僕はその際,家で,お茶を啜る あのインナースタイルの静かなもんだったろう。なんて,基本的に動くとゆうか 家の中を満たすひとつの酵素で生きていたい。生活の匂いは,家の樹々の香り。 肉食には,昔の突っかかりを感じて,なかなか馴染めないけれど,元気は出る。 美味しさに賦活されて,文化的に色々楽しめることを良しとしては,けれども 今となっては,雨に巻かれてウッディな温もりに浸透されることの,浄福なので。

咳や熱風邪も,一度肺炎になった?と感じ始めたところで,一気にスノーマンの 夢を見て瓦解するように退けて行った。その余韻に燻製チップのような薫香の, ハートあたりに漂って,それはまた幸せな健全さの回復を予想させるので,納得。 燻製や北国のイメージは,やがてその厚くなった肺や気管の様子を想像させて, それでロマネスクなのだった。北国は,やがて魔の山も克服して,こうして篤く 人のこころを暖めてくれる。けれど,だからといって,こうゆう時に何かお肉食を 試みたくなる。本当に,篤い人生を効果的に造りだしたいのだ。むしろ,厚く強く。 豚肉の小間切れを,醤油麹とみりんで,お酒を加えながら,すこし甘味噌など足して 玉ねぎ,白ネギと共に炒めてみたのだった。奥さんは仮眠中なので,起こして頂ける ような料理だとは思えないので,ソファの近く,炊き込みご飯を解凍したのと,側で 摘んでいた。明日は英国のロイヤルウェディングだと,ニュースでしていて,思わず 感涙してしまい,僕も不可思議ながら,少しく傷付いた思春期に,感情移入しては, いかばかりか砕けた心持で経過を感じていたので,何だか,ホッとして,うるっと。

すべてお肉食で感情までも呑み込んで,取込んでしまえたらそれで良いのだけれど,
切なさや,哀しさ。鎮魂の想いまでは,そんなに簡単に解消していったり…