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4月, 2018の投稿を表示しています

A・フランスと、T・マンの関係に、超感覚的思惟は必要ない?

抒情や、センチメンタリズムも必要ない?とは、 ここで、アイスティーに氷はいかが?ほどのことでは あるにして、もちろん、耳つぼ灸などの功を奏して エンパスの吹き去ってしまえれば、氷は要らないのだった。 太宰=イスキリによる、視点のあやういのだった。 トーマスマン=ヨゼフに、アナトールフランス=ヘロディヤの このたくましい二者による宣告ならば、それはきっと、 このエンパス指向を吹き荒ぶ知性やロゴスによって、 掻き消してしまう何か。抒情やセンチメンタリズム?ほう、 あの耳つぼの扉を開けば、もう肝臓の炎は猛り狂って、 この人間性とやらを、一度灰燼化してしまう。なので、 もうイヤとゆうほどの蜂蜜をお茶に混ぜて、その結果は モルトのような遺香を与えて去って行く、これらのファウスト氏の 煤けた研究所へ、ようこそとばかり、僕はヴァグナー氏。 ローリエの葉に蜂蜜漬けで,一瞬のカッパドキアへ旅をすれば, 世のSF作品は科学至上主義で,そうしてノートPCの音連れは, またもミニチュアなSFで,それで,僕はアナトールハポンなどと 言っては賢く,SFより脱け出して来ようっと,もう,あんな灰燼の 種まきの際に和えればすぐに芽吹くだろうって,スモークドチーズと ウィンナーを一本。もうすぐ,切なさに筍ご飯のお握り,ひとつ。
さすがに世の女性陣の手料理とやら,近所の奥さん,実家の母親の すぐに切分け,鉄板のレシピなどの精悍に豊かなたくましいこと, みごとたくましいこと。奥が深い,と手料理全般に唸ることに対して 良し,として。何か欠乏している,何をか欠乏してる,と感じる僕の 感性にして,これは恋慕でもなく,また,情熱でもなく,やっぱり何か 中心性とは,A・フランスと、T・マンの関係に、超感覚的思惟は必要ない? ない,とは言っても,やっぱりロマネスクや酔い加減の嬉しい心地は,以て 多分の”必要”,ではあるらしかった,氷も盛り付けに”必要”,なのだった。 氷めいて冷えた心持には情熱も恋慕も満たすことのない何かのロマネスクをこそ 求めてて,それは手料理の慣例的で奇跡的な熟練によって見出された”ON”になる この螺旋は哀切によって廻る。この”切ないなあ”って,結局太宰衛門に戻ってる。 知性vs.エンパスのこの構図。何でもないのだけれど,この構図は,多分知性によれば 切ない。エンパスに寄り添ってゆけばロマンチックではあるのだ。氷をいかが?そう。 もともと,冷えていたかったの…

簡単です、人間性よりも理智そのものを大事に。

一度,卒倒などすれば,訳もわからなくなるモノらしい。 イニシエートは卒倒を繰り越して,その秘儀とやらに嵌入する, とやら,なんとやら。ですが,エクリチュール。そのほうが, 夜明け前に詩の描けるような。自由に,詩の描けるような,そんな 気のして来るので,訳のわからぬことは,いいのだそうな。そんな 簡単です、人間性よりも理智そのものを大事に。初めに,恋のあって 次に,ようやく保身の訪れて,そうして,きっと訳のわからない自分。 そんな,崩壊して終焉している自我に気づくのだった。確かにトラウマは そういったモノであるらしい。しかしながら,保身だけでもないらしい。 珈琲豆を,オーブンでローストしてみる。意外と,焦げる前に取り出せば, 家で呑む分には良いらしい,そんな感じ。耳ツボなどと言った,身体の鍵に お灸を差せば,カチッと扉の開いて,意外と保身だけではないらしいのだ,と みずから鍵を開けて,エンパスも治って,そうしてまた,崩壊した自我は,その 自我の終焉,と哲人の言った,彼の無目的のもとにあつまる,それらは星辰の, きらめき,あと涼風。吹き通る新緑もサワサワと,この珈琲の匂いに自分の中には 優柔不断と諦めと,あと少しの爽やかな嗜好と。これが感情の体験に対する嗜好だ,と ふいに気づくのです。あとは,自我のよくわからない,結果論としては無目的である。 ひんやりとした夜風に当るので,それ位でちょうど良いらしいのです。
お茶を啜って,ホーリーホックの表紙の農業講座を眺めて。タチアオイとゆうらしいので
内モンゴルのほうへ植林ツアーへ参加した際。まだ高校生だった時分にその花をみていた
記憶は確かにあって,それ以来,実家のあたりでも次々咲いている様子を見かけるように
なったのだった。けれども,それは次元相互のまた,記憶の産みだすヴィジョンとやら,
なんとやら。僕には,気に掛ることは,とっても記憶とマッチして,そういった現実へ,
結びつくモノやら,など考える癖に,次第に段々と身に着いていった,このみずからの,
なくなれば世界も消えるのか?など,絵本仕立てに描いてみた思春期の,この雑想などに
大豆の粉を,例えばお湯に解いて利かせれば,それはひとつのドリンクメニューにもなる
など。そういった記憶相互の伝達の,はかばかしく懐かしく,なぜなら洗練されたことは
記憶の上では鮮やかであれば研ぎ澄ま…

思索に時間は要するけれど,運筆には瞬く間の抽象表現

芥川先生を武内宿禰のように,ミラレパなどをサナトクマラのように
捉えてきたけれど,漱石山人を,そのように宿禰公や,クマラのように
考え直して,元来漱石は”仲哀=ニギハヤヒ=スサノオ”だと思っていたが
それらは,『サナトクマラ=武内宿禰』のようなトライバルな存在だ,と
見詰めなおしてみるのだった。かたや,キャタピラ青虫のように,あの確か
不空上人=井伊直弼公を繋いでいたしずかな柱も倒してしまう,それらは
自我の確立。むしろ漱石より,イーゴとしての三島文学にまたも返り咲く。
オーブンレンジで珈琲の焙煎を試みるのは,果たして,深煎りまで持っていく
のには,僕には適した遣り方だと感じるこのブラウニーな薫りのうちにあって,
まだまだ,「若きサムライのために」や「葉隠入門」などを適しているように,
そうやって感じる春の陽気を訪れさせる彼の自我確定期に,古銭の阿修羅神像など
京念珠を手の平に掛けて遣って,こうして,少しずつ深い煎り方へ換わってゆく
こうした春の訪れを垣間見る。朧月夜にまた,菜の花の時節なり,また深煎り。

連続してすすむ,黒い珈琲豆の選別のように廻転する,芥川先生のたまわく,まるで
”愛とは媚徳に外ならない,その故にグラウンディングする愛。”などとは,その辺り
”チャーはまるで完全態だよね,”など言われては駆け込むお手洗いに向かって,その
意味は?それは午後にケーキでも食べたいな?など,妄想して,帽子への執着も今は
もう解けて,ウィンドウショッピングしたい欲求も,いいや。手洗いで,”imagine”。
思索に時間は要するけれど,運筆には瞬く間の抽象表現には,いいや。まだ,まだ
辿り着くことのない漂着するべきあの白砂青松の畔まで,いいや。まだ,まだ。すすむ
この悠久なひと時を,媚態ではなく,松の青い針で,刺激する歯ぐきなど,思考などを。
そうして,思索はイザナミへと向かう。大谷崎=イザナミ,また,太宰伯=イザナギの
この対比を以って,最大限の愛情を掲げてのイザナミ女神へのこの興味関心は続いて,
こうして朝になって感じるそのヒステリクス=ヒューマニズムを超えた何かの,悲母の
ごとき瞑想の内に座す静かな集中その,メディテーション=リラクゼーションを跨いだ
このイマジネーション=ヴィジョンそうして強い願望実現のマジカルミステリーについて
ただ黙々と興味関心をあらわす太宰伯…

看護する側に廻り、眠りに落ちる、共に眠りに。

岡本太郎=セザンヌ=バイロンの火星長老による招聘を受ければ、
義朝=石田三成=楠木正成=家茂の聖者の行進を垣間見る藪木の隙間。 セガンティーニ=ヨハネス・タウラー=ペスタロッチー=カラヤンの子羊は、 また、ミレー=シュペルヴィエル=モーツァルトとゆうルシファー獣神の、 〈飄々として哀切とした、剽窃されて漂泊した自我〉なる者かく言う、あの モネ=カント=コロンブス=マルコポーロ=ディオゲネスの冷徹した眼光を、 ただ、火星長老とゆうのは、とつとつと、そう言って区別することにアートを みるのだった。ただ、そうやって、みるだけなのだったとゆう。 野生酵素を摂るように、優しさが残酷じみてゆき、そうやって グラウンディングとゆう呼び名のもとに、怒りや焦燥さえ含んで 我が心は我が身へと変わってゆくものなら、それは嬉しさのモノ。 そうやって、人間性は、ハートでは扱うのでなし、充分に丹念にして、 もっと、腹の底より、怒り、泣き苦しみ、笑おう。とは言う、 つまり、単純に、セクシュアリティによって、怒り、哀しみ、そうして 微笑みを浮かべるのであったら、頭脳ではない、完全に下方よりの 感情を体験できるのなら、それが、グラウンディングである。とは言うモノ、 根を降ろす、とゆう惑星に張ってゆく清濁併呑の心根は、そういった 太陽神経叢によって、考えて知悉し、また、情緒を宿すのだ、とゆう。
そう。例えて、喜びについて、語りたいのだった。それらは、 どんな茶葉でも、豆乳チャイに。そうして、それらは、どんな酵素シロップも 烏龍茶割りにして。眠りに落ちれば、人格は修復され、戻ってくる秀逸な。 ジンジャーハニーは上の空。いつも、どんなタンニンに合わせて行けば、 そう。考えているので、眠りに就いて戻ってくる感覚は、やはり三島文学よりも 太宰のヒューマニズムなのだった。檀香の匂う、龍馬祭壇の例えてあれば、 それは、トビナガスネに、イザナギの黄泉返りのようにして、それで もうすでに、取り返しの付かない記憶錯誤も、錯綜した宮の水のように 桜の香りに、桜餅の夕べ。喜びについて、語りたいのだった。それらは サルタヒコのリルケ=ヒュパティア=ドナテッロ=ラムセス2世とは、 また対置するのも良いことです、それは、よいことで、それでいて。 肝心なのは、眠りに戻っては我輩は太宰である。と、連呼自称しつつ、 この、ジャーニー…