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愛に目覚める頃、僕らは青玄黒曜石

美味しさも、創造性も、爽やかさとゆうのも
また、可愛さも、ヨーロピアニズムも、すべては
愛なのだった。僕の場合は、まず黒人霊歌にツイストする、
まずはブルースとゆうのが、端的にLOVEなのだった。
階下に降りて、ウィンナーを摘む。菜食に肉食に
すべては愛によって犠牲を弔うことのできるか?
旨い肉とゆうのは、しいたげることのよってたつ
飼育の美学の何によってたつ、僕は再就職の機会を
持つのなら、酪農しかないなどとは気合いを入れて
答える気分さながらの、酪農における、愛とは?
など、そんな事を考えるのだった。創作によって
美しさを愛情と結びつける、幸福における犠牲の
位置付けとは?などと。愛だ、愛だ。繰り返して
気絶してしまうような、そんな貧血のさなかには
まるで、愛のなかには、犠牲は許されるのか?と
言ったような、逆説的なテーゼを提案されて、それで
僕は、いいや、元気を出して、動きだせるように
お肉をイッパイ食べて、そうして、貧血性思考も
治したなら、また、イッパイ哲学をして、そうやって、
肉食に対する答えは、循環しつつ、戻ってくる。
冷や汗を涙のように掻いては、愛について語る、
貧血性の夜には、とにかく、自分のなかで、愛に
目覚める頃には、僕らは青玄黒曜石のような、あの
黒光りした眼光を携えて、早く寝なさい。と、この
自己愛に促される夜半。自愛することの肝要さには、
そこに解決の糸口を見つけられまいか?そうして
夜は更けてゆく。僕は僕の自己犠牲を抱きながら
前に進むことを良しとして、夜ながら、開眼して
いるのだが。少々窮屈ではありません?考え癖は
かように可愛く、情けないような可愛さで、多分
憐憫を誘って、流れる彗星の尾を曳くごとく、タップする
スマホのフェザータッチとやらも、また、音のない
音を奏でて、いちばん可哀想なのは、自分の知悉だ、
など。自己憐憫はげしく、画面を暗くして、さあ。
再び、愛を念じよう。気も済んだだろうから。

もうすこし草食であれば、愛の性格をしずかなモノと
置き換えて、非常に耽美な、それでいてロマンティックに
飾られもするのだろうけど、僕は、まず、創造的で
クリエイティブであることに、愛の性格の第一優先度を
置いている。そんなことは、抑圧されたセクシュアリティや、
サディスティックな昼夜のリズム逆転などの、若い時分に
感じていたストレスをないがしろにして、自らの異常と
見なしてしまう、狭量な自己愛の転換見直しに際しても
例えば、全体性などとゆう莫大な視点においてみて、
それらは、やはり、愛をクリエイティビティの位置付けに
置き直してみる、そういった起点にされてしまうのだった。
異常が以上に、異常じみて認識され、認識された際には
さらに、広い視点において、異常ではない一般的重篤の時点に
置かれた時、僕らは、波動的変動を感じて、それら認識の
公的な認知に位置された事に気付く。そうして、異常とは、
愛の性格に転換される、ある時点に気付くのだが、その際
僕らは、その危険など忘れて、パブリックな気持ちの愛とゆう、
そんなサラサラと流れる涼やかな納涼の気概で公的全体性に融けて行く。
やがて、ストレスはストレスでありえず、乗り越えるための滋養に
換わり、一般的に滋養とは、肉食に限らず、すべてに苦しみを含み
そうして言わずと知れた、その献身の意味において、自分も
愛された、そう。愛されている、と感じる、この全体性に融ける。
やがて、全体的主観も影を潜め、ストレスも笹の葉の匂いに消えて行く。

夜が明ければ、クリエイティビティも必要なくなるだろう。
つまりは愛の性格も変わってゆくのだろう。眠りに促されながら
ペンを執るさながら、この運筆は、ストレス故の表現で、
身を持して、闘っていた、ストレスとゆう表現は、そうして
夜が明けて、クリエイティブである事もなくなれば、僕は
一気に緩んで、安心に認知症などへ結びつかないか、と想像する。
そういった、惑星に住むのは、身体的な全体主観によって、
土地の安全を護るとゆう、防衛機制機能を持った、ストレスの
武器を以ってすすむ、僕らは一介の戦士なので、闘いを終えて
麩饅頭でもパクパクほお張っていたいのだった。そう、なので
眠りに促される、この夜が明けて、愛の性格付けが換わってゆき、
愛自体の知悉のなくなってしまうのを、想えばこその、ペン執る
その安心に認知症など、忘れることへ重度の安定をはかる我が身を
想えば、そうだなあ、慈しむ心の闘いの姿とは、毘沙門のよう。
それは、きっと悪の侍従としての役割でもあったろう。など、
自問自答するのは、悪の心以て、悪を解除することの理屈には
もうすぐ、その鎧を脱いで、ふやけた身体に、そんな柔肌あったの、
とばかり、自認して、我が優しさを受け入れましょう。多少は
気持ちの抜けるほどのようございます。とばかりに、やあ。
麩饅頭でも頂いて。とそのことばかり、想い描くのは、やっぱり
安心して笹の葉に、星の願いをこめて、いつの日か練習した
笹舟の、こしらえ方を憶いだしては、手指に着いた芳香を嗅いで、
ひと息ついて、追ってゆきます。いつもの、3倍くらい掛けて、
人並みの生活を、終えるまでのノンビリとした、この道程を。

こちらは如何?

とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。

白黒の隈を着けて,いつもよりも浅煎りの珈琲豆を一杯のお代わりを 受けて,淹れなおす。家の台所は,さながらカレー屋さん気取りの, とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。 とにかくもゴッコ気取りで楽しみながら遣りすごす,台所での一時。 ダサいと言っては,何だけれど,バランスの好いのはそうゆうことだ。 そうして,そうゆうダサさをこそ,落ち着いているとして好む,そんな 白と黒を半分ずつ割って入れるようにして,豆乳オーレにして頂く珈琲は, 真皮に黒を抱きながら,表面きっての自分自身は,笑顔で白を通す,その 面白さは微笑みより訪れるので,にっこり気持ちは構えて,ダサさを通す。 それでしか淹れられない,なかなか浅煎りは,カフェオーレでしか入らない。
追及しては,戻ってくるのは番犬や番猫で,何だよとゆうばかり,番猫なら 招き猫みたいにスレンダーな物腰で,いいやスレンダーではないか,でも。 多分,何にもいないのだから,彼らにとって,虫の知らせは,いわゆる枯れ尾花 であって,そのざわめきや囁きのようにして聴こえる,彼らにとっては雑貨店。 トフィーのような濃厚な滑り出しで,カフェオレに合わせながら眺める,こんな 洋菓子店をめぐるように猫などの物腰の豊かさを側に置いて,ぼくは先日のあの ロイヤルウェディングの様子を想いだす。白馬のリードしている子の,ちょっと 荒れているのには,繁華街に急に放り込まれた武士のようなイメージで,そりゃあ 興奮し,混乱もなさるでしょう?とは,そればかり心配してはいなくても,やっぱり パレードの壮大さは計り知れない。ダイナミックであり,本当に生命力学的にもっとも ハラハラもし,手に汗握る。この悠長にはPCの前に座りながら,安堵して,折り畳む。

基本的にはまた紅茶とキャラメルを合わせる感じで良いと思うのだった。ちょっとした
あの渋味と,焦げているような甘味のあいだで,切なさと勇気を半分ずつにおおげさに
振る舞っている。週末を終えて,家族サービスとゆう毎度のほどでもないのだけれど,
毎日に平日のスタートを切る僕にとっては火曜日。風邪を引いてると体力よりも果敢に
すすめないのでこうゆう話題になっているけれど,それも治った後の話として,本当に
スタートを切られることに,爽やかな活発さをさえ抱いている,早速まだ沸かしたてで
すこし温湯のお茶を頂い…

憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど様々

前世ゲームとは言え,嵌入しきって書物の渉猟をすることは,最も
アクティブな瞬間で,それはインナーに居て,集中度の高まる体験。
憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど
様々あるけれど,それは研究意欲としてそうなのであって,きっと以て
どれでも良いはずの日常と,外側の経験則のなかでは処世術としては
仲介されえない範囲の事柄ではある。なので,運筆とゆう詩性に向かって
コンスタントに埋没しきることのなかにも夕暮れ時に適うような,そんな
”前世”=書物文化のあって良いはずだ。転生とゆうことは,それほどまでに
コンセントレーションの中に含まれていて,一種の隠喩のようにそこにある。
それで,いま没我した自分は転生している,うん。それで良いじゃないのか?
例えば,自意識のうちで,第一に身体を漱石山人より,次に生命力を太宰さんに
三番目には意識的に明るさを芥川氏より頂き,個我みたいなモノは三島文学より。
僕の竜退治のミカエルは彫刻家のロダン=文学にF.ラブレー=透視にスウェーデンボリと
言った大家より受け賜って,ジヨットのイコンにおける精神性において開花する。など
ここまで自意識的に説明したところで,それらは”前世”とは関連のないことではある。
集中力に謎解きの扉を開く鍵のあることを知悉して,ようやく,眠りに就けそうである。
渾然一体となってファンタジーは,一度死に,二度目に産まれる魂に対して,何らかの
ギフトを与える。集中力によって,ソウルは再び現れた記念として,”前世”の贈り物を
授かるのだった。そうやってゆこう。黄昏に,贈り物としての言葉を貰うようにして,
やっぱり夕餉の匂いは良いモノである。そこかしこに湯気の上がって,昔はさながらの
薪のくべられた薫りなど漂っていたろう。こうやって,時代は溯られれば,魂のうちに
何らかの,記憶=ファンタジーを得ることのできるはず。

急に,突然の報せのように,白い聖母信仰のほうへ寄りかかって行きそうな気さえして。
夕餉の匂いにのせられて,それらは,ふわりふわり声明を携えて近づいてくる。夕暮れに
不可思議な想いを感じ取らせながら。この白い芳香は何処から遣って来て,今さらながら
ついにこの辺りまで,ついの最近までは,いったい何処に居られたのでしょうくらいの,
何だか不可思議にふわりふわりと感じられる香りなのであった。良い…

季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。

人文的な要素のないと言葉の発想も浮かんではこないもので,なおさら まだまだメモしておきたいことのありそうで,けれども,もうこんなにも 季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。雨煙に 合わせて,ヒーリングのアロマ・ミュージックなる分厚い音楽を掛けながら そのブランケットにくるまれて温かい心持ちをして,人文的より,また素描。 ああいう荒野にそっくり掘り込まれた教会遺跡群などは,もうイニシエートの それら現代のクラブシーンだったのだろうか?僕はその際,家で,お茶を啜る あのインナースタイルの静かなもんだったろう。なんて,基本的に動くとゆうか 家の中を満たすひとつの酵素で生きていたい。生活の匂いは,家の樹々の香り。 肉食には,昔の突っかかりを感じて,なかなか馴染めないけれど,元気は出る。 美味しさに賦活されて,文化的に色々楽しめることを良しとしては,けれども 今となっては,雨に巻かれてウッディな温もりに浸透されることの,浄福なので。

咳や熱風邪も,一度肺炎になった?と感じ始めたところで,一気にスノーマンの 夢を見て瓦解するように退けて行った。その余韻に燻製チップのような薫香の, ハートあたりに漂って,それはまた幸せな健全さの回復を予想させるので,納得。 燻製や北国のイメージは,やがてその厚くなった肺や気管の様子を想像させて, それでロマネスクなのだった。北国は,やがて魔の山も克服して,こうして篤く 人のこころを暖めてくれる。けれど,だからといって,こうゆう時に何かお肉食を 試みたくなる。本当に,篤い人生を効果的に造りだしたいのだ。むしろ,厚く強く。 豚肉の小間切れを,醤油麹とみりんで,お酒を加えながら,すこし甘味噌など足して 玉ねぎ,白ネギと共に炒めてみたのだった。奥さんは仮眠中なので,起こして頂ける ような料理だとは思えないので,ソファの近く,炊き込みご飯を解凍したのと,側で 摘んでいた。明日は英国のロイヤルウェディングだと,ニュースでしていて,思わず 感涙してしまい,僕も不可思議ながら,少しく傷付いた思春期に,感情移入しては, いかばかりか砕けた心持で経過を感じていたので,何だか,ホッとして,うるっと。

すべてお肉食で感情までも呑み込んで,取込んでしまえたらそれで良いのだけれど,
切なさや,哀しさ。鎮魂の想いまでは,そんなに簡単に解消していったり…