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いてもたってもいられず,寒い。寒い,と乾布摩擦精神にて

日記のようにして描く,拭いきれない気持ちのほうが,良い。
とは言え分別も付かずに自然体とか,流れに任せて,とゆうのも
永遠に自分の解らない納得いかずのようで,精神的ポルターガイストの
解決法にはならない,そう信じているので,かつて仏壇があったはずの
ところへ腰を掛けて,先祖供養など気分的に試みるそのうちに,何だか
腑に落ちるような気のして,けれども考える癖は良くない事には気付くのだ
けれどもそれはそれで良くないとは何事も言えないでしょう,と床几に向かう。

いまはもう科学的分析のほうが先行してしまうので,何だかそれはそれでいて
先祖返りなど起こしていては日本的とかそう呼ばれるモノは結局のところは,
身に着かない,いや。身に着かないとは言え,真実は日本的である,とゆうことは
どこかで知ってる。これは身体的な肉体的感覚に,ポルターガイストの働きかけて,
ぼくは何だか科学的分析のほうへ傾いていたのだ。そう,気付かされて帰国する。
先祖返りでも良いから,精神的に現実的な霊性まで,冷製パスタのように冷えて。

いてもたってもいられず,寒い。寒い,と乾布摩擦精神にてそれは起こる,諧謔の
鯉のぼり滝つぼより昇ります,月夜の龍神の昇龍の姿は,まるで人魚のお造りだ。
クラシック音楽を聴けば焦りも消えて,創作意欲もモーツァルトの40番&41番などの
思い出に聴き直せば,それに乗せて,いつも何かを自己表現していなくては?とかゆう
この昇華プロセスも消化されて行く,何気ない共感作用はいつも響いていて,その共感に
委せてしまって,不安やそんな焦りなども,表現欲求として現われている,元はと言えば
共感より合わさって来ているアート主事ならば,もうその源にあるクラシック音楽に訪ね
思い出に,消えてしまってくれたらいいのだった。寒いほどに灯油の減り方も早いようで
一日で一缶なくなる日はあまりなかったけれど,今日はここ最近一番の寒さだったなあ。

ほんとうに春めいて来て,段々に肩の凝りなどは良くなってきてる気のする,これなんか
ホントに不思議な神経性の凝りだとは思う。それは,冬だからとゆうのではなくって,もう
ずっと,五年くらいは抱えていた神経の詰まりなどであって,この春に薄れて来るのは,
自身の努力も相応しく活発に効果をあげているだろう実感を自信を隠して,それらは最近
ポルターガイスト現象か盗人の仕業なのか,引っ越し先のこの祖父母の旧宅にて衝撃的な
不可思議を追体験したような,トラウマ解消にも始まる心理的な作用なのか,何かしらの
治癒効果を期待して良い荒療治の僕にとって努力する機会を与えてもらって,段々その分
肩凝りも薄らいで来ているのは,仕合せな出来事だったろう,ちょっとファンタジック。

今朝は,バレンタインのお返しにと,隣町まで。そこはチョコレートも有名らしくて,
チョコの詰め合わせなども始まるのだと聞いて,しかしながら。店名のそのまま使われて
焼き生菓子のセットのあるのを二,三年前にもホワイトデーの機会に利用したことのある
記憶を辿って,余談ですが昨年は手造りでラムレーズンを漬けてココナツスプレッドの,
ホワイトラムレーズンなるディップを瓶詰で,グリッシーニと合わせて贈ったのだった。
着いてみると,銅型で焼き上げるとゆうカヌレの陳列されたところなので,二つずつを
二セットに,四個ほど半ば買い占めギリギリの数かな?と省みながら,また峠を越えて
『12月の雨』のカバーを熱唱しながら帰る,自己陶酔した幸せな時間を過ごせていた。

想えば,義経の桜並木を背にして大地母神の穴を開けられた神経性の痛みなどは,そこを
脱け出して,なにか跡地の空っぽの自我置き場に,新しいスピリチュアルな冬将軍などが
春にもなって内蔵されてゆくような気もする。でも,冬将軍でも良いけれど邂逅したその
荒ぶるスピリットの目覚め自体を感じても,今なら,北風より太陽ですよ?やっぱり,あの
ヒーリングとゆうのは太陽の温かさによって,自我の剥がれて行く究極に穏やかな時間を
抱けてこその癒しなのだ。って,どこかで,荒武者に伝えられる気のする。暖かくなって
そうゆう感傷にも浸ることないのどかさを受けとれる,こんな季節は、桜のお似合いだ。
話しは戻って,クラシックなるモノ,ロマンチックでもキレイでもなく,僕にとっては,
ただ情熱とヒステリックの裏返りパッションで,だからこそアート欲求も満たされるのだ。






こちらは如何?

とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。

白黒の隈を着けて,いつもよりも浅煎りの珈琲豆を一杯のお代わりを 受けて,淹れなおす。家の台所は,さながらカレー屋さん気取りの, とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。 とにかくもゴッコ気取りで楽しみながら遣りすごす,台所での一時。 ダサいと言っては,何だけれど,バランスの好いのはそうゆうことだ。 そうして,そうゆうダサさをこそ,落ち着いているとして好む,そんな 白と黒を半分ずつ割って入れるようにして,豆乳オーレにして頂く珈琲は, 真皮に黒を抱きながら,表面きっての自分自身は,笑顔で白を通す,その 面白さは微笑みより訪れるので,にっこり気持ちは構えて,ダサさを通す。 それでしか淹れられない,なかなか浅煎りは,カフェオーレでしか入らない。
追及しては,戻ってくるのは番犬や番猫で,何だよとゆうばかり,番猫なら 招き猫みたいにスレンダーな物腰で,いいやスレンダーではないか,でも。 多分,何にもいないのだから,彼らにとって,虫の知らせは,いわゆる枯れ尾花 であって,そのざわめきや囁きのようにして聴こえる,彼らにとっては雑貨店。 トフィーのような濃厚な滑り出しで,カフェオレに合わせながら眺める,こんな 洋菓子店をめぐるように猫などの物腰の豊かさを側に置いて,ぼくは先日のあの ロイヤルウェディングの様子を想いだす。白馬のリードしている子の,ちょっと 荒れているのには,繁華街に急に放り込まれた武士のようなイメージで,そりゃあ 興奮し,混乱もなさるでしょう?とは,そればかり心配してはいなくても,やっぱり パレードの壮大さは計り知れない。ダイナミックであり,本当に生命力学的にもっとも ハラハラもし,手に汗握る。この悠長にはPCの前に座りながら,安堵して,折り畳む。

基本的にはまた紅茶とキャラメルを合わせる感じで良いと思うのだった。ちょっとした
あの渋味と,焦げているような甘味のあいだで,切なさと勇気を半分ずつにおおげさに
振る舞っている。週末を終えて,家族サービスとゆう毎度のほどでもないのだけれど,
毎日に平日のスタートを切る僕にとっては火曜日。風邪を引いてると体力よりも果敢に
すすめないのでこうゆう話題になっているけれど,それも治った後の話として,本当に
スタートを切られることに,爽やかな活発さをさえ抱いている,早速まだ沸かしたてで
すこし温湯のお茶を頂い…

憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど様々

前世ゲームとは言え,嵌入しきって書物の渉猟をすることは,最も
アクティブな瞬間で,それはインナーに居て,集中度の高まる体験。
憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど
様々あるけれど,それは研究意欲としてそうなのであって,きっと以て
どれでも良いはずの日常と,外側の経験則のなかでは処世術としては
仲介されえない範囲の事柄ではある。なので,運筆とゆう詩性に向かって
コンスタントに埋没しきることのなかにも夕暮れ時に適うような,そんな
”前世”=書物文化のあって良いはずだ。転生とゆうことは,それほどまでに
コンセントレーションの中に含まれていて,一種の隠喩のようにそこにある。
それで,いま没我した自分は転生している,うん。それで良いじゃないのか?
例えば,自意識のうちで,第一に身体を漱石山人より,次に生命力を太宰さんに
三番目には意識的に明るさを芥川氏より頂き,個我みたいなモノは三島文学より。
僕の竜退治のミカエルは彫刻家のロダン=文学にF.ラブレー=透視にスウェーデンボリと
言った大家より受け賜って,ジヨットのイコンにおける精神性において開花する。など
ここまで自意識的に説明したところで,それらは”前世”とは関連のないことではある。
集中力に謎解きの扉を開く鍵のあることを知悉して,ようやく,眠りに就けそうである。
渾然一体となってファンタジーは,一度死に,二度目に産まれる魂に対して,何らかの
ギフトを与える。集中力によって,ソウルは再び現れた記念として,”前世”の贈り物を
授かるのだった。そうやってゆこう。黄昏に,贈り物としての言葉を貰うようにして,
やっぱり夕餉の匂いは良いモノである。そこかしこに湯気の上がって,昔はさながらの
薪のくべられた薫りなど漂っていたろう。こうやって,時代は溯られれば,魂のうちに
何らかの,記憶=ファンタジーを得ることのできるはず。

急に,突然の報せのように,白い聖母信仰のほうへ寄りかかって行きそうな気さえして。
夕餉の匂いにのせられて,それらは,ふわりふわり声明を携えて近づいてくる。夕暮れに
不可思議な想いを感じ取らせながら。この白い芳香は何処から遣って来て,今さらながら
ついにこの辺りまで,ついの最近までは,いったい何処に居られたのでしょうくらいの,
何だか不可思議にふわりふわりと感じられる香りなのであった。良い…

季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。

人文的な要素のないと言葉の発想も浮かんではこないもので,なおさら まだまだメモしておきたいことのありそうで,けれども,もうこんなにも 季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。雨煙に 合わせて,ヒーリングのアロマ・ミュージックなる分厚い音楽を掛けながら そのブランケットにくるまれて温かい心持ちをして,人文的より,また素描。 ああいう荒野にそっくり掘り込まれた教会遺跡群などは,もうイニシエートの それら現代のクラブシーンだったのだろうか?僕はその際,家で,お茶を啜る あのインナースタイルの静かなもんだったろう。なんて,基本的に動くとゆうか 家の中を満たすひとつの酵素で生きていたい。生活の匂いは,家の樹々の香り。 肉食には,昔の突っかかりを感じて,なかなか馴染めないけれど,元気は出る。 美味しさに賦活されて,文化的に色々楽しめることを良しとしては,けれども 今となっては,雨に巻かれてウッディな温もりに浸透されることの,浄福なので。

咳や熱風邪も,一度肺炎になった?と感じ始めたところで,一気にスノーマンの 夢を見て瓦解するように退けて行った。その余韻に燻製チップのような薫香の, ハートあたりに漂って,それはまた幸せな健全さの回復を予想させるので,納得。 燻製や北国のイメージは,やがてその厚くなった肺や気管の様子を想像させて, それでロマネスクなのだった。北国は,やがて魔の山も克服して,こうして篤く 人のこころを暖めてくれる。けれど,だからといって,こうゆう時に何かお肉食を 試みたくなる。本当に,篤い人生を効果的に造りだしたいのだ。むしろ,厚く強く。 豚肉の小間切れを,醤油麹とみりんで,お酒を加えながら,すこし甘味噌など足して 玉ねぎ,白ネギと共に炒めてみたのだった。奥さんは仮眠中なので,起こして頂ける ような料理だとは思えないので,ソファの近く,炊き込みご飯を解凍したのと,側で 摘んでいた。明日は英国のロイヤルウェディングだと,ニュースでしていて,思わず 感涙してしまい,僕も不可思議ながら,少しく傷付いた思春期に,感情移入しては, いかばかりか砕けた心持で経過を感じていたので,何だか,ホッとして,うるっと。

すべてお肉食で感情までも呑み込んで,取込んでしまえたらそれで良いのだけれど,
切なさや,哀しさ。鎮魂の想いまでは,そんなに簡単に解消していったり…