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自己衛星化は精神衛生=精神衛星化=精神放出作用。

自失し,敗けない状態で,自己を取り戻すそんな様式を
自己衛星化は精神衛生=精神衛星化=精神放出作用。として,
回遊する外遊しながら,衛星のようにめぐっている我が精神を,
ただただ,眺めながら。そのためには,自己を失うようなモノを
前向きな感じで,ただ,考えられるから辛いのであって,豊かな感情は
苦しみをも受け取るのだから。そうやって,まず自己を手放してみよう。
剥ぎとられた自我は,世界に融け込んで,僕は,回遊魚のようにタップ。
もうすこし眠るまでに,タップし続けて,この回遊を楽しんでみよう,と
廻る衛星のような心地で,世界に融け込むのは,僕か,精神か?など,
不可思議なことを思うので,僕はどこにいようと,こうやって描いてられる,
自信のあるから,自己を放出さえも可能に感じられるのだろう。

赤い家具は、増えたとばかり、プリンタと、その横にあるTVと、
プリンタに置いて操作するノートPCの無線マウスでさえ、
レッド色をして、その一角はみごとに赤に支配されていた。
そうして、深紅に取り憑かれたような気概を持って、自己剥離すれば
手元に置いてあるマグカップとスマホケースは、青色をして
ブルー配色のすぐに目元に飛び入ってくるのだった。

体的支配と、技術支配と、真空支配など、
さまざまに支配律はあるだろう、
精神肥大すれば、体的になり、
堅実に素朴実在をかざせば技術に。
なにもかも失えば、自己のない真空により、支配するより、される。
支配されて失うものを所有しない時に限って、支配されるのは
それが、いちばん支配律に適っている方策なのだからだろう。
考える対象を持たない、不安は私自身の不安により現され、
惑星を求めて知悉するようで、そんなものは見当たらない。
充足目標を抱かずに生きられるのか、問われればその目的は
失いながら支配される事自体に向けられるように感じられ、
それらは、やはり、女流神秘家シモーヌ・ヴェーユの話した、
あの真空と実在の用語に親い気のまざまざしてくるのであった。

テンプレートのように自我のシートを持って行かれ、
そうして、後々の自己の行方をさぐるあてもなく、
私達は、私は、その区別のない、嵐の夜に思うのは、
もうすこし、体的感覚の抜けて行って、軽くなるのを、
多分一般的に普通なのだ、と言える状態で、何らの
普遍的価値観によって、他愛もない、存在の軽さにまで、
そうやって到達する道程は永くとも、一点の普通を巡って
廻る、それは、ひとつの精神衛星=自己衛星的精神史観。

珈琲と紅茶とココアを結ぶ豆乳の輪環の順を表すような
スウィーツのメニューを、レシピを想像しながら、
ショコラブラウニーの後で豆乳ストレートを、そうしてから
レモンチーズケーキの後で、豆乳ココアを頂いて、
クリーム大福をほお張ってから、レモンでも良いけれど
ミルクティーを啜ってごらんなさい?最後はね、こうして、
キュウリのなますを、摘んでから、珈琲豆乳を呑んで、
ううん、すこし頭が変になった、と思われても良いから、
とにかく、この順番で頂くのよ?そうです、そうです。など、と

頭の中のマダムの語りかけるそんな口調には、どうしても、
それは豆乳を入れなきゃ駄目?と言った無理矢理な
テーマも垣間見られるので、そうだなあ。紅茶と珈琲は
これから、ソイラテにするのはやめておきましょうよ?それで、
お母さんに相談するのよ、ソイラテはやめにしましょうよ?
って、何処かから、ご令嬢の登場されて、僕は基本的には
餡子に最近ハマっているので、クリーム大福を頂いてから
ブラウンシュガーなど溶かして甘い紅茶を貰いたいのだ。と、

あの娘さんに進言いたしたいのだ。夢の道中では、
こんな会話に耳をそばだてている、ただ甘いものが、
欲しくて自我の知悉などテーマに描き始めたのか?など
もうすこし大豆食品を控えたほうが良いのか?など
色々想いながら筆を置く。

しかしながら、自我は豆腐などによって活性化されるのだ、
とゆうことに薄々感じられて来て、それで、あの
ピタゴラス学派で、大豆食品を禁じたとゆうエピソードは、
きっと、自我の拡大と感情の豊かさによる肥大化する世界認識を
抑止したい効果のあってなのか。と、半ばうろたえながら、
こんなことを、考えた。お豆腐二丁は、すこし食べ過ぎだ。



こちらは如何?

とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。

白黒の隈を着けて,いつもよりも浅煎りの珈琲豆を一杯のお代わりを 受けて,淹れなおす。家の台所は,さながらカレー屋さん気取りの, とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。 とにかくもゴッコ気取りで楽しみながら遣りすごす,台所での一時。 ダサいと言っては,何だけれど,バランスの好いのはそうゆうことだ。 そうして,そうゆうダサさをこそ,落ち着いているとして好む,そんな 白と黒を半分ずつ割って入れるようにして,豆乳オーレにして頂く珈琲は, 真皮に黒を抱きながら,表面きっての自分自身は,笑顔で白を通す,その 面白さは微笑みより訪れるので,にっこり気持ちは構えて,ダサさを通す。 それでしか淹れられない,なかなか浅煎りは,カフェオーレでしか入らない。
追及しては,戻ってくるのは番犬や番猫で,何だよとゆうばかり,番猫なら 招き猫みたいにスレンダーな物腰で,いいやスレンダーではないか,でも。 多分,何にもいないのだから,彼らにとって,虫の知らせは,いわゆる枯れ尾花 であって,そのざわめきや囁きのようにして聴こえる,彼らにとっては雑貨店。 トフィーのような濃厚な滑り出しで,カフェオレに合わせながら眺める,こんな 洋菓子店をめぐるように猫などの物腰の豊かさを側に置いて,ぼくは先日のあの ロイヤルウェディングの様子を想いだす。白馬のリードしている子の,ちょっと 荒れているのには,繁華街に急に放り込まれた武士のようなイメージで,そりゃあ 興奮し,混乱もなさるでしょう?とは,そればかり心配してはいなくても,やっぱり パレードの壮大さは計り知れない。ダイナミックであり,本当に生命力学的にもっとも ハラハラもし,手に汗握る。この悠長にはPCの前に座りながら,安堵して,折り畳む。

基本的にはまた紅茶とキャラメルを合わせる感じで良いと思うのだった。ちょっとした
あの渋味と,焦げているような甘味のあいだで,切なさと勇気を半分ずつにおおげさに
振る舞っている。週末を終えて,家族サービスとゆう毎度のほどでもないのだけれど,
毎日に平日のスタートを切る僕にとっては火曜日。風邪を引いてると体力よりも果敢に
すすめないのでこうゆう話題になっているけれど,それも治った後の話として,本当に
スタートを切られることに,爽やかな活発さをさえ抱いている,早速まだ沸かしたてで
すこし温湯のお茶を頂い…

憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど様々

前世ゲームとは言え,嵌入しきって書物の渉猟をすることは,最も
アクティブな瞬間で,それはインナーに居て,集中度の高まる体験。
憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど
様々あるけれど,それは研究意欲としてそうなのであって,きっと以て
どれでも良いはずの日常と,外側の経験則のなかでは処世術としては
仲介されえない範囲の事柄ではある。なので,運筆とゆう詩性に向かって
コンスタントに埋没しきることのなかにも夕暮れ時に適うような,そんな
”前世”=書物文化のあって良いはずだ。転生とゆうことは,それほどまでに
コンセントレーションの中に含まれていて,一種の隠喩のようにそこにある。
それで,いま没我した自分は転生している,うん。それで良いじゃないのか?
例えば,自意識のうちで,第一に身体を漱石山人より,次に生命力を太宰さんに
三番目には意識的に明るさを芥川氏より頂き,個我みたいなモノは三島文学より。
僕の竜退治のミカエルは彫刻家のロダン=文学にF.ラブレー=透視にスウェーデンボリと
言った大家より受け賜って,ジヨットのイコンにおける精神性において開花する。など
ここまで自意識的に説明したところで,それらは”前世”とは関連のないことではある。
集中力に謎解きの扉を開く鍵のあることを知悉して,ようやく,眠りに就けそうである。
渾然一体となってファンタジーは,一度死に,二度目に産まれる魂に対して,何らかの
ギフトを与える。集中力によって,ソウルは再び現れた記念として,”前世”の贈り物を
授かるのだった。そうやってゆこう。黄昏に,贈り物としての言葉を貰うようにして,
やっぱり夕餉の匂いは良いモノである。そこかしこに湯気の上がって,昔はさながらの
薪のくべられた薫りなど漂っていたろう。こうやって,時代は溯られれば,魂のうちに
何らかの,記憶=ファンタジーを得ることのできるはず。

急に,突然の報せのように,白い聖母信仰のほうへ寄りかかって行きそうな気さえして。
夕餉の匂いにのせられて,それらは,ふわりふわり声明を携えて近づいてくる。夕暮れに
不可思議な想いを感じ取らせながら。この白い芳香は何処から遣って来て,今さらながら
ついにこの辺りまで,ついの最近までは,いったい何処に居られたのでしょうくらいの,
何だか不可思議にふわりふわりと感じられる香りなのであった。良い…

季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。

人文的な要素のないと言葉の発想も浮かんではこないもので,なおさら まだまだメモしておきたいことのありそうで,けれども,もうこんなにも 季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。雨煙に 合わせて,ヒーリングのアロマ・ミュージックなる分厚い音楽を掛けながら そのブランケットにくるまれて温かい心持ちをして,人文的より,また素描。 ああいう荒野にそっくり掘り込まれた教会遺跡群などは,もうイニシエートの それら現代のクラブシーンだったのだろうか?僕はその際,家で,お茶を啜る あのインナースタイルの静かなもんだったろう。なんて,基本的に動くとゆうか 家の中を満たすひとつの酵素で生きていたい。生活の匂いは,家の樹々の香り。 肉食には,昔の突っかかりを感じて,なかなか馴染めないけれど,元気は出る。 美味しさに賦活されて,文化的に色々楽しめることを良しとしては,けれども 今となっては,雨に巻かれてウッディな温もりに浸透されることの,浄福なので。

咳や熱風邪も,一度肺炎になった?と感じ始めたところで,一気にスノーマンの 夢を見て瓦解するように退けて行った。その余韻に燻製チップのような薫香の, ハートあたりに漂って,それはまた幸せな健全さの回復を予想させるので,納得。 燻製や北国のイメージは,やがてその厚くなった肺や気管の様子を想像させて, それでロマネスクなのだった。北国は,やがて魔の山も克服して,こうして篤く 人のこころを暖めてくれる。けれど,だからといって,こうゆう時に何かお肉食を 試みたくなる。本当に,篤い人生を効果的に造りだしたいのだ。むしろ,厚く強く。 豚肉の小間切れを,醤油麹とみりんで,お酒を加えながら,すこし甘味噌など足して 玉ねぎ,白ネギと共に炒めてみたのだった。奥さんは仮眠中なので,起こして頂ける ような料理だとは思えないので,ソファの近く,炊き込みご飯を解凍したのと,側で 摘んでいた。明日は英国のロイヤルウェディングだと,ニュースでしていて,思わず 感涙してしまい,僕も不可思議ながら,少しく傷付いた思春期に,感情移入しては, いかばかりか砕けた心持で経過を感じていたので,何だか,ホッとして,うるっと。

すべてお肉食で感情までも呑み込んで,取込んでしまえたらそれで良いのだけれど,
切なさや,哀しさ。鎮魂の想いまでは,そんなに簡単に解消していったり…