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寝ヨガなるモノを実践して寝グセを着けるシャーマンの

地球とゆうこの大きな泰山を抱えて眠るのは、
巫病と呼ばれるシャーマン気質に推されてすすむ
まるで、身体を十字のはしるような、気分解除。
本来は、スピリットの付き合いも、友達同士の面と
向かって、お茶をする感じで、帰依などする必要は
ないのかも知れない。手挽きミル挽きも,メモ書きも
画像編集など,写真を私家通貨に換える作業も,何故か
満腹の時にしか行えないのは不思議なのだけれど。また,
その風邪を引かないために,防寒着を着こむことに関して
薄着に倣ってしまうボーイッシュな健康着もあるわけで,
一概に良いものは限定できないのだった。健康解除,或は
身体を十字の走った先には,三島文学の木戸孝允旧宅を訪れた
追憶との多重感覚,とは。マキャベリズムに,フィレンツェの
丸屋根サーモンピンク照り返る夕暮れ時の安宅関に勧進帳と,
天使画を描く修道士には,堅牢な文学お籠り。弁慶,サド。
また,点描するフラ・アンジェリコ。秘密の庭園でフローラ。

何故かしら,川端翁より,三島文学にいたるのは,不可思議な
道程ではないように感じるけれど,ネタを貯めこむことには,
一切に疑問の余地はないにせよ,訪れる春の陽気にのどかに,
脳のフィルターも融け込んでしまう,そんな湧水の汲み所の
周囲に散歩しながら感じる忘我の一瞬もあって良い気のする。
それは,気の付いた頃に目覚めの起きるために,天神さんの
用意してくれた,ギフト・オブ・プレゼンス。のどかさに,
我を忘れてしまいましょう。寒暖の差は,暖まるためにある。
そうやって,日の過ぎる頃に一日の振り返りをしてみると,また
あの,芥川先生も仰っていた,折節に現れる女性の影像。彼女は
神功?また,イザナミ母神?そうして,アマテラスさん?など,
女性の原型は,その産褥などのシンボル形象に当って,必ず贖罪の
モチーフにならざるえない人生訓のあって,そうして,こうして
神社やフラワーパークなどを歩いて,自分の罪業について考える。
アレクセイ・ミハイロヴィチとゆうモスクワ大公の肖像に我が映し鏡は
語ってくれたり,しかしながら,ベートーヴェンや,トルストイ,また
ソクラテスなどの,貴族の源流は背負いきれない重荷から,すぐに想像を
止めてしまう。降ろした荷物からは,やはり,イザナミ母神のように,
細雪の谷崎,白化粧の高杉晋作。八代吉宗や,光明皇后などのまかないきれない
想起を求めて,なんだ。なんだろう?僕は,もっと内実豊かな,燃えたぎる何か?

地球の長老としての,グレン・グールドの演奏を聴きながら,それらは
田園交響曲のリスト編曲によるピアノ演奏であったり,皇帝コンチェルトであって
またイタリア協奏曲や,そうしてブランデンブルグ協奏曲はなかった?などと訊く。
トルストイのクロイツェル・ソナタなども怖ろしいモノで,冒頭のマタイ福音書の
眼で犯した者は,などのくだりは本当にゾッとするので,その辺は貴族的だったり,
また,キケローの老年の豊かさを語る者としての姿も,実に高貴であるのだった。
そうして,毒酒をあおるソクラテスの弁明なども,クリトンと合わせて,岩波文庫の
第一位であった,中学時代には,まずクラシックの勉強として,カール・ベーム指揮の
一番と,英雄交響曲を聴いていて,今でも名盤である。諸葛亮など,天気を操ったそうで
それは意外と簡単に気の持ちようでどうにでもなるだろう?などうそぶいている横では,
カール・マルテルの鉄器による怒涛の狂い猛る戦法に,合点のゆく想いをいたし,それで
ルターは,ドイツ語訳をひるがえしながら,悪魔の訪れに,やはり香木の匂いなど醸して
いや,これは松ヤニの古びたモノさ?など野性に対して,ひと重の聖書を松明に掲げる。
全ては,この松ヤニの貴族の匂いだ,と気付くのは,彼らは,聖アンナの祖父君である,
などとは荒唐無稽に響くなれど,ロイヤルの,獅子のエンブレムに,地球の長老とはかく
のごとしこのような,壊れきった松の樹液の,また松ぼっくりをリスやムササビの食べて
エビフライになったあの薫りの,松の樹液でエビフライしたら,ああなったであろうあの
燻風の,何故ソレを求めて行かなければならなかったのかの,ソレは,お風呂上がりに,
塗るオリーブ油の香り。また,嗜好品とする明太子のおにぎりは我慢する夜更けの,あの
お茶をすする熱いお茶を,もう月は昇り始めた朧月夜。



こちらは如何?

とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。

白黒の隈を着けて,いつもよりも浅煎りの珈琲豆を一杯のお代わりを 受けて,淹れなおす。家の台所は,さながらカレー屋さん気取りの, とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。 とにかくもゴッコ気取りで楽しみながら遣りすごす,台所での一時。 ダサいと言っては,何だけれど,バランスの好いのはそうゆうことだ。 そうして,そうゆうダサさをこそ,落ち着いているとして好む,そんな 白と黒を半分ずつ割って入れるようにして,豆乳オーレにして頂く珈琲は, 真皮に黒を抱きながら,表面きっての自分自身は,笑顔で白を通す,その 面白さは微笑みより訪れるので,にっこり気持ちは構えて,ダサさを通す。 それでしか淹れられない,なかなか浅煎りは,カフェオーレでしか入らない。
追及しては,戻ってくるのは番犬や番猫で,何だよとゆうばかり,番猫なら 招き猫みたいにスレンダーな物腰で,いいやスレンダーではないか,でも。 多分,何にもいないのだから,彼らにとって,虫の知らせは,いわゆる枯れ尾花 であって,そのざわめきや囁きのようにして聴こえる,彼らにとっては雑貨店。 トフィーのような濃厚な滑り出しで,カフェオレに合わせながら眺める,こんな 洋菓子店をめぐるように猫などの物腰の豊かさを側に置いて,ぼくは先日のあの ロイヤルウェディングの様子を想いだす。白馬のリードしている子の,ちょっと 荒れているのには,繁華街に急に放り込まれた武士のようなイメージで,そりゃあ 興奮し,混乱もなさるでしょう?とは,そればかり心配してはいなくても,やっぱり パレードの壮大さは計り知れない。ダイナミックであり,本当に生命力学的にもっとも ハラハラもし,手に汗握る。この悠長にはPCの前に座りながら,安堵して,折り畳む。

基本的にはまた紅茶とキャラメルを合わせる感じで良いと思うのだった。ちょっとした
あの渋味と,焦げているような甘味のあいだで,切なさと勇気を半分ずつにおおげさに
振る舞っている。週末を終えて,家族サービスとゆう毎度のほどでもないのだけれど,
毎日に平日のスタートを切る僕にとっては火曜日。風邪を引いてると体力よりも果敢に
すすめないのでこうゆう話題になっているけれど,それも治った後の話として,本当に
スタートを切られることに,爽やかな活発さをさえ抱いている,早速まだ沸かしたてで
すこし温湯のお茶を頂い…

憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど様々

前世ゲームとは言え,嵌入しきって書物の渉猟をすることは,最も
アクティブな瞬間で,それはインナーに居て,集中度の高まる体験。
憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど
様々あるけれど,それは研究意欲としてそうなのであって,きっと以て
どれでも良いはずの日常と,外側の経験則のなかでは処世術としては
仲介されえない範囲の事柄ではある。なので,運筆とゆう詩性に向かって
コンスタントに埋没しきることのなかにも夕暮れ時に適うような,そんな
”前世”=書物文化のあって良いはずだ。転生とゆうことは,それほどまでに
コンセントレーションの中に含まれていて,一種の隠喩のようにそこにある。
それで,いま没我した自分は転生している,うん。それで良いじゃないのか?
例えば,自意識のうちで,第一に身体を漱石山人より,次に生命力を太宰さんに
三番目には意識的に明るさを芥川氏より頂き,個我みたいなモノは三島文学より。
僕の竜退治のミカエルは彫刻家のロダン=文学にF.ラブレー=透視にスウェーデンボリと
言った大家より受け賜って,ジヨットのイコンにおける精神性において開花する。など
ここまで自意識的に説明したところで,それらは”前世”とは関連のないことではある。
集中力に謎解きの扉を開く鍵のあることを知悉して,ようやく,眠りに就けそうである。
渾然一体となってファンタジーは,一度死に,二度目に産まれる魂に対して,何らかの
ギフトを与える。集中力によって,ソウルは再び現れた記念として,”前世”の贈り物を
授かるのだった。そうやってゆこう。黄昏に,贈り物としての言葉を貰うようにして,
やっぱり夕餉の匂いは良いモノである。そこかしこに湯気の上がって,昔はさながらの
薪のくべられた薫りなど漂っていたろう。こうやって,時代は溯られれば,魂のうちに
何らかの,記憶=ファンタジーを得ることのできるはず。

急に,突然の報せのように,白い聖母信仰のほうへ寄りかかって行きそうな気さえして。
夕餉の匂いにのせられて,それらは,ふわりふわり声明を携えて近づいてくる。夕暮れに
不可思議な想いを感じ取らせながら。この白い芳香は何処から遣って来て,今さらながら
ついにこの辺りまで,ついの最近までは,いったい何処に居られたのでしょうくらいの,
何だか不可思議にふわりふわりと感じられる香りなのであった。良い…

季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。

人文的な要素のないと言葉の発想も浮かんではこないもので,なおさら まだまだメモしておきたいことのありそうで,けれども,もうこんなにも 季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。雨煙に 合わせて,ヒーリングのアロマ・ミュージックなる分厚い音楽を掛けながら そのブランケットにくるまれて温かい心持ちをして,人文的より,また素描。 ああいう荒野にそっくり掘り込まれた教会遺跡群などは,もうイニシエートの それら現代のクラブシーンだったのだろうか?僕はその際,家で,お茶を啜る あのインナースタイルの静かなもんだったろう。なんて,基本的に動くとゆうか 家の中を満たすひとつの酵素で生きていたい。生活の匂いは,家の樹々の香り。 肉食には,昔の突っかかりを感じて,なかなか馴染めないけれど,元気は出る。 美味しさに賦活されて,文化的に色々楽しめることを良しとしては,けれども 今となっては,雨に巻かれてウッディな温もりに浸透されることの,浄福なので。

咳や熱風邪も,一度肺炎になった?と感じ始めたところで,一気にスノーマンの 夢を見て瓦解するように退けて行った。その余韻に燻製チップのような薫香の, ハートあたりに漂って,それはまた幸せな健全さの回復を予想させるので,納得。 燻製や北国のイメージは,やがてその厚くなった肺や気管の様子を想像させて, それでロマネスクなのだった。北国は,やがて魔の山も克服して,こうして篤く 人のこころを暖めてくれる。けれど,だからといって,こうゆう時に何かお肉食を 試みたくなる。本当に,篤い人生を効果的に造りだしたいのだ。むしろ,厚く強く。 豚肉の小間切れを,醤油麹とみりんで,お酒を加えながら,すこし甘味噌など足して 玉ねぎ,白ネギと共に炒めてみたのだった。奥さんは仮眠中なので,起こして頂ける ような料理だとは思えないので,ソファの近く,炊き込みご飯を解凍したのと,側で 摘んでいた。明日は英国のロイヤルウェディングだと,ニュースでしていて,思わず 感涙してしまい,僕も不可思議ながら,少しく傷付いた思春期に,感情移入しては, いかばかりか砕けた心持で経過を感じていたので,何だか,ホッとして,うるっと。

すべてお肉食で感情までも呑み込んで,取込んでしまえたらそれで良いのだけれど,
切なさや,哀しさ。鎮魂の想いまでは,そんなに簡単に解消していったり…