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極細挽きで、エチオピア豆を多めに淹れる。沸かす鉄瓶

塩漬けのサバを、米酢で昆布締めしたモノを、
不謹慎にも、バゲットの溶かしバターに付けて、
ピチャピチャ啄む何だかもう、ワインに興じて。
最終的には、赤ワインと、里芋の煮ころがしに
バターを加えて、くい、と一杯呑んだら、珈琲を
淹れだした。100g100円の、ブラジル&エチオピアの
父が新しく新調したとゆうセラミック刃ミル挽きにて。
粗めの調整ができずに、カップスプーン3杯は、
きっと多すぎて、極細挽きの、ビターなドリップ、
まだ、信玄餅や、チョコのガナッシュが供されて
とてつもなく安心して頂くことの出来た、平和な夜。
靴下と、ボア起毛のズボン履き、どんぐり帽を嵌めて
完全にインナーダウンなど着て潜り込めば、最近は
通知をオンに設定したJアラートの仕組みに安心して。
お茶も、ミネラルウォーターでなくっても、水道水にて
沸かしたてのを、自室のテーブルの上に据えながら、この
滑り込む夜の帳に、どんなつづれ織りのしてあるのか、を。
まにまに楽しみにして眠る。静かな夜で、ありますことを。

カントは大洋にコロンブスの卵を傾けて、東方見聞録を知悉した。
睡蓮の目下の見せ場は、樽のディオゲネスみたいに、デカダンを
さらに、貴族的に昇華する美学を表現できているかだろう。
クッションを三段に重ねて丁度いいので、こんなに静かな夜は
酔い覚めに友達夫婦の持ってきてくれたチョコアイスバーを、
かじっては、しまい、かじっては、お茶を啜るのだった。
また、幻想の始まり、闘犬を催す、北条高時の扇と発破には、
中臣鎌足や、坂本龍馬の精悍さに、源九郎義経の眼光などが、
太宰の俯むき加減の清澄さにつながり、またも、僕らは、彼の
犬には筋肉を付けるために駈けさせるのだよ、遊びによってね?
小松菜を沢山食べるのは、その土地の水分を吸収するためさ。
酔い覚めには身体の揺れる気がするでしょう。とんぼ玉のように、
などなど、さまざまな疑問を、身体には応えて暮らしている。
彼の、それら疑問符に答えを追及しながら解決策には、常に
肴のご褒美を与えてくれる、そんな繊細な優しさに、スピリットは
草食的少年性の知性なのだ。そういえば、独眼竜政宗公も、そんな
植物的スピリチュアリティーを、携えて同行されていた、そんな
道程の素晴らしい精神のあったことを、忘れられないのだった。

ブラウンエールのような、細挽きのエスプレッソ風エチオピア豆は
今頃になって、健やかな思い出を風になって吹かしてくれるから。
今度は、しっかりカップスプーン2杯に、中挽きくらいには
して、試してみよう。そうやって、春の訪れを若干淋しくも想いながら
この休みの終焉を、更にはもうすこしは酵素的な生活に、高めて
行ってみよう。など、理想を求めて、瞑目して行く、夜は永いのだった。
桜の咲くのは本当に終焉の姿では、ないのだろうか?ホントに、
それは、有終の美には咲かせる花の見事に可憐で早いこと、よとは
そう、言っては、酒を酌み交わすことで、良い年を迎えられて、
そんな気概にシフトしてゆく、春はパラダイムシフトの切なさよ
なんて、もうすぐ、お酒にあらずとも十分にアイスバーや、
春眠暁を覚えずで、通っていますよ、ループホールを循環する。
そんなようにして、紅く染まった朝日に溶岩の陰を迫っておいて、
またも遣って来る、闘犬好きの土佐の猛者には、あなたのルーツは
トリプルルッツの、あの高時さんですよ、しっかり御覧なさい宴とは
香を焚いても終わらない、鼻に着いて永遠に終わらない、記憶の
永遠の記憶のことを言うのだから、返って記憶を汚さないように
気を付けなさい、そんな酒を呑むのですよ。夜には静かな椅子の降る
チョコのアイスバーは、甘すぎずチップの入っていると好いですな
それが、記憶の良質なファンタジーとゆうモノですが、しっかり
お眠りなさい、もう半袖とTシャツに、暖房も要らない頃合いの
すぐに訪れてくるでしょう。夜の闇には、改革者のサンタのように、
靴下へ、処世マニュアルを毎晩含んで、あなたは無意識にそれを読んで。



こちらは如何?

とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。

白黒の隈を着けて,いつもよりも浅煎りの珈琲豆を一杯のお代わりを 受けて,淹れなおす。家の台所は,さながらカレー屋さん気取りの, とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。 とにかくもゴッコ気取りで楽しみながら遣りすごす,台所での一時。 ダサいと言っては,何だけれど,バランスの好いのはそうゆうことだ。 そうして,そうゆうダサさをこそ,落ち着いているとして好む,そんな 白と黒を半分ずつ割って入れるようにして,豆乳オーレにして頂く珈琲は, 真皮に黒を抱きながら,表面きっての自分自身は,笑顔で白を通す,その 面白さは微笑みより訪れるので,にっこり気持ちは構えて,ダサさを通す。 それでしか淹れられない,なかなか浅煎りは,カフェオーレでしか入らない。
追及しては,戻ってくるのは番犬や番猫で,何だよとゆうばかり,番猫なら 招き猫みたいにスレンダーな物腰で,いいやスレンダーではないか,でも。 多分,何にもいないのだから,彼らにとって,虫の知らせは,いわゆる枯れ尾花 であって,そのざわめきや囁きのようにして聴こえる,彼らにとっては雑貨店。 トフィーのような濃厚な滑り出しで,カフェオレに合わせながら眺める,こんな 洋菓子店をめぐるように猫などの物腰の豊かさを側に置いて,ぼくは先日のあの ロイヤルウェディングの様子を想いだす。白馬のリードしている子の,ちょっと 荒れているのには,繁華街に急に放り込まれた武士のようなイメージで,そりゃあ 興奮し,混乱もなさるでしょう?とは,そればかり心配してはいなくても,やっぱり パレードの壮大さは計り知れない。ダイナミックであり,本当に生命力学的にもっとも ハラハラもし,手に汗握る。この悠長にはPCの前に座りながら,安堵して,折り畳む。

基本的にはまた紅茶とキャラメルを合わせる感じで良いと思うのだった。ちょっとした
あの渋味と,焦げているような甘味のあいだで,切なさと勇気を半分ずつにおおげさに
振る舞っている。週末を終えて,家族サービスとゆう毎度のほどでもないのだけれど,
毎日に平日のスタートを切る僕にとっては火曜日。風邪を引いてると体力よりも果敢に
すすめないのでこうゆう話題になっているけれど,それも治った後の話として,本当に
スタートを切られることに,爽やかな活発さをさえ抱いている,早速まだ沸かしたてで
すこし温湯のお茶を頂い…

憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど様々

前世ゲームとは言え,嵌入しきって書物の渉猟をすることは,最も
アクティブな瞬間で,それはインナーに居て,集中度の高まる体験。
憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど
様々あるけれど,それは研究意欲としてそうなのであって,きっと以て
どれでも良いはずの日常と,外側の経験則のなかでは処世術としては
仲介されえない範囲の事柄ではある。なので,運筆とゆう詩性に向かって
コンスタントに埋没しきることのなかにも夕暮れ時に適うような,そんな
”前世”=書物文化のあって良いはずだ。転生とゆうことは,それほどまでに
コンセントレーションの中に含まれていて,一種の隠喩のようにそこにある。
それで,いま没我した自分は転生している,うん。それで良いじゃないのか?
例えば,自意識のうちで,第一に身体を漱石山人より,次に生命力を太宰さんに
三番目には意識的に明るさを芥川氏より頂き,個我みたいなモノは三島文学より。
僕の竜退治のミカエルは彫刻家のロダン=文学にF.ラブレー=透視にスウェーデンボリと
言った大家より受け賜って,ジヨットのイコンにおける精神性において開花する。など
ここまで自意識的に説明したところで,それらは”前世”とは関連のないことではある。
集中力に謎解きの扉を開く鍵のあることを知悉して,ようやく,眠りに就けそうである。
渾然一体となってファンタジーは,一度死に,二度目に産まれる魂に対して,何らかの
ギフトを与える。集中力によって,ソウルは再び現れた記念として,”前世”の贈り物を
授かるのだった。そうやってゆこう。黄昏に,贈り物としての言葉を貰うようにして,
やっぱり夕餉の匂いは良いモノである。そこかしこに湯気の上がって,昔はさながらの
薪のくべられた薫りなど漂っていたろう。こうやって,時代は溯られれば,魂のうちに
何らかの,記憶=ファンタジーを得ることのできるはず。

急に,突然の報せのように,白い聖母信仰のほうへ寄りかかって行きそうな気さえして。
夕餉の匂いにのせられて,それらは,ふわりふわり声明を携えて近づいてくる。夕暮れに
不可思議な想いを感じ取らせながら。この白い芳香は何処から遣って来て,今さらながら
ついにこの辺りまで,ついの最近までは,いったい何処に居られたのでしょうくらいの,
何だか不可思議にふわりふわりと感じられる香りなのであった。良い…

季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。

人文的な要素のないと言葉の発想も浮かんではこないもので,なおさら まだまだメモしておきたいことのありそうで,けれども,もうこんなにも 季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。雨煙に 合わせて,ヒーリングのアロマ・ミュージックなる分厚い音楽を掛けながら そのブランケットにくるまれて温かい心持ちをして,人文的より,また素描。 ああいう荒野にそっくり掘り込まれた教会遺跡群などは,もうイニシエートの それら現代のクラブシーンだったのだろうか?僕はその際,家で,お茶を啜る あのインナースタイルの静かなもんだったろう。なんて,基本的に動くとゆうか 家の中を満たすひとつの酵素で生きていたい。生活の匂いは,家の樹々の香り。 肉食には,昔の突っかかりを感じて,なかなか馴染めないけれど,元気は出る。 美味しさに賦活されて,文化的に色々楽しめることを良しとしては,けれども 今となっては,雨に巻かれてウッディな温もりに浸透されることの,浄福なので。

咳や熱風邪も,一度肺炎になった?と感じ始めたところで,一気にスノーマンの 夢を見て瓦解するように退けて行った。その余韻に燻製チップのような薫香の, ハートあたりに漂って,それはまた幸せな健全さの回復を予想させるので,納得。 燻製や北国のイメージは,やがてその厚くなった肺や気管の様子を想像させて, それでロマネスクなのだった。北国は,やがて魔の山も克服して,こうして篤く 人のこころを暖めてくれる。けれど,だからといって,こうゆう時に何かお肉食を 試みたくなる。本当に,篤い人生を効果的に造りだしたいのだ。むしろ,厚く強く。 豚肉の小間切れを,醤油麹とみりんで,お酒を加えながら,すこし甘味噌など足して 玉ねぎ,白ネギと共に炒めてみたのだった。奥さんは仮眠中なので,起こして頂ける ような料理だとは思えないので,ソファの近く,炊き込みご飯を解凍したのと,側で 摘んでいた。明日は英国のロイヤルウェディングだと,ニュースでしていて,思わず 感涙してしまい,僕も不可思議ながら,少しく傷付いた思春期に,感情移入しては, いかばかりか砕けた心持で経過を感じていたので,何だか,ホッとして,うるっと。

すべてお肉食で感情までも呑み込んで,取込んでしまえたらそれで良いのだけれど,
切なさや,哀しさ。鎮魂の想いまでは,そんなに簡単に解消していったり…