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知悉するファンタジー,珈琲のエクリチュール。

珈琲の風味と温度は,ちょうど,書き手の問題にエクリチュール。
ドイツパンに合うものが深煎りだとすれば,ファンタジーを知悉する
そのこと自体の考えることは指先で,例えばアンチテーゼをモノする。
昔に聴いていた音楽達は懐かしく,ノイローゼを経験する手前の選択など
本当に,愛おしい。トルストイや,プルースト,はてはアナトール・フランス。
僕は,ヘミングウェイの気分になったり,ヘッセやマンの素晴らしさに,また
ラブレーのガルガンチュアなどには,ミカエル天使のイメージなどを抱いたり,
ラッセルのハンス・カストルプのようにして,世界を跳梁したりする夢を見た。
夢のなかには地図がある。もうひとつの街は,明らかに,数々の相似点を見出させ
そうして,それは,いわゆる夢の地底世界か何かだろう,そこに眠りの際に訪ねる,
その心地のなかには,やっぱり僕は地上の住人である,知悉するファンタジー,
珈琲のエクリチュール。珈琲を頂いているときにはいつも夢のなかにいるのだから,
知悉するファンタジー,珈琲のエクリチュール。ポルターガイストに誘拐される際に
この夢への招待へ導くモノだろうけれど。確信はないが,この地上には核心があるので
革新的に,確信に触れることもないだろう。ようやく,夢と地上を区別することは出来る。
珈琲の呑み方を,ファンタジックに夢想する趣味はステキだろう,基本的には,極細引の
パウダーのようなドリップで出来たエスプレッソみたいなのには,濃い豆乳など淹れる
心地は,いまだかつて古いようで新しい。なんで,ドーナッツや,マドレーヌみたいなの
には,ブラウンエールのような,デニッシュのキャラメルマーブルのような,あんな濃い
不可思議な温かみの響くのだろう?身体中の瓦解した気分を味わった後に身体中のパキッと
痙攣するような感じは,ものの見事に,疲れを顕しているので,そこをマーブルなブラウン
オニオンシチューみたいな感じで,すぐ癒してしまおう。二年ぐらいは,その考え癖とは
付き合ってきて,こんな珈琲の濃さに,ブラウンマーブルまで行き着いて,ようやく終わり
そうです,この知悉するファンタジー,珈琲のエクリチュール。

お茶を使って,珈琲ドリップすることも,若干ながら過ぎてゆきそうです,これは
意外と水道水の旨さに気づいたが故の効果で,なぜかしら1,2週間は,こうやって
水道水などに落着いても全く問題ないし,それはミニマリズムとゆうよりは,きっと
無我恬淡の,無頓着に失念するほどのナチュラルな指向であるんだろう。実家暮らしに
これほど磁気の違いのような,何だか水道水の違いなのでしょうか。何か,集団的に
霊障めいた心理学的に金縛りの不思議のような,ああゆうものは実家には無いのだった
そうやって気付くときに,その際に出来ることをやっておこう。知悉するファンタジー,
珈琲のエクリチュール。ブレスレットなどを手に嵌めて,何か数珠みたいにして眠って,
この夢との区別を体得し。だから努力することは,岩戸開きのように,夢の世界を,
もちろん主観性で構わない,この僕の夢の世界を開放することなのだった。努力する?
そうであって,何かを目的にする場合の解放宣言に親い,開放傾向に向かう解放指向には
ひとつのベクトルを抱かせる,夢の目的と同一性を含む多目的同一性のような何かのある。
とにかくも夢の開け放たれた際に,目的は増え,世界は殖える。このことによって,多分
幸せも嬉しさも益すだろう。だから,ベクトルに乗っかって努力してしまうのなら,存外
夢とはなんだったの?と問われるほどの快報を求めよう。開放して,解放される,この快報。
傷ついたオオナムチは介抱される。彼は女神の姿をみていないのかもしれず,彼の感じる
癒しは,身体の癒しである。その声を聴くのは,身体の声である。痛みは,死に親いほど
介抱の包帯は靭帯に親い響きで,彼のまた,身体の記憶にして,ひしひしと女神性を刻印。

そんなにお茶を沢山飲めるものでもない。と,一日2リットルは呑んでいた頃合いに比して
今は,2日で1リットルくらいだ。沸かす量も減らせば,思考の総体も減量された気のする
日も長くなってきて,暖かくなったり冷えてしまったり,ごくたまに暖房を入れるような
天気で,僕のオリジナルを求めて,クリスチャニティの植物的ダンディズムに嵌ったり,
あるいは,ヘミングウェイのハードボイルドカリブーのなかへ飛び込んでみたりして,
トルストイの貴金属的ロマネスクには,プルーストのデモーニッシュアカデミズムによって
バランスを保とうとする。書物の渉猟文化はハッキリ言って,前世ゲームと等しいのだけど
それは,結論を言って,早くどの本に手が伸びるか?とゆう,何を知悉すべく読書するか?
の単一の疑問以外にはない等しいタイプのイマジネーションコスプレイズムによるモノ,
そうだと気づいた。僕は頭の中で書棚を探るのだった。今の衣装は,何だろう?さては,
漱石山人の倫敦塔。また,大英博物館に戻ってきた。ここは,太閤秀吉の桃山文化にも
通じるような,絢爛な記憶を宿した,黄金のクラシカル文化館であるので,やっぱりそこで
千畳閣は安芸宮島にあるとゆう建設途中で半ば敗れた桐の葉の彼の,神としてマーブルな
デモーニッシュ・ダンディ・アカデミーの裡に座し,このブラウニーな柱を夢中に処す,
やっぱり,ブラウン・マーブル・デニッシュなど本当に,いま僕は食べたいのだろうか?
前世ゲームをして,倫敦塔を択んで,デニッシュのチョコマーブルなどのことを考える,
この,書物の渉猟以外の,食物グルメのイメージの中にも,彼らの前世は含まれるようだ
から,なので,美味しいとか,面白いなどの事柄は,そもそも歴史を懐古させる,何かの
美酒エッセンスを香らせるようだ。






こちらは如何?

とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。

白黒の隈を着けて,いつもよりも浅煎りの珈琲豆を一杯のお代わりを 受けて,淹れなおす。家の台所は,さながらカレー屋さん気取りの, とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。 とにかくもゴッコ気取りで楽しみながら遣りすごす,台所での一時。 ダサいと言っては,何だけれど,バランスの好いのはそうゆうことだ。 そうして,そうゆうダサさをこそ,落ち着いているとして好む,そんな 白と黒を半分ずつ割って入れるようにして,豆乳オーレにして頂く珈琲は, 真皮に黒を抱きながら,表面きっての自分自身は,笑顔で白を通す,その 面白さは微笑みより訪れるので,にっこり気持ちは構えて,ダサさを通す。 それでしか淹れられない,なかなか浅煎りは,カフェオーレでしか入らない。
追及しては,戻ってくるのは番犬や番猫で,何だよとゆうばかり,番猫なら 招き猫みたいにスレンダーな物腰で,いいやスレンダーではないか,でも。 多分,何にもいないのだから,彼らにとって,虫の知らせは,いわゆる枯れ尾花 であって,そのざわめきや囁きのようにして聴こえる,彼らにとっては雑貨店。 トフィーのような濃厚な滑り出しで,カフェオレに合わせながら眺める,こんな 洋菓子店をめぐるように猫などの物腰の豊かさを側に置いて,ぼくは先日のあの ロイヤルウェディングの様子を想いだす。白馬のリードしている子の,ちょっと 荒れているのには,繁華街に急に放り込まれた武士のようなイメージで,そりゃあ 興奮し,混乱もなさるでしょう?とは,そればかり心配してはいなくても,やっぱり パレードの壮大さは計り知れない。ダイナミックであり,本当に生命力学的にもっとも ハラハラもし,手に汗握る。この悠長にはPCの前に座りながら,安堵して,折り畳む。

基本的にはまた紅茶とキャラメルを合わせる感じで良いと思うのだった。ちょっとした
あの渋味と,焦げているような甘味のあいだで,切なさと勇気を半分ずつにおおげさに
振る舞っている。週末を終えて,家族サービスとゆう毎度のほどでもないのだけれど,
毎日に平日のスタートを切る僕にとっては火曜日。風邪を引いてると体力よりも果敢に
すすめないのでこうゆう話題になっているけれど,それも治った後の話として,本当に
スタートを切られることに,爽やかな活発さをさえ抱いている,早速まだ沸かしたてで
すこし温湯のお茶を頂い…

憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど様々

前世ゲームとは言え,嵌入しきって書物の渉猟をすることは,最も
アクティブな瞬間で,それはインナーに居て,集中度の高まる体験。
憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど
様々あるけれど,それは研究意欲としてそうなのであって,きっと以て
どれでも良いはずの日常と,外側の経験則のなかでは処世術としては
仲介されえない範囲の事柄ではある。なので,運筆とゆう詩性に向かって
コンスタントに埋没しきることのなかにも夕暮れ時に適うような,そんな
”前世”=書物文化のあって良いはずだ。転生とゆうことは,それほどまでに
コンセントレーションの中に含まれていて,一種の隠喩のようにそこにある。
それで,いま没我した自分は転生している,うん。それで良いじゃないのか?
例えば,自意識のうちで,第一に身体を漱石山人より,次に生命力を太宰さんに
三番目には意識的に明るさを芥川氏より頂き,個我みたいなモノは三島文学より。
僕の竜退治のミカエルは彫刻家のロダン=文学にF.ラブレー=透視にスウェーデンボリと
言った大家より受け賜って,ジヨットのイコンにおける精神性において開花する。など
ここまで自意識的に説明したところで,それらは”前世”とは関連のないことではある。
集中力に謎解きの扉を開く鍵のあることを知悉して,ようやく,眠りに就けそうである。
渾然一体となってファンタジーは,一度死に,二度目に産まれる魂に対して,何らかの
ギフトを与える。集中力によって,ソウルは再び現れた記念として,”前世”の贈り物を
授かるのだった。そうやってゆこう。黄昏に,贈り物としての言葉を貰うようにして,
やっぱり夕餉の匂いは良いモノである。そこかしこに湯気の上がって,昔はさながらの
薪のくべられた薫りなど漂っていたろう。こうやって,時代は溯られれば,魂のうちに
何らかの,記憶=ファンタジーを得ることのできるはず。

急に,突然の報せのように,白い聖母信仰のほうへ寄りかかって行きそうな気さえして。
夕餉の匂いにのせられて,それらは,ふわりふわり声明を携えて近づいてくる。夕暮れに
不可思議な想いを感じ取らせながら。この白い芳香は何処から遣って来て,今さらながら
ついにこの辺りまで,ついの最近までは,いったい何処に居られたのでしょうくらいの,
何だか不可思議にふわりふわりと感じられる香りなのであった。良い…

季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。

人文的な要素のないと言葉の発想も浮かんではこないもので,なおさら まだまだメモしておきたいことのありそうで,けれども,もうこんなにも 季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。雨煙に 合わせて,ヒーリングのアロマ・ミュージックなる分厚い音楽を掛けながら そのブランケットにくるまれて温かい心持ちをして,人文的より,また素描。 ああいう荒野にそっくり掘り込まれた教会遺跡群などは,もうイニシエートの それら現代のクラブシーンだったのだろうか?僕はその際,家で,お茶を啜る あのインナースタイルの静かなもんだったろう。なんて,基本的に動くとゆうか 家の中を満たすひとつの酵素で生きていたい。生活の匂いは,家の樹々の香り。 肉食には,昔の突っかかりを感じて,なかなか馴染めないけれど,元気は出る。 美味しさに賦活されて,文化的に色々楽しめることを良しとしては,けれども 今となっては,雨に巻かれてウッディな温もりに浸透されることの,浄福なので。

咳や熱風邪も,一度肺炎になった?と感じ始めたところで,一気にスノーマンの 夢を見て瓦解するように退けて行った。その余韻に燻製チップのような薫香の, ハートあたりに漂って,それはまた幸せな健全さの回復を予想させるので,納得。 燻製や北国のイメージは,やがてその厚くなった肺や気管の様子を想像させて, それでロマネスクなのだった。北国は,やがて魔の山も克服して,こうして篤く 人のこころを暖めてくれる。けれど,だからといって,こうゆう時に何かお肉食を 試みたくなる。本当に,篤い人生を効果的に造りだしたいのだ。むしろ,厚く強く。 豚肉の小間切れを,醤油麹とみりんで,お酒を加えながら,すこし甘味噌など足して 玉ねぎ,白ネギと共に炒めてみたのだった。奥さんは仮眠中なので,起こして頂ける ような料理だとは思えないので,ソファの近く,炊き込みご飯を解凍したのと,側で 摘んでいた。明日は英国のロイヤルウェディングだと,ニュースでしていて,思わず 感涙してしまい,僕も不可思議ながら,少しく傷付いた思春期に,感情移入しては, いかばかりか砕けた心持で経過を感じていたので,何だか,ホッとして,うるっと。

すべてお肉食で感情までも呑み込んで,取込んでしまえたらそれで良いのだけれど,
切なさや,哀しさ。鎮魂の想いまでは,そんなに簡単に解消していったり…