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2月, 2018の投稿を表示しています

中挽きの、なめらかなスポンジを造って気持ちよく淹れるモカ豆

誰よりも先にお風呂に浸かって、上がれば
皆に先立って、赤ワインを注いで、沢庵や、 甘酒や、牛乳や、梅干しの、ごぼう巻きの欠片などで 一杯先立つのだった。そうやって、写真を撮って 画像加工していれば、いわしの煮付けや、地酒を お豆腐の甘煮などと合わせて、ほうれん草などを 摘みながら、珈琲を淹れ出した。ミルはすり切り カップスプーン2杯に、中挽きで、カリカリ、と。 しばらくして、放置していた準備を思い出して、 沸かした鉄瓶の白湯は実にスポンジケーキの如く 軽妙な泡立ちをみせて、すぐに透過する。まるで 臭みもない、すこしの苦味をのこした、何とゆう ことのない普通の味。だけれど、その普通の味わい の、抽出することの難儀なことなのだった。シナモンの たっぷり含まれた人参ケーキを、母が友人よりの 頂き物でご相伴。むしろ、コーヒーには、ミルクを 入れて、静かな薄いカフェオレで、充分なのだった。 肝臓には沢山の甘味を含んでいることだろう。そして、 その業の集積こそコミュニティの発端であるはずだ。 また、隠棲し解脱を試みる修験者は、そこはかとなく その肝臓より業の集積を抜いてゆく、これによって 往生するといった感覚が、清浄さを求めるアートなのだ。 僕は、健康指導である所まで、その甘味の業を抜いてみて 思ったことがある。それは、業の集積を抜くより、 むしろ、その甘味こそが、コミュニティを発生させるのだ、 としたのなら、私の肝臓を頂くような気持ちで、外部の 抽出状態は循環するように内面の治療効果を発揮するのだ として、業を以って業を制す、とは、ホメオパティックに、 それら、業の効果を知悉して良質なファンタジーを産む 一助として、お酒も嗜んでは想う、酵素うごめく春の夜なのだった。

そうして、再び違う夜の遣って来て、僕はまた、 ひとっつの気づきを携えて同行しているスピリットと、
"意味は無意味のまわりを、回遊しているね?" -うん、相変わらずだね?-
など、対話に違いない無言の知悉を繰り返す、
"真実は普通に演り過ごすしかない?" -そのようだね、きっとそのようだよね?-
など、またも意義のない所へと辿り着くと、
"やっぱり、世界を変えたいよね?" -って、想うよね?欲望と遊ぶしかない?-
など、いかにありのままで居るかに、ついては 両者スピリットも自我…

極細挽きで、エチオピア豆を多めに淹れる。沸かす鉄瓶

塩漬けのサバを、米酢で昆布締めしたモノを、不謹慎にも、バゲットの溶かしバターに付けて、 ピチャピチャ啄む何だかもう、ワインに興じて。 最終的には、赤ワインと、里芋の煮ころがしに バターを加えて、くい、と一杯呑んだら、珈琲を 淹れだした。100g100円の、ブラジル&エチオピアの 父が新しく新調したとゆうセラミック刃ミル挽きにて。 粗めの調整ができずに、カップスプーン3杯は、 きっと多すぎて、極細挽きの、ビターなドリップ、 まだ、信玄餅や、チョコのガナッシュが供されて とてつもなく安心して頂くことの出来た、平和な夜。 靴下と、ボア起毛のズボン履き、どんぐり帽を嵌めて 完全にインナーダウンなど着て潜り込めば、最近は 通知をオンに設定したJアラートの仕組みに安心して。 お茶も、ミネラルウォーターでなくっても、水道水にて 沸かしたてのを、自室のテーブルの上に据えながら、この 滑り込む夜の帳に、どんなつづれ織りのしてあるのか、を。 まにまに楽しみにして眠る。静かな夜で、ありますことを。
カントは大洋にコロンブスの卵を傾けて、東方見聞録を知悉した。 睡蓮の目下の見せ場は、樽のディオゲネスみたいに、デカダンを さらに、貴族的に昇華する美学を表現できているかだろう。 クッションを三段に重ねて丁度いいので、こんなに静かな夜は 酔い覚めに友達夫婦の持ってきてくれたチョコアイスバーを、 かじっては、しまい、かじっては、お茶を啜るのだった。 また、幻想の始まり、闘犬を催す、北条高時の扇と発破には、 中臣鎌足や、坂本龍馬の精悍さに、源九郎義経の眼光などが、 太宰の俯むき加減の清澄さにつながり、またも、僕らは、彼の 犬には筋肉を付けるために駈けさせるのだよ、遊びによってね? 小松菜を沢山食べるのは、その土地の水分を吸収するためさ。 酔い覚めには身体の揺れる気がするでしょう。とんぼ玉のように、 などなど、さまざまな疑問を、身体には応えて暮らしている。 彼の、それら疑問符に答えを追及しながら解決策には、常に 肴のご褒美を与えてくれる、そんな繊細な優しさに、スピリットは 草食的少年性の知性なのだ。そういえば、独眼竜政宗公も、そんな 植物的スピリチュアリティーを、携えて同行されていた、そんな 道程の素晴らしい精神のあったことを、忘れられないのだった。
ブラウンエールのような、細挽きのエスプレッソ風エチオピア豆は 今頃になって、健やかな思い出を風になって吹かしてく…

あんぽ柿を大吟醸で,燭台の黄緑と,マグカップの薄紫。

実家に帰ると,とんでもないお酒を頂くことのできる,あの
大吟醸で無濾過生酒など,地酒の甘いこと甘いこと。辛口とは
描いてあるけれど,どこか甘いのだった。そんなモノを,あんぽ柿の
干し柿熟柿に合わせて,あいだで肴をたべながら,ちゃんぽんで赤の
ボジョレーを頂いた。今日はグルメの香味スパイスめぐりとゆうことで
山間部の道の駅などを廻って,三種類の梅干しと,スティックブロッコリーを
購って帰る折の,そんな賞味期限切れかけの塩ベーコンと炒めてワインに,
実家の燭台は黄緑色の真鍮製で,そのコースターも黄緑の刺し子織りのモノ。
また,お茶を淹れるマグもラベンダー色のカップに,コースターは偶然,その
ラベンダーの刺し子である。身体中を龍神の駆け巡るような幻想を憶えて,
三種のブレスレットを嵌めて横になる。久しぶりに寝落ちとゆう奴を経験しそう
なのだった。ミカエルは,アマゾンよりヨーロッパへ。ウリエルは,アフリカより
アメリカへ。ガブリエルは黄河流域より日本へも拡がり,またもラファエルは,
チグリスユーフラテスよりメコン川インドそうしてイギリスにいたって,春。
そんな夢を見て,ちゃんぽん思想に師走並みにぐでんとしながら起き上がって
それで,十五穀米とゆう紫っぽいご飯に,オリーブ油と醤油で,納豆かけにして,
その方がむしろ卵よりつなぎには良いのかもしれない,など,ゆっくりとして,
例えば,オリオンの宮沢賢治のいて,ニーチェ=マザーテレサの修道士の苦行に,
倫敦者のアイザックニュートンは男性的に自我を与えてくれるのを,さて芥川氏は
女性性に守護して介抱をする野辺の寄宿には,彼らの中心は,孟子=スターリンを
結ぶ何らかの,革命指向なのだと気付くのだった。殉教した聖ヴァレンタインの遺した
あの,香ばしいカカオの実の焙煎のようなものなのだろう。

まるで、そこかしこの庭の地下より、赤いトマト果汁の ようなマグマか、硫酸の血潮みたいな地球の声を聴くと、 それは、フェミニストパッションならぬ、南国のフルーツは、 あそこに溶岩ドーム温泉などあるから、あんなパッショネイトの そんなような往生する浄土のような気概を一身に受けたり もする。木目調に脂の載った、イザナミシュタイナーとも 呼ぶべき、日本の神秘学受容は、まるで妖怪以前に、神さまの 居場所は、まさにそんなマグマ帯の中に、含まれていたよう。 ペレ…

太陽に棲む祖霊に物申す、とゆう体験そのモノ

昨夜は、24cmの赤いホーローは、ひと玉の白菜で、豚肉を挟んでのミルフィーユ鍋とやら 家族4人で空っぽになった。そして、翌朝である。 まだ、空の鍋には、底に白菜の煮汁がたまって 僕は、細うどん、たまご、ポン酢で、簡単に 煮込んで、啜りあげていた。それは、体験。と 呼ばれる、生きる身体性そのモノだった。その 栄養失調に克己消耗される、思春期のハードさを ミルフィーユのように挟んで、また糖代謝を、いや 初めて、糖とゆう中身の体験をすることのできた 生きること、消化すること、酸化還元の美学を、 それら体験するモノの総称を、あえて糖代謝をして 代弁できるのなら、本当にそれは、体験された。 まるで、太陽の祖霊の中に活きて、課題とはあの 甘さを知悉する、甘受し享受される、糖のこと。
きっと、元より頭のセロトニンとやら、糖代謝の 基礎になる酵素を、僕は持って来なかったらしい のだった。なので、自家発電するセロトニン機構を、 あえて発生されるためのコツをのべるのならば、 一度、丹田あたりの神経叢に、アルコールなどの チョコレートロッソのような赤い血潮を充溢させる、 そんなイメージだろうか?血潮は充血し、それは チョコレートだ。太陽の祖霊はショコラロッソ。 溶岩ドームで仕立てられた温泉に浸かるように、 太陽の中にスッポリはまり込んでいる気持ちは、 暖かいとゆうより、ドキドキと動悸するセロトニンは 血潮のたぎることとは無関係ではない。やがて、 この沸騰するイメージの上で、モンスターのあの パッションは、なぜかしら、熱いアツすぎるその 火の神さまには、燃えること以外しらないのだから、 コミュニティの中では孤立するようで、悪くない、 水も蒸発するのを、燃焼するように、なぜキレるのか? これは、むしろ糖代謝の過ぎることと呼んでいい。 飛んでしまうアルコールに、その内の不安症は 訪れる。水のような還元と、火のような酸化には セロトニンのアルコール蒸留と、あとは、忘我に 何もかも失っては戻ってくる意識に、お水を飲む その暑熱と冷暗の繰り返しは必要なのだろう。
しばらく、燃えることを離れていて、糖代謝は 燃えることで、滝壺の龍は、昇れば太陽で、この チョコレート酒宴に参加して、やっぱり日常には カカオ豆の上昇気流にのることは、大事でもある のだった。なので、グレゴリアンチャントなどは そういった血潮の渦巻きを良く知っている。あの パッション。もうすぐ、タンニンや、カフェインを ポリ…

無際限に再来する,ボンボンのウィスキー香味。

夜にファンタジーの裡に眠ることは,とても大事だ。そんな,
非日常にも親い,無の暗闇に這入りこんで眠る,これは大事。
それで,それの可能な実家リトリート期間のあいだに,僕は
昼間に自然観照に到るノスタルジーな過ごし方を理想とするより,
昼間の自然時間を消化するような,暇つぶしにエンタメを所望する,
この消耗性の時間消化の道程をへて,やがて,それは,アメノタヅクリ。
アナトール・フランスの地下掘削のように,現代神話性を見詰めては,
知悉する。これは,SchreierHarmonicと銘打って,彼の黒い森に棲む
ここはアルプスか何処かの麓に位置する,アーサー王の円卓のようにも
感じられ,それほど眠りの森ファンタジーは,とっても大事だったのだ。

ひとつは酔っぱらっていて窓越しにみる自分の笑顔は,漱石山人や太閤の,
また,バルタザアルやアウグストゥスの高いベルフォールの壁のようにも
感じられ,彼の笑顔は地下を掘削するまで,高い壁に囲われた呪いの宿だ。
要塞の黒い森影に覆われて,ようやく知悉するファンタジーの眠りにおいて
これは,バルタザアルを著した,アナトール・フランスにしか解けない謎だ。
なんて,要塞の壁,地下の開口をまた倫敦塔の呪詛を解く鍵になる,黒い森。
シュライアーハーモニック。何かのコードネームな感じで,僕はアナトール。

そうやって,芥川の侏儒の言葉の作者を,スサノオの傷より癒す,彼は天照の
岩戸開きを手伝う。アメノタヅクリアナトールにしか出来ない,おせちづくり。
想うに芥川は地下に潜りこんでいる。そうして,彼を掘り出さなければならない。
アナトールの趣味は,そういった,ヘロディヤはヘロデを想う,あの敬愛犠牲の
裡に,クライストのヴァン湖湖畔。アランソン公の晩年。クラウディウスのネロ。
僕は,ヘッセの聖母=ジャンヌのような存在に救われて,黒い森に還り,実家の
眠りに,モンスターと共に,その館の主人として,鍵をかける。それは岩戸開き。

無際限に再来する,ボンボンのウィスキー香味。PCのマウスの自失して,ランプ切れ
それでもお気に入りなので肝いりで全ての念を込めて,ひたすらBluetooth探知すれば
やがて,表示だけはされるけれど,認識はされないのだった。どうしても,このハンディを
克服したいのだ。それは,オリンピック商戦とゆうのはマクロコスモス的で,それらを
ミク…

知悉するファンタジー,珈琲のエクリチュール。

珈琲の風味と温度は,ちょうど,書き手の問題にエクリチュール。
ドイツパンに合うものが深煎りだとすれば,ファンタジーを知悉する
そのこと自体の考えることは指先で,例えばアンチテーゼをモノする。
昔に聴いていた音楽達は懐かしく,ノイローゼを経験する手前の選択など
本当に,愛おしい。トルストイや,プルースト,はてはアナトール・フランス。
僕は,ヘミングウェイの気分になったり,ヘッセやマンの素晴らしさに,また
ラブレーのガルガンチュアなどには,ミカエル天使のイメージなどを抱いたり,
ラッセルのハンス・カストルプのようにして,世界を跳梁したりする夢を見た。
夢のなかには地図がある。もうひとつの街は,明らかに,数々の相似点を見出させ
そうして,それは,いわゆる夢の地底世界か何かだろう,そこに眠りの際に訪ねる,
その心地のなかには,やっぱり僕は地上の住人である,知悉するファンタジー,
珈琲のエクリチュール。珈琲を頂いているときにはいつも夢のなかにいるのだから,
知悉するファンタジー,珈琲のエクリチュール。ポルターガイストに誘拐される際に
この夢への招待へ導くモノだろうけれど。確信はないが,この地上には核心があるので
革新的に,確信に触れることもないだろう。ようやく,夢と地上を区別することは出来る。
珈琲の呑み方を,ファンタジックに夢想する趣味はステキだろう,基本的には,極細引の
パウダーのようなドリップで出来たエスプレッソみたいなのには,濃い豆乳など淹れる
心地は,いまだかつて古いようで新しい。なんで,ドーナッツや,マドレーヌみたいなの
には,ブラウンエールのような,デニッシュのキャラメルマーブルのような,あんな濃い
不可思議な温かみの響くのだろう?身体中の瓦解した気分を味わった後に身体中のパキッと
痙攣するような感じは,ものの見事に,疲れを顕しているので,そこをマーブルなブラウン
オニオンシチューみたいな感じで,すぐ癒してしまおう。二年ぐらいは,その考え癖とは
付き合ってきて,こんな珈琲の濃さに,ブラウンマーブルまで行き着いて,ようやく終わり
そうです,この知悉するファンタジー,珈琲のエクリチュール。

お茶を使って,珈琲ドリップすることも,若干ながら過ぎてゆきそうです,これは
意外と水道水の旨さに気づいたが故の効果で,なぜかしら1,2週間は,こうやって
水道水などに落着いても…

三四五郎の、元祖福とのラビリンス。

ウチには、内猫の福チャンと次に三四郎くん、半分外猫の四史郎チャン雌と、完全外猫ボスのゴローくんの、 4匹の飼い猫たちとの実家暮らしが体験できるのです。 中でも、リバウンドして、ノラから四ちゃんと呼ばれるように 釣り目の四史郎くんメスの彼女は、そのまま見た目のオス猫の ようで引き継いだ名前を元に、よんちゃん、よんちゃんと クラシックタビーなんかの雑種と聞くのですが、いちばん 穏やからしいのです。福チャンは、フジ猫とゆうのか、少し 神経質で綺麗な、三四郎はキジ白のハーモニックなボーイ。 ゴローは、馴れ馴れしくも愛想を良くする術に長けた地域の ボスであって、それで、よんちゃんに至っては、リトルミイとか トッポジージョとネズミの名前を付けられて、やっぱり いちばん、穏やかで、さらに、小鳥みたいなキャッキャと鳴いて、 それに、釣り目のタビー種とゆうのが、ポジション的には リバウンドして、さらにゆかしくゆくゆく内猫に抜擢となる故も なかなかの想像に難くないあたり、四史郎ちゃんでメスで、釣り目の リバウンドタビーとゆうところは愛らしさ満点のよんちゃんです。 と、いったところで、 意味を持って、名前を付ければ、そこに隙間の空いて、名句は 産まれないモノである。意義を持って、行こうとするなら、 隙のない、一瞬転じて次の一瞬点に向かうあたりの、呆然と 時間のすぎてゆくのが、当然の陶然の、こんな感じで名付けるのを 良い追憶として、歴史を遡られる印象と親いものとして、 いまも、三ちゃんオスのハーモニックボーイは、ヒザの間に遣って 来て、そんな時折に、太宰=独眼竜=龍馬のような、三者の陰に 彼ら、ゴールデンクリスチャニティの、貴族的牧歌風情を見詰めて、 いちばんホリデー賛美歌などに適した、そうゆう黄金貴族的な ワルターの田園交響曲や、ベネディクト会のグレゴリオ聖歌など、 例えば、過去には 思春期に、若きウェルテルや、道徳形而上学原論、または ショーペンハウエルの読書についてエッセイなど、あと。 いつも、それだけ憶い出せないと言った、読書感想文用の 四冊目は、あれは、コペルニクスの天体の回転について、だった。 若きウェルテルだけ、親友のいいなづけとゆう三角関係に悩んで あの貴族ロマネスクに照らされて、ブランデンブルク協奏曲や、 英雄交響曲に、40番と41番のモーツァルトを聴きながら、今更 こんな、選び方をできた、自分の真面目さに、忠誠心をもって よくぞ遊ばずに、…

ブタコパスタなるモノを造って一宿一飯の恩義。

問題は、ここで何故、豚肉とタコの合わせ方で
アラビアータを造りたい、と決意したのか? 遊びからは、逃れられない。何もない、時こその 静寂なのです、なので、何かあるのが、日常ならば、 意味や遊びからは、意識のある以上、逃れられない。 なので、ブタコパスタを造ってみたのだった。 栄養満点でしょう。元気になるでしょう?そんな 勢いをつけてゆく感じは、悪くなかったのだ。

ニンニクを、三片。白ネギ二本。オリーブ油で炒めて、 その間に、タコをカット・イン!この際に、もう塩胡椒と醤油を、 下味に加えてしまう、グツグツする醤油鍋に、豚肉&鷹の爪。 僕は、具に濃い味の付いているのが好きなので、 多少の熱が通れば、後は、ここで、お酒と烏龍茶タップリを、 臭み取りにて,ひと煮立ち。そうして、ダイスカットのトマトを入れて、 煮込んでいる。申し訳ないのですが、ペンネブタコアラビアータの 体で遣っているので、もう、煮込む間に、パスタも茹でて ソースに絡めてしまいます、あとで食べる方も、その方が 伸びより、ソースの絡みの優先度高くして、美味しく 召し上がられるはず、この賭けをして、夕食にも残るかな? ペンネは、ふた袋用意しています。一宿一飯の恩義にて、 ブタコの遊びを試されて、しばし、静寂のひと時を過ごされたい。 ペンネを、ふた袋も茹でられる際には、オリーブ油少々を 垂らしておくと、すぐに団子に堅まってしまうのを避け、
これは裏技で、とある、大量茹での時に教えてもらいました。

例えば、ポルターガイスト・エスケイプの
ペンネ・ブタコ・アラビアータを、 間違えて、下味に,だし醤油など、使ってしまって、
タコの旨味なのか、はて、どうなのか?
わからない時に、
多分、白ネギと海鮮の,また
烏龍茶による豚肉のミンチの出汁なのだ、
と豪語できるように。

今日は、久しぶりに、お茶を実家で沸かしたのだった。そういえば、 半年程前まで、血糖値が高いので、と処方されていた薬があって 僕は、もう途方に暮れて、1年間通いながら、半年程前に止めて、 ひたすら、体重をキープしながら、このKARMA SPRINGに表現して 腸活だの、烏龍茶ドリップ珈琲など、さまざまアイデアを草案して 好い気になっていたものだった。そこで、この際に、と。 先日、採血の機会を、医大にて持った時には、さてなあ。とは 言えども、天高く馬肥ゆる、この、体重…

ウチより5分の実家にエスケイプして,想う。

怖いは好きの裏返し、だとは本当に想う。ポルターガイストのない実家は物足りない、 むしろ、あのお爺ちゃん家では愛されていた、 など、ホントに発狂しそうなので、はるばる 5分の、実家にエスケイプ。昔は、現実逃避の 意味で、使われていた、ポルターガイストよりの エスケイプを、流行らせたい。 昨夜は、家がガタガタ揺れたので、これはヤバい と感じて逃げたのだけれど、命の危険ほど、愛に 目覚めさせる感動トリガーもないのであって、 朝になり、テレビで小平選手の抱擁シーンを 眺めながら、あのスポーツマンシップには、 ほんとうに男気を感じて、涙してしまった。むしろ、 初めての、愛に目覚めた体験だったかもしれない。 家が揺れて、危険に一睡も出来ずに、翌朝の スポーツマンシップ。この、感涙のエキササイズ。
ここで、こう想うのだ。何らかのトラウマには 荒療治も要るだろうが、ただ、つまりは便秘解消の 記憶の忘却を目指せば、それは、結果論の 本末転倒的スタイルだ。記憶を消したいのであれば、 それは、ポルターガイストによって、愛に目覚めた その過程をも憶い出したいのだった。記憶は悪ではないが、 危険な要素をも含むので、良質な記憶などは、 最もな甘美でグルメなファンタジーだろう。 記憶=思考=忘却の、神秘的な形態としての、あの 食事=食材の種類=健康循環には、とどのつまり、 結局のところ、将来の夢=上昇志向=ファンタジー体験の 教育指針も重要に含まれているとは、思うのだが。 話を戻そうとして、ポルターガイストは、 記憶の問題で、ファンタジーが、良質な記憶なら そのような、拉致など、家が揺れて危険察知する 体験などは、記憶の退行現象に他ならないので、 それらを、忘却=浄化=循環させる中では、 思考=愛のリコール=食事法の改善の多分に必要では あるだろう、ダジャレみたいになったけれど、 本当に、記憶の改善には愛が必要で、便秘解消には 食事法は必須で、ポルターガイストにはファンタジーが 大切になってくる、のだと、そう想うのだ。 改善、解消、ハッピーの循環を目的にするのは、 本末転倒ではあるが、それを、目的にした風体で 語らなければ、それもまたテーマ話題にならないので、 難しいところなのだけれど、危険は時として、愛を喚起し その愛によって、忘却のトラウマティック便秘解消の 誘発されるのも間違いないことである。
愛であれば、怪奇現象も改良する余地を持たない。 愛であれば、恐怖は、それ自身の愛…

栄養失調とチョコレイトの相互関連に想う快い夜

ひとつのベクトルで良いのだ,と思った。知悉するファンタジーは
モノをクリエイトする情熱は与えてくれるのだけれど,それは見ていて
心地よいとかゆうものではなくって,何だかあくせくしている感じである。
栄養失調とチョコレイトの相互関連に想う快い夜には,創造性は,まずは
哀しみのスタートより以っての誰から見ても嬉しそうなハッピースタイルに
してゆく方向をまるで咆哮のように芳香させる。そんな,快楽主義の夜。
自己執着=自己秩序化をこそ,悪と混然一体となって,知悉する。そんな,
いわゆるカオスの中に,何故そんなに,良心の支軸は,認識云々の確信を
抱いてる?ただの疑問を提起される,そのカオスよりの質疑に定義づけを
試みるのは,詰まり,良心ではなくって,カオスによって,知悉することを。
チンゲン菜と,水菜を,白菜と挟んで,豚肉の小間切れを使って,みりんと
お醤油,ごま油など,とにかく大鍋たっぷりにコトコトしていると,もう,
見る間に四分の一ほどに縮まって,炬燵に潜りながら考える癖は,こんな感じで
水分は,容積と反比例するので,だから,考えることは縮小事態である,なんで
もう少ししたら,休日の仮眠を取る前に,そんな炊き立てのご飯と合わせて頂いて
のんびり,もう諦めてしまおう。カオスにも,嬉しさにも,例えば中心軸もっても,
そんなに,考える事自体には,答えは見当たらない。詰まりは,考える目的は全く
なかった,とゆうことを見つけるために,仮眠をする。これで,ぼくの挑戦は終わった
のだ,あとは,ポエジーでもエスプリでも,フランス文学に任せてしまって,やはり
知悉する事はファンタジーなれども,詩情からエクリチュールにいたる道程は避けては
通れない。けれど,ファンタジックにゆきたいので,眠るのだ。それも,良いだろう。

無の裏にある1つの知性にいたるのならば,混沌と一体にもなり得るのだろう。そんな
栄養失調とチョコレイトの相互関連に想う快い夜には,普段より糖質をオフにしている,
そのつもりもなかったにも関わらず,生チョコなど頂いたからには,急に身体の知悉し
反転して,知性はカオスに向かうものだと気付くのだった。ホンデュラス産の珈琲豆を
淹れながら,このお洒落なシブみたいな香り高さみたいな,こんな味は現代にしか味わえ
ないのだから,そんな夜に限って,妄想だってたくましく,何だか泥棒の這入って来…

おおまかに、甘い珈琲豆乳の方が、春の穏やかさに似合ってる

グルメや戦争経済よりも、暮らしや人間性の方が、ウェイトが大きい。
これは、確実に、幸せの結実を予見し知っているのだからだ。 昨夜の豚肉と水菜のニンニクおろし鍋とゆうのに、豆腐を崩して お正月のお餅を最後に使い切り、なんだかわからない夜食をして、 そうして、外は轟々と吹雪いている。同時進行で、ウーロン茶を 温めて、ヨーロピアンブレンドとゆうので、ドリップをしてから、 無調整豆乳と半々に、割っては、元の通り、こんな嵐の日には 音のしない、音のない反射ストーブの余韻にひたって、あの 雪の日には、なぜか暖かい日和の感じられる不思議な平和を心に 抱いている、この不可思議な夜の珈琲を沸かすウーロン茶には、 水を汲んできて、ミネラルウォーターで造ったのが、本当に良かった など、喉ごしと、平和を誘引する切なさ解除の真っすぐさは、同一の モノである。真っすぐに、あの平和を見詰めたい。それは、 解除の途中で分解されかけた感情を取り戻す修復の最中に、 こんな肉団子みたいな男の子のやってきたものだから、白兎さん、 驚いて、まるで何も知らない男の子のような、シンプルさには 何か別様の解決策を以って、平和を実現する、とろみのような 凝結作用を垣間見られたものだから、そうだな、よし。この、 肉団子は、しっかりサラダと合わせてしまおう、など思い立って 音のない雪降る夜。この静けさの中には、もう戻らないことはないのだ、 心配ないのだ。感情は、ひっしと親くに置いてある。心配ない、 なので、血のにじむような辛苦作業は辞めて、まずは、瞑目し、 あの、炬燵に潜り込んではパワーストーンのブレスレットなどを 嵌めて、帽子を被って眠ってしまおう。あんな夜は二度とない、 そんな、大事なパッション=発想を持って、眠ってしまおう。
首の詰まりを解消したくて、首もとに灸を据えて、2、3日。 リンパの流れを良くするものか、あるいは珈琲なども、自我の滞りを 一瞬に取り去ってしまって、下降する着陸気分のハスキーな感じか、 あるいは、自我の抜けた、浮遊する思想の、一度ならぬ極楽気分の 情緒を持つものか、よくある健康診断の前などは、珈琲を一杯。 傾けては、談義した方が好いかも知れない。いつもは、こういう風じゃ ないんだがなあ。けれど、綺麗にしている私のワタシ感覚は、 これは、いわゆる恋の気分とゆうモノで、恋の綺麗さは、 浮ついた…

社会構成自体の生命ブロックチェーンだったと気付く

生命のあるから、業のある。生命のために、業が廻す感情輪転機は、
まるで、スルメを造る回転機のことかと見違わせるほどに、 お腹の空いても、さほど食べずに、生命自体の目減りを計ろうとする。 やっぱり、枯れた水墨画の景色からは、やる気の現れだとか、 そういったのを、情緒の発端としての、やる気の現れとしての、 その、生命ブロックチェーンとゆう言葉を使うのならば、 カーマローカの世間体は、エネルギーなくしては、廻らないのだった。 お腹空いたなあ、久しぶりに、ベーコンエッグの材料を拝借して、 そんな、阿呆らしい、恬淡な自我自身の諦めに、諧謔的ツッコミを申上げる。 珈琲も沸かそうか?蕎麦公司など、造語できるのならば、この 深夜に、いくら珈琲を煽っても朦朧としてしまう、馬並みの眠気に 釜揚げ蕎麦の夢でも見させてほしい。まず、生蕎麦を買って帰る 習慣を持たないウチの冷蔵庫には、そんな夢は転がってない、 けれど、本当の釜揚げは、実に粉っぽく、粗い蕎麦湯のような、 そんなモノだ、と。出雲國の霊場遺伝子は、そう言って、あの 荒武者のような、静物画家の姿もしながら、啜りだす、彼の不思議な 感情を、ありのまま映しだすのだった。それは、無論の眠気の台頭。

結局のところのありていに説明したのなら,冷蔵庫より古びたアップルタイザーを,
湯のみと共に採りだしてきて,まずは,お客様に供したのこりのバタークッキーを,
ひとかけ摘んでは,まるで,さも当たり前のように,パンケーキのランチのつもりか,
地元の有名な饅頭を白あんにて,乾塩ベーコンに,くるっと巻いて,ひと口で頬張る。
そうして,湯のみにアップルタイザーをゴクリとする。まいった,バタークッキーまで
ベーコン巻にしそうになるのを,押しとどめて,ふいっとひと息つく心地は,そんな
真冬の籠り越冬振りを,まざまざ想起斟酌させる御様子で,侘しいとゆうよりも,愉快
である。最後に片付ける所存で開けた冷蔵庫の中には、また古びた、 ザワークラウトの発酵瓶のあって、ローレルの葉と共にガジガジ、 いつまで経っても、美味い。香味を維持する食品とゆうのは、 実に、いや、まさに造り手の清浄さ=信頼の高さを彷彿させて、 タイザーも、抜けているかと思いきや、芳醇さの増して、本当に 豊かな、怪獣になった晩の、越冬雪ゾリ浪漫夜食譚であったのだった。
かじかむ手に、一対の片手を添えて、もうひとつ…

無目的に食事を1時間ガマンする。この自我に賛成の反対。

クッキーを頬張りながら考えた。ナッツ入りも旨い。が,バターの
それは,まだシンプルに,心に響くから。恋とは,面白いもので,
常に妄想なのだろうけれども,想われているからこそ,想うのであって
それで,出逢いや,地球上の空気感応は,基本的に相思相愛の,もって
第一義である。なんて,完全に妄想の裡に佇んで,けれども,想われ
想う,その理由の『まるで,この世は霊界である。そんな段階に来た。』
これは,年齢的なモノだろう。この感受は,常に地球上の空気感応と
称して,クッキーを頬張りながら考えた。ナッツ入りも旨い。が,バターの
それは,まだシンプルに,心に響くから。などとは,呟きながら,帰り道に
ナッツのような小石を蹴って,あの煙の尖塔より,眺めている自分と,あの
『自分』は,振り返って,私は,ワタシである。無目的に食事を1時間ガマンする。
この自我に賛成の反対。ひとつ,階段を駆け上がれば,その世界は希薄化して,
また現実的には,違う人間関係を創出するそうで,誰に言われてそうゆうわけでも,
決しては,ないのだけれど。なんだか,ちょっと神秘的な気分になったからと言って
昔のパワーストーンなどは身に着けられない。階段をひとつ上がったのだ。そんな,
石油文明でもいいから,あの,尖塔の煙を被って,上層の滞空しているクリアな
感覚を,ひとえに感じきって,何もかも知悉してみたい。

やはり,階段をのぼるのに,ウーロンドリップによる烏龍珈琲は,良かったみたいで,
ある講演会などにゆく道すがら,この話の裡に,天の岩戸開きのようなことの起こる,
そんな開闢の一瞬を垣間見たようで,これは,他者のココロの開きだろう。なんて,
思ってはいたものの,すんでのその革命的な面白さを感じた後で,帰り道の車中で,
『過去の教訓は,いまのところ,両者のスイッチを押すことが控えられ,そうして,
引いて引いて,どちらも,行動を起こさなかったところに何があるのか,みたいのだ。』
とゆう持論を交わしながら,僕自身は,こんな開闢の瞬間を迎えられそうな,以前にあって
身体性のシステム異常はないものか?この業の泉に晒されながら,からだの反応は,きっと
合格ラインを導き出したようだ。この講演会に行く手前,朝の掃除の時間などに,こんな
開闢の手前の,身体の合格ラインを感じた話を,滔々と繰り返しては,やっぱりスイッチは
ONにしたい…

次乗するスキニージーンズの,自浄自縛の経過に想う雪絨毯。

聖書物語と照らし合わせれば,ヘッセの聖母マリアの居て,
そこに,聖アンナは母として,シュヴァイツァーだったりする。 そうして,トーマス・マンの聖ヨゼフの中には,遠くアンナの母君と しての,ヘミングウェイ=St.Clausの姿の浮かんだりしたのだった。
ここで,ヘミングウェイには,白い狼のツルゲーネフや,遠くシュメールの
神であるとゆうアヌンナキ=ノストラダムスなどの影が追いかけられては,
その形姿に僕は,すでにゾッコンなのだった。さあ,ヘミングウェイ?と。
さあ,パイント瓶の形をしたペットボトルにバチルス菌と,きな粉烏龍珈琲を
淹れて呑む心地は,まるで,線虫などが国土を走る様子を,神は龍と呼ぶ?
その,次乗するスキニージーンズの,自浄自縛の経過に想う雪絨毯。まるで,
アイスバーンになって,つるつるの路面を,舞う雪煙に,ああ,うつくしい。
なんて,とろんとした眼つきで,その穏やかな車内と,荒野のような雪原を
眺めて,あれは,ようやく私の不安症の龍神さんの抜けることで,ただの人に,
戻れることの夕餉。今日は,昨夜の味噌鍋で,チゲもつ煮込みをしたら良いものか?


あるいは,ポン酢を温めて酒を抜いておいたので,この間は酔っぱらってしまったけれど
この,お出汁とみりん酒お醤油を,コトコトしたモノに,米酢とレモン果汁を加えて造る
手造りポン酢によって,豚バラ肉と白菜のミルフィーユ鍋には,ウィンナーや白滝を載せて
いつものように,暖かく食べる。食べながら,またたく頂いてしまうその様子には,合掌。
大根おろしなども付けられたら良いのだけれど,それは,ほんとうにあったら良い時なので。
次乗するスキニージーンズの,自浄自縛の経過に想う雪絨毯。国産もつの,あった時などは
思わず目を見張ってしまう癖には,やっぱり,お酒は呑まなくっても,みんなおつまみの
ような,酒の肴メニューは好きなんだな。と,やっぱり,今日は味噌煮込みで,白ゴマの
ペーストなど足して,玉ねぎとキャベツで組み合わせてしまおう,早く料理することの,
『楽しみだ,』こんな。次乗するスキニージーンズの,自浄自縛の経過に想う雪絨毯。
食事をする時間を,まずは楽しみにして,パイント瓶の調子などを伺っている,そんな夕べ。


結局のところ,国産の小腸とゆうのが見つかって,2店舗目で,3パックセットの
そういった購入を適えて,さては,1回の…

ホタルイカの生干しと,梅肉の長芋たんざく。そんな,お茶請け欲す

まるで取り越し苦労による,パラダイムシフトを超えてより,
ホタルイカの生干しと,梅肉の長芋たんざく。そんな,お茶請け欲す
この季節の幽玄ほっかむり,この季節の幽玄ほっかむりを超えては,あの。
有終の美とは,自我の終焉にイコールなれども,その有限性には秘密の鍵が,
ある,としてそれは,愛着と執着の鍵なのだった。歴史はパラダイムシフトした
のだろうか?繰り返し,1%のテロの恐怖より,すすんで60%の貧困不安に,
まずしさは,階級別に計られるものではなし,それは,何を100%にするの,と
ただ,それだけのことなのだった,その100%は,有意義な余裕タイムで,そう。
愛着と執着のテーマをクリアし,その問題と対峙したうえに足し算に対して,ルート。
魅力とゆうのは,何にせよ次乗多乗しているくだりのあるもの,なので,その増産には
ルート,ルートを,どんどん,惚れ込んだ塗り重ねには,けずってやすいて磨いてネ,
と,よく言ったものだ。どんどん,ルートするべきなのだから,それは,全体より身体へ,
戻る必須事項の,例えばウーロンドリップによる珈琲などで,次乗多乗を,降りて行く。
身体に堅い不快感を感じるまで,わたしが私たりうる,そんな必須の世界の体験をする,
それは,とっても必要なことで,僕にとってはその体験は,三島文学とゆうより,その先の
太宰ヒューマニズムを通っては漱石山人のLONDON ONE IRONYへ。ただの,諧謔と皮肉へ
辿り着けば,もうその本望の姿は,いたって漱石山人のテロは見た目の皮肉めいた何かです,
あの視線で,あなたは終わってるなんて,釘を刺されて帰るとき,僕は何故か目覚めてる
のだった,ただそれだけなのだった。だから,皮肉とゆう身体性。
あとは、自分の身体性のそれ自身で解決してゆくものだ。そんな、 感慨が、ぶるぶると心理を揺さぶるのだった。放課後の教室で、 笛の練習を、やがて口笛にだけ換わり、そのまま孤独の種は、 優しさの愛の果実へ結んでゆく、そのさま。ファンタジックな 修道士精神志望の、コンタクトレンズが、スピリチュアルに、 境界線上に、あとは哲学者かの、メルヘンチックな担当ですすむ、 それゆえに多分の役割はあるだろう、あるだろうけれども、あの 結果の、職業は美味しいだけで人の集まるお店造りは、それ以上の システムがモノを言うとゆう、魅力惹起される、その種がモノ言う 酵母造りの、…