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結局のところは攻撃性と受容れる心の対比に

雪のためにいつも帽子をかぶっている。朝は,久しぶりに
珈琲を淹れて,ゆっくりと氷を3個いれては,ブラックで
ぐびっと呑んでしまった。結局のところは攻撃性と受容れる
心の対比に,なってみて答えは,きっとアイスコーヒーの。
ロマンティックに朝を迎えられるのかとは,思うほどに,
夜のあいだになにか見つけた気分で,起き出す一歩,二歩の
あのとき,何と答えたらよかったろう?あの問い合わせは,
ゆっくり休んでいますか?と訊かれて,そうして,ええ。
とっても大丈夫なので。そうやって,答えて,いつも2人の
関係は相手を思い遣る心地と返答に優しく大丈夫。と,言う
その間柄には,なにもウォーリーすることはないのだった。
冷たい窓の寒風の音しかしない日は,ストーブを点けずに,
炬燵だけで,アイスコーヒーをたっぷり呑んで,罪と罰,の
朗読を聴きながら改めて良く活きるための自分の処世訓を,
描きだす頭の中で。

2杯目の珈琲を淹れて,豆乳と割って,静かに机に置いているので,
そんなに,悩むことはなかったなど,今更想う事ではないのだけれど,
寒さ故の,不安や焦燥感の心配などは取り越し苦労とはゆうなれども
むしろの事は寒さに冷えた身体を心配する自らの身体性であろうとは
避けて通られぬ悩みであるので,初老の男が,やがて身を滅ぼすのは
きっと恋に故の事であろう,とゆう朗読を聴きながら,やはりその事。
出版の方へ向かう,手切れのお金の話題などを,彼の罪と罰に感じながらも
やや,不詳な話しぶりではあるけれど,そういった寒さの想いはどこかしら
地球を想えば,寒さは至極である。けれども,経済の隆盛を担えば,その
薄着で笑う気持ちは,どこかの業に呑み込まれてしまう。なので,この
スヴィドリガイロフとゆうおじさんに,自らの業を重ね合わせながら,やがて
寒さに嗤う私の気持ちを,やっぱりいつも,この罪と罰の裡に,神のテーマは
例えば,第三者的神の視点で罪と罰を眺めるのならば,なんだか,意味がありそうで
結局のところは攻撃性と受容れる心の対比に,業による罪と罰は,無意味ではないのか?
無意味でありそうで,無であることの意味を示すそのあたりの,無の現われるあたりが
神の視点を想起させる世界文学の,轟々と世界は吹雪いているのだけれど,
なぜ産まれるとゆうこの事自体の,活きた蟹を食べたら,熱病に罹るとゆうジンクスなど
を感じながら,生きるテーマといったモノがあるのならば,ひとつひとつの雪の結晶を
呑み込んでしまう。その,世界酵素を吸ってしまう,雪の日の外出を甘受して,
さては珈琲豆乳を呑んでいるのだった。

二六時中とゆう言葉も気に掛るのだけれど,彼は,良心の呵責があると言って,
その文学は語るのだけれども,蝋燭の火に罹る蛾のようだって?いいや。むしろ,
蛾の気分になる事の肝要。人間は皆,蛾のようだ。ってことなのだろう?さあ,いや。
幸福感は珈琲の一滴一滴より産まれ,同時にストーブも点けずに,実際は炬燵からも
抜け出して,朝の散歩を試みたいのだけれど,昨夜は,暗号通貨とゆうモノに関する
勉強をしていたので,休んだ方が良いらしい。など,きっと画像通貨とゆうキーワードを
発案したけれども,このネット上の検索に昇る幾多の静止画などはそれ自体で,
常にエネルギーの抱かれる画像通貨である。とは,呼べないものか?それらは,流通する
はずのないモノではあるけれども,流通する過程にあって,その結果は画像がロゴにまで
高められれば,随分と通貨価値を含むではあるだろう。

そう感受しながら,想像性の夢の産地とは
そろそろ食事に向かいたいと昼に臨んで,食事については疑問を挟むほど,
余裕のある程でもない,その食事のグルメ趣味を講じて,さては,
沢庵と白飯のあればそれで良いとさえ感じるのだった。
人参グリルするのも,せっかく冷えているのにこの寒気に火を焚くなど,
勿論ギャップの過ぎる。もう豆乳も温める事は結構でしょう?
ゆっくり炬燵に這入ってお休みなさい。とは,言えども,Saucer of Sky Dishなど
講じてみては,空の調理を済ませて,円盤を回して,投げかける問いの
中心となるのは,手先指先よりの,この円盤状の想いのループする様子ではあるまいか?
では,忘我しハイヤーセルフに身を任せては次回は
あの全体主観的に市街地を廻るルーティンの役割を
人参グリルするより,両脚を上に挙げて,あ~あ,と
声を揚げるこの体たらくによる,江守徹氏の”罪と罰”,の
朗読を聴きながら色々知悉したのだけれど結局のところは
攻撃性と受容れる心の対比に結局のところは基本的に一度
身体性を忘れる直前に遣って来たのならば,僕は多分無論の事の,
思考を放棄して朗読に聴き入りながら,本当の気持ちを識るだろう。
本当の気持ちは肥満防止のダイエット嗜好だったろう。

こちらは如何?

とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。

白黒の隈を着けて,いつもよりも浅煎りの珈琲豆を一杯のお代わりを 受けて,淹れなおす。家の台所は,さながらカレー屋さん気取りの, とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。 とにかくもゴッコ気取りで楽しみながら遣りすごす,台所での一時。 ダサいと言っては,何だけれど,バランスの好いのはそうゆうことだ。 そうして,そうゆうダサさをこそ,落ち着いているとして好む,そんな 白と黒を半分ずつ割って入れるようにして,豆乳オーレにして頂く珈琲は, 真皮に黒を抱きながら,表面きっての自分自身は,笑顔で白を通す,その 面白さは微笑みより訪れるので,にっこり気持ちは構えて,ダサさを通す。 それでしか淹れられない,なかなか浅煎りは,カフェオーレでしか入らない。
追及しては,戻ってくるのは番犬や番猫で,何だよとゆうばかり,番猫なら 招き猫みたいにスレンダーな物腰で,いいやスレンダーではないか,でも。 多分,何にもいないのだから,彼らにとって,虫の知らせは,いわゆる枯れ尾花 であって,そのざわめきや囁きのようにして聴こえる,彼らにとっては雑貨店。 トフィーのような濃厚な滑り出しで,カフェオレに合わせながら眺める,こんな 洋菓子店をめぐるように猫などの物腰の豊かさを側に置いて,ぼくは先日のあの ロイヤルウェディングの様子を想いだす。白馬のリードしている子の,ちょっと 荒れているのには,繁華街に急に放り込まれた武士のようなイメージで,そりゃあ 興奮し,混乱もなさるでしょう?とは,そればかり心配してはいなくても,やっぱり パレードの壮大さは計り知れない。ダイナミックであり,本当に生命力学的にもっとも ハラハラもし,手に汗握る。この悠長にはPCの前に座りながら,安堵して,折り畳む。

基本的にはまた紅茶とキャラメルを合わせる感じで良いと思うのだった。ちょっとした
あの渋味と,焦げているような甘味のあいだで,切なさと勇気を半分ずつにおおげさに
振る舞っている。週末を終えて,家族サービスとゆう毎度のほどでもないのだけれど,
毎日に平日のスタートを切る僕にとっては火曜日。風邪を引いてると体力よりも果敢に
すすめないのでこうゆう話題になっているけれど,それも治った後の話として,本当に
スタートを切られることに,爽やかな活発さをさえ抱いている,早速まだ沸かしたてで
すこし温湯のお茶を頂い…

憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど様々

前世ゲームとは言え,嵌入しきって書物の渉猟をすることは,最も
アクティブな瞬間で,それはインナーに居て,集中度の高まる体験。
憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど
様々あるけれど,それは研究意欲としてそうなのであって,きっと以て
どれでも良いはずの日常と,外側の経験則のなかでは処世術としては
仲介されえない範囲の事柄ではある。なので,運筆とゆう詩性に向かって
コンスタントに埋没しきることのなかにも夕暮れ時に適うような,そんな
”前世”=書物文化のあって良いはずだ。転生とゆうことは,それほどまでに
コンセントレーションの中に含まれていて,一種の隠喩のようにそこにある。
それで,いま没我した自分は転生している,うん。それで良いじゃないのか?
例えば,自意識のうちで,第一に身体を漱石山人より,次に生命力を太宰さんに
三番目には意識的に明るさを芥川氏より頂き,個我みたいなモノは三島文学より。
僕の竜退治のミカエルは彫刻家のロダン=文学にF.ラブレー=透視にスウェーデンボリと
言った大家より受け賜って,ジヨットのイコンにおける精神性において開花する。など
ここまで自意識的に説明したところで,それらは”前世”とは関連のないことではある。
集中力に謎解きの扉を開く鍵のあることを知悉して,ようやく,眠りに就けそうである。
渾然一体となってファンタジーは,一度死に,二度目に産まれる魂に対して,何らかの
ギフトを与える。集中力によって,ソウルは再び現れた記念として,”前世”の贈り物を
授かるのだった。そうやってゆこう。黄昏に,贈り物としての言葉を貰うようにして,
やっぱり夕餉の匂いは良いモノである。そこかしこに湯気の上がって,昔はさながらの
薪のくべられた薫りなど漂っていたろう。こうやって,時代は溯られれば,魂のうちに
何らかの,記憶=ファンタジーを得ることのできるはず。

急に,突然の報せのように,白い聖母信仰のほうへ寄りかかって行きそうな気さえして。
夕餉の匂いにのせられて,それらは,ふわりふわり声明を携えて近づいてくる。夕暮れに
不可思議な想いを感じ取らせながら。この白い芳香は何処から遣って来て,今さらながら
ついにこの辺りまで,ついの最近までは,いったい何処に居られたのでしょうくらいの,
何だか不可思議にふわりふわりと感じられる香りなのであった。良い…

季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。

人文的な要素のないと言葉の発想も浮かんではこないもので,なおさら まだまだメモしておきたいことのありそうで,けれども,もうこんなにも 季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。雨煙に 合わせて,ヒーリングのアロマ・ミュージックなる分厚い音楽を掛けながら そのブランケットにくるまれて温かい心持ちをして,人文的より,また素描。 ああいう荒野にそっくり掘り込まれた教会遺跡群などは,もうイニシエートの それら現代のクラブシーンだったのだろうか?僕はその際,家で,お茶を啜る あのインナースタイルの静かなもんだったろう。なんて,基本的に動くとゆうか 家の中を満たすひとつの酵素で生きていたい。生活の匂いは,家の樹々の香り。 肉食には,昔の突っかかりを感じて,なかなか馴染めないけれど,元気は出る。 美味しさに賦活されて,文化的に色々楽しめることを良しとしては,けれども 今となっては,雨に巻かれてウッディな温もりに浸透されることの,浄福なので。

咳や熱風邪も,一度肺炎になった?と感じ始めたところで,一気にスノーマンの 夢を見て瓦解するように退けて行った。その余韻に燻製チップのような薫香の, ハートあたりに漂って,それはまた幸せな健全さの回復を予想させるので,納得。 燻製や北国のイメージは,やがてその厚くなった肺や気管の様子を想像させて, それでロマネスクなのだった。北国は,やがて魔の山も克服して,こうして篤く 人のこころを暖めてくれる。けれど,だからといって,こうゆう時に何かお肉食を 試みたくなる。本当に,篤い人生を効果的に造りだしたいのだ。むしろ,厚く強く。 豚肉の小間切れを,醤油麹とみりんで,お酒を加えながら,すこし甘味噌など足して 玉ねぎ,白ネギと共に炒めてみたのだった。奥さんは仮眠中なので,起こして頂ける ような料理だとは思えないので,ソファの近く,炊き込みご飯を解凍したのと,側で 摘んでいた。明日は英国のロイヤルウェディングだと,ニュースでしていて,思わず 感涙してしまい,僕も不可思議ながら,少しく傷付いた思春期に,感情移入しては, いかばかりか砕けた心持で経過を感じていたので,何だか,ホッとして,うるっと。

すべてお肉食で感情までも呑み込んで,取込んでしまえたらそれで良いのだけれど,
切なさや,哀しさ。鎮魂の想いまでは,そんなに簡単に解消していったり…