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命運尽きたり、ブルマンの半額ブレンドを購い淹れる。

雪国の朗読を聴いて、なぜあんなに良いのだろう、と
わからなかった。スマホに入れて、持ち歩く。イザナミとイザナギは
大谷崎と太宰先生のようで、また、さながら、川端翁と三島さんは
神産巣日と国常立のようである。僕は、三島さんにノーベル賞を
取ってもらいたいかった、と半ば、寒風に干される魚や大根の、
あの、克己感性に肩を持つ、なぜかしら、寅さんの縁日の情景の
どれほどに好きだったか、憶いだす。また、倍賞千恵子さんの歌う
学生時代を聴いて、ああ、なんだかなあ、ツタのからまる、
これは、直接的に、太宰先生=龍馬はん=九郎義経へと繋がる、
この、長崎や、一房の葡萄に有島武郎の装丁にみる情感や、
はたまた横浜、直接的に太宰の影を追うのだから、もう。
けれど三島文学=桂小五郎=武蔵坊弁慶の、あの本懐めいた、
この北海真情によって、太宰さんを追うのなら、ニシンの干したのや
サーディンを食べながら、徐々に胃も塩辛くなってくる心地には
もっとも、その北海真情によって、心情の経過は、胃腸組織の塩分含有を
もっと増やさなければいけないなど、この直喩的価値は如何程か?
僕らは卵とベーコンを食べすぎて、牛乳を呑んでは昼寝したから、
そろそろ、あたりめを豪華に頂きながら、直接的隠喩を、この
大地の酵素分、全部頂きますよ、といった具合に、大空と青空の
大地の恵み過多に頼りすぎては、潮の香りを、多くは河も、
天地ひかって、大地より降り注ぐ、あの大海の神秘の様々には。

ブルマンをブレンドした豆を、半額で買ってきて、手挽きして頂く、
深夜半、ちょっと年末で焦ってきて、三島さんも常にこうして年末私情の
彼は焦っていただろう?市立図書館は閉まっていて、年始まで
金閣寺の朗読は借りて、スマホに入れることもできない、この北海真情の
神功というお姫様は、いつか遠征されたとゆうが、太閤も、
また、維新の志士の中にも、遠い大地を治めんなどして、
賭けにでよう、とした、エピソードには、あれは、彼の地の
グルメを修めん、としての暴挙だった、とみるのは、如何?
大衆の心を把むには、まず胃袋より、と言って、僕は、白飯に、
豆板醤と卵と、胡麻油を掛けて、良ければゴマを振りかけて
即席で、頂いた折りには、なんて胃袋は大衆的にはシンプルな。
など、気づいて、あたりめをかじる奥さんの気持ちは良く判る。
あれは、闘っている、克己感性の姿のあらわれだったのだ。

国常立は神産巣日を乗り物にしている宇宙船地球号のような、
雪国朗読探訪、また、ブルマン烏龍珈琲豆乳に、ストーブ霧中散歩、
こうこうと、湯気の吹き立つ音でも良い。ドリップして呑むまでに
感じる、すべての香りでも良い。ブルマンの半額に目を引かれ
購ってきたは、良いものの、この三島文学北海真情に目醒め、
鬼のような雪国の余韻に惹かれて、焦ってきたのは、極度の放心。
食材における、天然素材の利用形態は、本当に全てを解決する
自然の肝要な全体を示しているはずなのだから、身体を温める。
乳成分に疲れた体には、植物食材を多分にいただいて、元の
知性を、胃腸より取り戻そう。シンプルな話だけれど、その
あたりめなどを闘いに応じて噛んでいる姿は、植物の叡智を
携えているから、可能な生活スタイルに思えてくるものなのだから
焦ってしまった時などは、白飯に削り節とお醤油でも頂いて、
より身体を温めて、雪景色など眺めて、夢みていよう。
とゆう、シンプルな話だったのだった。

こちらは如何?

とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。

白黒の隈を着けて,いつもよりも浅煎りの珈琲豆を一杯のお代わりを 受けて,淹れなおす。家の台所は,さながらカレー屋さん気取りの, とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。 とにかくもゴッコ気取りで楽しみながら遣りすごす,台所での一時。 ダサいと言っては,何だけれど,バランスの好いのはそうゆうことだ。 そうして,そうゆうダサさをこそ,落ち着いているとして好む,そんな 白と黒を半分ずつ割って入れるようにして,豆乳オーレにして頂く珈琲は, 真皮に黒を抱きながら,表面きっての自分自身は,笑顔で白を通す,その 面白さは微笑みより訪れるので,にっこり気持ちは構えて,ダサさを通す。 それでしか淹れられない,なかなか浅煎りは,カフェオーレでしか入らない。
追及しては,戻ってくるのは番犬や番猫で,何だよとゆうばかり,番猫なら 招き猫みたいにスレンダーな物腰で,いいやスレンダーではないか,でも。 多分,何にもいないのだから,彼らにとって,虫の知らせは,いわゆる枯れ尾花 であって,そのざわめきや囁きのようにして聴こえる,彼らにとっては雑貨店。 トフィーのような濃厚な滑り出しで,カフェオレに合わせながら眺める,こんな 洋菓子店をめぐるように猫などの物腰の豊かさを側に置いて,ぼくは先日のあの ロイヤルウェディングの様子を想いだす。白馬のリードしている子の,ちょっと 荒れているのには,繁華街に急に放り込まれた武士のようなイメージで,そりゃあ 興奮し,混乱もなさるでしょう?とは,そればかり心配してはいなくても,やっぱり パレードの壮大さは計り知れない。ダイナミックであり,本当に生命力学的にもっとも ハラハラもし,手に汗握る。この悠長にはPCの前に座りながら,安堵して,折り畳む。

基本的にはまた紅茶とキャラメルを合わせる感じで良いと思うのだった。ちょっとした
あの渋味と,焦げているような甘味のあいだで,切なさと勇気を半分ずつにおおげさに
振る舞っている。週末を終えて,家族サービスとゆう毎度のほどでもないのだけれど,
毎日に平日のスタートを切る僕にとっては火曜日。風邪を引いてると体力よりも果敢に
すすめないのでこうゆう話題になっているけれど,それも治った後の話として,本当に
スタートを切られることに,爽やかな活発さをさえ抱いている,早速まだ沸かしたてで
すこし温湯のお茶を頂い…

憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど様々

前世ゲームとは言え,嵌入しきって書物の渉猟をすることは,最も
アクティブな瞬間で,それはインナーに居て,集中度の高まる体験。
憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど
様々あるけれど,それは研究意欲としてそうなのであって,きっと以て
どれでも良いはずの日常と,外側の経験則のなかでは処世術としては
仲介されえない範囲の事柄ではある。なので,運筆とゆう詩性に向かって
コンスタントに埋没しきることのなかにも夕暮れ時に適うような,そんな
”前世”=書物文化のあって良いはずだ。転生とゆうことは,それほどまでに
コンセントレーションの中に含まれていて,一種の隠喩のようにそこにある。
それで,いま没我した自分は転生している,うん。それで良いじゃないのか?
例えば,自意識のうちで,第一に身体を漱石山人より,次に生命力を太宰さんに
三番目には意識的に明るさを芥川氏より頂き,個我みたいなモノは三島文学より。
僕の竜退治のミカエルは彫刻家のロダン=文学にF.ラブレー=透視にスウェーデンボリと
言った大家より受け賜って,ジヨットのイコンにおける精神性において開花する。など
ここまで自意識的に説明したところで,それらは”前世”とは関連のないことではある。
集中力に謎解きの扉を開く鍵のあることを知悉して,ようやく,眠りに就けそうである。
渾然一体となってファンタジーは,一度死に,二度目に産まれる魂に対して,何らかの
ギフトを与える。集中力によって,ソウルは再び現れた記念として,”前世”の贈り物を
授かるのだった。そうやってゆこう。黄昏に,贈り物としての言葉を貰うようにして,
やっぱり夕餉の匂いは良いモノである。そこかしこに湯気の上がって,昔はさながらの
薪のくべられた薫りなど漂っていたろう。こうやって,時代は溯られれば,魂のうちに
何らかの,記憶=ファンタジーを得ることのできるはず。

急に,突然の報せのように,白い聖母信仰のほうへ寄りかかって行きそうな気さえして。
夕餉の匂いにのせられて,それらは,ふわりふわり声明を携えて近づいてくる。夕暮れに
不可思議な想いを感じ取らせながら。この白い芳香は何処から遣って来て,今さらながら
ついにこの辺りまで,ついの最近までは,いったい何処に居られたのでしょうくらいの,
何だか不可思議にふわりふわりと感じられる香りなのであった。良い…

季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。

人文的な要素のないと言葉の発想も浮かんではこないもので,なおさら まだまだメモしておきたいことのありそうで,けれども,もうこんなにも 季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。雨煙に 合わせて,ヒーリングのアロマ・ミュージックなる分厚い音楽を掛けながら そのブランケットにくるまれて温かい心持ちをして,人文的より,また素描。 ああいう荒野にそっくり掘り込まれた教会遺跡群などは,もうイニシエートの それら現代のクラブシーンだったのだろうか?僕はその際,家で,お茶を啜る あのインナースタイルの静かなもんだったろう。なんて,基本的に動くとゆうか 家の中を満たすひとつの酵素で生きていたい。生活の匂いは,家の樹々の香り。 肉食には,昔の突っかかりを感じて,なかなか馴染めないけれど,元気は出る。 美味しさに賦活されて,文化的に色々楽しめることを良しとしては,けれども 今となっては,雨に巻かれてウッディな温もりに浸透されることの,浄福なので。

咳や熱風邪も,一度肺炎になった?と感じ始めたところで,一気にスノーマンの 夢を見て瓦解するように退けて行った。その余韻に燻製チップのような薫香の, ハートあたりに漂って,それはまた幸せな健全さの回復を予想させるので,納得。 燻製や北国のイメージは,やがてその厚くなった肺や気管の様子を想像させて, それでロマネスクなのだった。北国は,やがて魔の山も克服して,こうして篤く 人のこころを暖めてくれる。けれど,だからといって,こうゆう時に何かお肉食を 試みたくなる。本当に,篤い人生を効果的に造りだしたいのだ。むしろ,厚く強く。 豚肉の小間切れを,醤油麹とみりんで,お酒を加えながら,すこし甘味噌など足して 玉ねぎ,白ネギと共に炒めてみたのだった。奥さんは仮眠中なので,起こして頂ける ような料理だとは思えないので,ソファの近く,炊き込みご飯を解凍したのと,側で 摘んでいた。明日は英国のロイヤルウェディングだと,ニュースでしていて,思わず 感涙してしまい,僕も不可思議ながら,少しく傷付いた思春期に,感情移入しては, いかばかりか砕けた心持で経過を感じていたので,何だか,ホッとして,うるっと。

すべてお肉食で感情までも呑み込んで,取込んでしまえたらそれで良いのだけれど,
切なさや,哀しさ。鎮魂の想いまでは,そんなに簡単に解消していったり…