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存在するってのは様式美よりも,門戸のない野原。

自我の領域より飛翔したいとゆうのは,ちと違う。青空は二層にも
分れて,上は真空,地上は温暖に溢れているのだから,もっとあったかく
野性の酵素に満たされているくらいの力強いパワフルな悟性を,もっと。
訓戒は破るためにある,それは依存だったとの由。カビは,潔癖が産むとは
功利に走る感性の,腫れ物に換わってゆく様を想えば,まさに,土着の農業に
ミラクルな意地の強さを頂いて,キレイな大理石にはわかるまい,あの祟りの
ように,タケミカヅチにはもう解放の予兆。萩原朔太郎の詩性には,孤独の。
上杉謙信には辛口の酒。平敦盛の首塚には,近藤勇の肖像をポケットに歩いた。
猫町横丁を逍遥しながら,妻帯せずもののふの塩辛よ,供養する美青年への悔恨を
結局の優勢,無勢に関わらず,人を助くる所に助られる者なり。と,もう予兆は,
確かに,土着の酵素に適えられて,やはり,ネギの収穫を手伝ってきて良かった。
そこで,得も言われぬパワーを頂いたことは,潔癖症より打ち克つ何よりもの,あの
祟り神とは,本当に(神話は誰にでも当て嵌るように出来ているのだから)リアルの
神がいるとしたら,いいや,リアリティとゆう意味の唯一無二の,現実性のあるなら,
それは,祟りの比喩にこそ存在している。嫌ってはいけない,正直であるのに対し。
少しの笑顔で,不思議だなあ,と。理解できない野性的趣味にも,世界の歴史上,まず
野性のあってこそ,存在するのは”白亜”の様態なのだ。この野獣のかんばせをこそ。

ミケランジェロや,漱石山人などが,彫刻を制作する折りには,あるいは大英博物館など
訪れたのちには,親くのお宿などで,石膏の石板などをテイスティングならぬ,毒見した
のでは,とゆう白昼夢をみる。創造知性の探索,または西洋文化なる知見を目的として,
その無味なフレイバーはきっと夢のなかでも秘密を,ある世界の歴史においての,秘密を
あらわしているように感じる。僕には体感的に,それが潔癖症を治す,唯一ほどの手段に
感じるのだ,イマジネーションの上では,そういった,酵素質の話しは差し置いても,の
白磁,青磁の陶器にも至る道程には,なぜかしら”白亜”の生誕の上で,土の鍛錬に結ぶ,
そういった工程を,この町で通り過ぎる石膏彫刻の姿に,”デッサン・アート教室”の看板
には,『素晴らしい文化だなあ』町の中で,何か日に照らされて暖かい硬質な花の匂い。
白カビや青カビのチーズは多々あれど,温かな花の匂いに誘われて,硬度の高い地球上の
軟質の情緒的感性へ,カマンベールなどは白く覆い尽し,青カビは,ブルースカイざまに
”白亜”に融け込んで,一層の健全さをアピールしている。それは,まるで,地球上に海が
廻り巡って,空気中の水分でさえも支えている様子によく似て,グルメには,上質な知と
しっかり食することの理解,健康な胃腸を以て,さあ進もう,硬質な世界の歴史上へと。
いいや,歴史とゆうモノは,真空領域より降り来った,ダークな物質である,それは種子
とひとはゆうだろうけれども。結局のところの,この”白亜”の歴史を,野性の酵素がまた
融かし,突き動かし,戻ってはまた動かす。この故の,石質硬度な歴史を想いたい。あの
石質硬度な石膏を,舐めることより,水分は白磁において酵素分解し,美味へと換わるの
だから。

陶器は,柔らかい粘土を練るように。そこには,土を焼くより弔うの方が正しい殺生さえ
感じられる定着のある。土は,焼くと戻らない。全くの別物質へ還元される。これはあの
歴史の自律性と似ているのだ,残酷で,イロニーを含んだ歴史の成立は,明らかな陶工の
純粋な技術のなければ通じない。成立するには,彼の無我恬淡のストレート直球態度の,
結局,彼は地球の姿態をしているのだ。潔癖とか,野性はもう戻らない陶器にはどうでも
よい。映し鏡のように世界は廻り続け,そのまま一周すれば我が姿も,そのままそこに。
そうやって硬質な歴史は造られてゆく。静かな,しずく一滴一滴のながれるさまは,まだ
出来上がる前の粘土より落ちる,おちざまの歴史そのもの。どろどろになってしまいたい
とも,陶工は想う。定着するのはごめん。とも思う。けれども,歴史は定着をもとめるの
だから,もうすこし頑張ろうとも,おもう。そうして,結局のこと,歴史は,自分以上に
存在しないと,気づくのだ。欠けてゆくくらい軟質のウツワの方が旨い。とも,食文化に
好日の適う日などは誰もをか感じさせることもあり,欠けたウツワからは,地球の匂いの
してくるのだった。もうすこし,馬鹿になりたい。考え過ぎずに優しくありたい。もう,
この神経性の禿頭には戻る道すじはない,がしかし戻れるのならば,また柔らかい頭で,
再出発して,独特の粘質なウツワを造りたいのだ。こうやって,物質身体を持たないあの
地球外沿のただよう精神体スピリット達の,考えるヒトは大変だあ,とゆう噂話の始まり
ただ,ラーメンを啜るように,あのスープのように私たちはさらさらトロトロと,揺蕩い
動いて,この歴史上の地球とゆうものはタイヘンねえ。もうすぐ,これから,などとは,
私たちは言わないもの。意識は失われて,思考も存在しない,そんな時間は8割がたよ。
時間とゆう価値みたいなものもないのよ,ヘンなことねえ。あのラーメン茶碗の高台の
裏底にある,何かの紋。みたいなモノだけで,良いのよ。

こちらは如何?

とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。

白黒の隈を着けて,いつもよりも浅煎りの珈琲豆を一杯のお代わりを 受けて,淹れなおす。家の台所は,さながらカレー屋さん気取りの, とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。 とにかくもゴッコ気取りで楽しみながら遣りすごす,台所での一時。 ダサいと言っては,何だけれど,バランスの好いのはそうゆうことだ。 そうして,そうゆうダサさをこそ,落ち着いているとして好む,そんな 白と黒を半分ずつ割って入れるようにして,豆乳オーレにして頂く珈琲は, 真皮に黒を抱きながら,表面きっての自分自身は,笑顔で白を通す,その 面白さは微笑みより訪れるので,にっこり気持ちは構えて,ダサさを通す。 それでしか淹れられない,なかなか浅煎りは,カフェオーレでしか入らない。
追及しては,戻ってくるのは番犬や番猫で,何だよとゆうばかり,番猫なら 招き猫みたいにスレンダーな物腰で,いいやスレンダーではないか,でも。 多分,何にもいないのだから,彼らにとって,虫の知らせは,いわゆる枯れ尾花 であって,そのざわめきや囁きのようにして聴こえる,彼らにとっては雑貨店。 トフィーのような濃厚な滑り出しで,カフェオレに合わせながら眺める,こんな 洋菓子店をめぐるように猫などの物腰の豊かさを側に置いて,ぼくは先日のあの ロイヤルウェディングの様子を想いだす。白馬のリードしている子の,ちょっと 荒れているのには,繁華街に急に放り込まれた武士のようなイメージで,そりゃあ 興奮し,混乱もなさるでしょう?とは,そればかり心配してはいなくても,やっぱり パレードの壮大さは計り知れない。ダイナミックであり,本当に生命力学的にもっとも ハラハラもし,手に汗握る。この悠長にはPCの前に座りながら,安堵して,折り畳む。

基本的にはまた紅茶とキャラメルを合わせる感じで良いと思うのだった。ちょっとした
あの渋味と,焦げているような甘味のあいだで,切なさと勇気を半分ずつにおおげさに
振る舞っている。週末を終えて,家族サービスとゆう毎度のほどでもないのだけれど,
毎日に平日のスタートを切る僕にとっては火曜日。風邪を引いてると体力よりも果敢に
すすめないのでこうゆう話題になっているけれど,それも治った後の話として,本当に
スタートを切られることに,爽やかな活発さをさえ抱いている,早速まだ沸かしたてで
すこし温湯のお茶を頂い…

憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど様々

前世ゲームとは言え,嵌入しきって書物の渉猟をすることは,最も
アクティブな瞬間で,それはインナーに居て,集中度の高まる体験。
憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど
様々あるけれど,それは研究意欲としてそうなのであって,きっと以て
どれでも良いはずの日常と,外側の経験則のなかでは処世術としては
仲介されえない範囲の事柄ではある。なので,運筆とゆう詩性に向かって
コンスタントに埋没しきることのなかにも夕暮れ時に適うような,そんな
”前世”=書物文化のあって良いはずだ。転生とゆうことは,それほどまでに
コンセントレーションの中に含まれていて,一種の隠喩のようにそこにある。
それで,いま没我した自分は転生している,うん。それで良いじゃないのか?
例えば,自意識のうちで,第一に身体を漱石山人より,次に生命力を太宰さんに
三番目には意識的に明るさを芥川氏より頂き,個我みたいなモノは三島文学より。
僕の竜退治のミカエルは彫刻家のロダン=文学にF.ラブレー=透視にスウェーデンボリと
言った大家より受け賜って,ジヨットのイコンにおける精神性において開花する。など
ここまで自意識的に説明したところで,それらは”前世”とは関連のないことではある。
集中力に謎解きの扉を開く鍵のあることを知悉して,ようやく,眠りに就けそうである。
渾然一体となってファンタジーは,一度死に,二度目に産まれる魂に対して,何らかの
ギフトを与える。集中力によって,ソウルは再び現れた記念として,”前世”の贈り物を
授かるのだった。そうやってゆこう。黄昏に,贈り物としての言葉を貰うようにして,
やっぱり夕餉の匂いは良いモノである。そこかしこに湯気の上がって,昔はさながらの
薪のくべられた薫りなど漂っていたろう。こうやって,時代は溯られれば,魂のうちに
何らかの,記憶=ファンタジーを得ることのできるはず。

急に,突然の報せのように,白い聖母信仰のほうへ寄りかかって行きそうな気さえして。
夕餉の匂いにのせられて,それらは,ふわりふわり声明を携えて近づいてくる。夕暮れに
不可思議な想いを感じ取らせながら。この白い芳香は何処から遣って来て,今さらながら
ついにこの辺りまで,ついの最近までは,いったい何処に居られたのでしょうくらいの,
何だか不可思議にふわりふわりと感じられる香りなのであった。良い…

季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。

人文的な要素のないと言葉の発想も浮かんではこないもので,なおさら まだまだメモしておきたいことのありそうで,けれども,もうこんなにも 季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。雨煙に 合わせて,ヒーリングのアロマ・ミュージックなる分厚い音楽を掛けながら そのブランケットにくるまれて温かい心持ちをして,人文的より,また素描。 ああいう荒野にそっくり掘り込まれた教会遺跡群などは,もうイニシエートの それら現代のクラブシーンだったのだろうか?僕はその際,家で,お茶を啜る あのインナースタイルの静かなもんだったろう。なんて,基本的に動くとゆうか 家の中を満たすひとつの酵素で生きていたい。生活の匂いは,家の樹々の香り。 肉食には,昔の突っかかりを感じて,なかなか馴染めないけれど,元気は出る。 美味しさに賦活されて,文化的に色々楽しめることを良しとしては,けれども 今となっては,雨に巻かれてウッディな温もりに浸透されることの,浄福なので。

咳や熱風邪も,一度肺炎になった?と感じ始めたところで,一気にスノーマンの 夢を見て瓦解するように退けて行った。その余韻に燻製チップのような薫香の, ハートあたりに漂って,それはまた幸せな健全さの回復を予想させるので,納得。 燻製や北国のイメージは,やがてその厚くなった肺や気管の様子を想像させて, それでロマネスクなのだった。北国は,やがて魔の山も克服して,こうして篤く 人のこころを暖めてくれる。けれど,だからといって,こうゆう時に何かお肉食を 試みたくなる。本当に,篤い人生を効果的に造りだしたいのだ。むしろ,厚く強く。 豚肉の小間切れを,醤油麹とみりんで,お酒を加えながら,すこし甘味噌など足して 玉ねぎ,白ネギと共に炒めてみたのだった。奥さんは仮眠中なので,起こして頂ける ような料理だとは思えないので,ソファの近く,炊き込みご飯を解凍したのと,側で 摘んでいた。明日は英国のロイヤルウェディングだと,ニュースでしていて,思わず 感涙してしまい,僕も不可思議ながら,少しく傷付いた思春期に,感情移入しては, いかばかりか砕けた心持で経過を感じていたので,何だか,ホッとして,うるっと。

すべてお肉食で感情までも呑み込んで,取込んでしまえたらそれで良いのだけれど,
切なさや,哀しさ。鎮魂の想いまでは,そんなに簡単に解消していったり…