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頭寒足熱と,心頭滅却する湯舟の中で。

寒暖の差の果てしなく,ただ,冷える事と,それを温め直す事の
両極についてだけ考えて,後のことは言い訳なしにそっちのけに
そうやって出来ることが,何より嬉しい。『お風呂に浸かるのは,
身体を煮るようなそんな心地。冷えているから,カチコチなのだ』
そうして,糖質制限を試みて,初めてご飯を炊かなかった夕べの,
何だか妄想はお米より来ていたのではないか,と風評にもなるような
そんな気概を持って,なんだかすっきりしている気持ちの清々しさを
晴れやかに頭寒足熱と,心頭滅却する湯舟の中で。例えば,オシャレ
なんてものは何とゆうものだろう?と,考える。お腹で考えることの
出来れば,それはオシャレでも土着の勢いのあるモノでも,すでに
心地よいものだろう。と,月が杉の樹に翳って非常に良い晩である。

朝の掃除をしていて語ることのあるのだけれど,語る内容はいつも同じ
そうして,語ること自体が,空っぽにするために非常に良い効果を出して
くれるので,『モテる床拭き=ファンタジーの床拭き=狙わない床拭き』,
など,いきがって普段にない語りをしてしまうのも,空っぽにして床拭きを
するのには,いつも決まって無欲に透明なシートを敷いて行くようにして,
その一日の行方を願う。それだけなのである,身体=お店の,リンパ=運気の
流れを良くして,帰りには,快調=アウトプットの健やかな結果を願って
一日を過ごすのである。そんなに体力のあるほうではない,いつも眠たいし
どちらかと言えば,リンパの流れを良くしたいと願いつつも,そんなポジティブ
でもないほうである。嗜好品と言えば,酵素ドリンクや,たまに珈琲豆を購って
ジリジリと堪能する程度の,あまりにそこまでは刺戟性を求めないタイプの,
通常通りいけば時間通りに快速でも鈍行でも駅には着くであろう,きっちりと
運行する電車のような性格はしている。そのぶん,レールから外れると,訳が
解らず,動けなくなるようなそんなプロトタイプにテンプレートをかぶせたような
変な平常心を大事にしている形式的に従順なタイプの者である。だから,こんな
杉の樹に香りまで沁みてくるような月夜をみると,何故か思う事がある。

革命は,いつも想っていなくても遂行されるものだろうか?頭で感じることは,
いつも現実味を帯びて万人に通達される共有項でもあるか?行動する事,実践家は
明るくされることで,その習慣自体にまばゆい幸せを感じるではあろうけれど。
革命について,そんな事を考える。考えてしまう思う所があるとするのなら,その
思考で世界は変わるなら,指向する全体主観は報われるなら,嗜好品で安心するなら。
世界は変わることより,自分のデトックスされて無に換わってゆくその瞬間をこそ,
求めて行きたいし,無に帰する瞬間にこそ,精神的健康とゆう,革命は遂行されるのだ。
だから,旅の途中に無駄な時間を感じてむしろそれを嗜好するマニアックな旅人気分には
もうすでに,恩恵として,体内の本当に”無駄”な酵素の入れ換わる瞬間を体験していると
伝えたいし,入れ換わる酵素は,その新しい酵素などによって,無に帰してゆく,こんな
デトックスの本懐。無に帰す酵素は,無に帰した酵素に換わって入ってくるニュー酵素の
生き方を提示して,過去になる。だから,革命は,個人の酵素の入れ換わる事なのだと。
僕は,一週間かけて,果実酵素を自分で造り,それを残り物のヨーグルトと,豆乳で
エナジー・ドリンクとして習慣化して摂りながら,良いタイミングで,糖質制限と称して
お腹の堅まった頃の,お米抜きで,胃腸の酵素体の安定しているような気のしているけど
具体的には,そんな方法で思い付いた革命嗜好に対して,具体性の無ければ何にもならぬ
そんな文言で,頭寒足熱と,心頭滅却する湯舟の中で。『果実酵素革命嗜好』などとして
締めたいと想うけれど,革命構想って,基礎として前提には至極体内の個人的な
胃腸などの組織に属するもので,不可思議にも甘味料を深夜に摂ってしまう,そんな
諧謔的で混沌にある,代謝や消化に影響し合うモノなのだ,ってそう思うのだ。
何だか,上奥歯の痛む気もして来たしなあ。



こちらは如何?

とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。

白黒の隈を着けて,いつもよりも浅煎りの珈琲豆を一杯のお代わりを 受けて,淹れなおす。家の台所は,さながらカレー屋さん気取りの, とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。 とにかくもゴッコ気取りで楽しみながら遣りすごす,台所での一時。 ダサいと言っては,何だけれど,バランスの好いのはそうゆうことだ。 そうして,そうゆうダサさをこそ,落ち着いているとして好む,そんな 白と黒を半分ずつ割って入れるようにして,豆乳オーレにして頂く珈琲は, 真皮に黒を抱きながら,表面きっての自分自身は,笑顔で白を通す,その 面白さは微笑みより訪れるので,にっこり気持ちは構えて,ダサさを通す。 それでしか淹れられない,なかなか浅煎りは,カフェオーレでしか入らない。
追及しては,戻ってくるのは番犬や番猫で,何だよとゆうばかり,番猫なら 招き猫みたいにスレンダーな物腰で,いいやスレンダーではないか,でも。 多分,何にもいないのだから,彼らにとって,虫の知らせは,いわゆる枯れ尾花 であって,そのざわめきや囁きのようにして聴こえる,彼らにとっては雑貨店。 トフィーのような濃厚な滑り出しで,カフェオレに合わせながら眺める,こんな 洋菓子店をめぐるように猫などの物腰の豊かさを側に置いて,ぼくは先日のあの ロイヤルウェディングの様子を想いだす。白馬のリードしている子の,ちょっと 荒れているのには,繁華街に急に放り込まれた武士のようなイメージで,そりゃあ 興奮し,混乱もなさるでしょう?とは,そればかり心配してはいなくても,やっぱり パレードの壮大さは計り知れない。ダイナミックであり,本当に生命力学的にもっとも ハラハラもし,手に汗握る。この悠長にはPCの前に座りながら,安堵して,折り畳む。

基本的にはまた紅茶とキャラメルを合わせる感じで良いと思うのだった。ちょっとした
あの渋味と,焦げているような甘味のあいだで,切なさと勇気を半分ずつにおおげさに
振る舞っている。週末を終えて,家族サービスとゆう毎度のほどでもないのだけれど,
毎日に平日のスタートを切る僕にとっては火曜日。風邪を引いてると体力よりも果敢に
すすめないのでこうゆう話題になっているけれど,それも治った後の話として,本当に
スタートを切られることに,爽やかな活発さをさえ抱いている,早速まだ沸かしたてで
すこし温湯のお茶を頂い…

憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど様々

前世ゲームとは言え,嵌入しきって書物の渉猟をすることは,最も
アクティブな瞬間で,それはインナーに居て,集中度の高まる体験。
憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど
様々あるけれど,それは研究意欲としてそうなのであって,きっと以て
どれでも良いはずの日常と,外側の経験則のなかでは処世術としては
仲介されえない範囲の事柄ではある。なので,運筆とゆう詩性に向かって
コンスタントに埋没しきることのなかにも夕暮れ時に適うような,そんな
”前世”=書物文化のあって良いはずだ。転生とゆうことは,それほどまでに
コンセントレーションの中に含まれていて,一種の隠喩のようにそこにある。
それで,いま没我した自分は転生している,うん。それで良いじゃないのか?
例えば,自意識のうちで,第一に身体を漱石山人より,次に生命力を太宰さんに
三番目には意識的に明るさを芥川氏より頂き,個我みたいなモノは三島文学より。
僕の竜退治のミカエルは彫刻家のロダン=文学にF.ラブレー=透視にスウェーデンボリと
言った大家より受け賜って,ジヨットのイコンにおける精神性において開花する。など
ここまで自意識的に説明したところで,それらは”前世”とは関連のないことではある。
集中力に謎解きの扉を開く鍵のあることを知悉して,ようやく,眠りに就けそうである。
渾然一体となってファンタジーは,一度死に,二度目に産まれる魂に対して,何らかの
ギフトを与える。集中力によって,ソウルは再び現れた記念として,”前世”の贈り物を
授かるのだった。そうやってゆこう。黄昏に,贈り物としての言葉を貰うようにして,
やっぱり夕餉の匂いは良いモノである。そこかしこに湯気の上がって,昔はさながらの
薪のくべられた薫りなど漂っていたろう。こうやって,時代は溯られれば,魂のうちに
何らかの,記憶=ファンタジーを得ることのできるはず。

急に,突然の報せのように,白い聖母信仰のほうへ寄りかかって行きそうな気さえして。
夕餉の匂いにのせられて,それらは,ふわりふわり声明を携えて近づいてくる。夕暮れに
不可思議な想いを感じ取らせながら。この白い芳香は何処から遣って来て,今さらながら
ついにこの辺りまで,ついの最近までは,いったい何処に居られたのでしょうくらいの,
何だか不可思議にふわりふわりと感じられる香りなのであった。良い…

季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。

人文的な要素のないと言葉の発想も浮かんではこないもので,なおさら まだまだメモしておきたいことのありそうで,けれども,もうこんなにも 季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。雨煙に 合わせて,ヒーリングのアロマ・ミュージックなる分厚い音楽を掛けながら そのブランケットにくるまれて温かい心持ちをして,人文的より,また素描。 ああいう荒野にそっくり掘り込まれた教会遺跡群などは,もうイニシエートの それら現代のクラブシーンだったのだろうか?僕はその際,家で,お茶を啜る あのインナースタイルの静かなもんだったろう。なんて,基本的に動くとゆうか 家の中を満たすひとつの酵素で生きていたい。生活の匂いは,家の樹々の香り。 肉食には,昔の突っかかりを感じて,なかなか馴染めないけれど,元気は出る。 美味しさに賦活されて,文化的に色々楽しめることを良しとしては,けれども 今となっては,雨に巻かれてウッディな温もりに浸透されることの,浄福なので。

咳や熱風邪も,一度肺炎になった?と感じ始めたところで,一気にスノーマンの 夢を見て瓦解するように退けて行った。その余韻に燻製チップのような薫香の, ハートあたりに漂って,それはまた幸せな健全さの回復を予想させるので,納得。 燻製や北国のイメージは,やがてその厚くなった肺や気管の様子を想像させて, それでロマネスクなのだった。北国は,やがて魔の山も克服して,こうして篤く 人のこころを暖めてくれる。けれど,だからといって,こうゆう時に何かお肉食を 試みたくなる。本当に,篤い人生を効果的に造りだしたいのだ。むしろ,厚く強く。 豚肉の小間切れを,醤油麹とみりんで,お酒を加えながら,すこし甘味噌など足して 玉ねぎ,白ネギと共に炒めてみたのだった。奥さんは仮眠中なので,起こして頂ける ような料理だとは思えないので,ソファの近く,炊き込みご飯を解凍したのと,側で 摘んでいた。明日は英国のロイヤルウェディングだと,ニュースでしていて,思わず 感涙してしまい,僕も不可思議ながら,少しく傷付いた思春期に,感情移入しては, いかばかりか砕けた心持で経過を感じていたので,何だか,ホッとして,うるっと。

すべてお肉食で感情までも呑み込んで,取込んでしまえたらそれで良いのだけれど,
切なさや,哀しさ。鎮魂の想いまでは,そんなに簡単に解消していったり…