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非常に護られた空間で運筆す,珈琲豆乳啜り

むしろ護られた空間でなければ,ロゴスを運搬する役割など,
任せられる訳はない,何処かのスペースシップの船長さんは,
そう言って,港町より頂いたスルメなど美味しそうにたべている。
何だか,宇宙空間のごっそり反転するような夢をみて,眠られずに
ぼーっと目を開けながら,これは,風邪でも,ぶり返したか?また
案の定,朝掃除をやすんでしまって,ネギ抜きも雨天中止をよいことに
一日中ぐったりと,寝具に横たえていた。何か,胃腸の大掃除でもして
免疫機能の総入れ替えをしているような,そんな不可思議な感慨を以て,
フシギでもなんでもない,日常の静かな室内をながめて,やっぱり一息。
夕方には,お茶を三リットルわかして,お米を三合ほど炊いてから,ああ
そうだなあ,まだやり残してはいないか?とくに静かな室内からはそんな,
オファーは届かないものの,けれども,夕食のお買いもの用に着替えたり,
今夜は,気分を一新してタートルネックとジャケットなど合わせようとして,
ネイビーの組み合わせで髭を当たってから,チャコールグレーのデニムなど
履き込んで,奥さんの先日髪の毛をカットしてくれたので,余計に似合ってる,
そういぶかしく自ずからなにをそんなに気張っているのだろう?靴下には穴が
開いているのを,すこし可笑しく感じながら。お茶は沸いて,ご飯もうまい具合,
まだ六時だとゆうのに,夜は早く訪れて,何か焦ってる,なにも無いはずなのに。

『今日は,豚肉と白菜のミルフィーユ鍋にしよう,』そう提案されて,珈琲豆と,
豆乳も欠かさず,しかし白菜は用意せずに帰ったため,すこしの芯の周りの白菜と
あとは,キャベツ,そうしてイレギュラーの春菊を多用して,豚バラで肉厚の鍋を
また,焼酎やお酒もなかったため,みりんをすこし加えて約束通りの無加水で蒸す
ようにして,ひと煮立ちさせると,良い具合に水蒸気の春菊の香りがしてきて,さて。
あとは,ブラックペッパーも最期のあたりに,すかさず振りかけて蒸してゆき,さあ,
いただきます。とっても,美味しく。シンプルなんだけれど,一層何だか永遠に続く,
病み上がりの体質には,野菜のミストのように滲み渡って響いた。簡単に浸け置きで
鍋を片付けておくと,所望される珈琲豆乳を淹れながら,上手くいったぞ。湧き水も
あるし,三拍子揃って,珈琲豆・豆乳・湧き水も思い通りに用意万端,アフター珈琲。
それで,宇宙がひっくり返った,と思ってるくらいの僕なのだから,きっと疲れてたのだ
と,言い聞かせながら,若干ぶり返したと言い訳をしながら,護られた感じのしないよう
で,運筆作文の,なかなかすすまなかったのだった。なので,このアフター珈琲のお陰か
何故か十分に,リラックスをしているためか。どうにか,こうにか,非常に護られた空間
運筆す,珈琲豆乳啜りリラックスをしているためか。どうにか,こうにか。

演芸の効果とゆうのは絶大のようで,『話題造りに,演芸の不可欠』と実際深く感じる。
コピーして貼ってくるように日常を描写するだけでは,物足りないうえに,さらにまた,
バイオグラフィーなど,自分のルーツを語りだすのも,まだもうすこし物足りないので,
日常の何気ない茶飯事などに,経歴などより話題になるネタ造りをしていって,やがては
そこよりプラスワンテンポの,おしゃべり感覚を浪曲のように繰り出してゆけば,多分は
『演芸の,お茶べりプラスアルファ』になってゆくのだろう。お茶の間や,ちゃぶ台など
あまり見かけない用語のようになって,けれどもこのお茶の間・ちゃぶ台効果の,よって
立つ,演芸効果的なエンターテイメントの基礎的文法は決して廃れて無くなることはない
だろう。お喋りは,人間関係のよって立つ基本的な効果でドライブや旅行の日程には以て
おつまみや,温かい飲み物の欲しくなるさながら,演芸効果と銘打って,もっとおふざけ
の,お喋り台本を描くような発想で,コミュニケーションをエンタメ風に彩っても良い。
奥さんは,ピザやドリアなどの複合的なチーズ料理は好きではないようで,クリーム系の
パスタも好んでは食べないのだけれど,カマンベールチーズなどはそのまま齧る有り様。
いつも,そうゆう複合されたものは嫌いなのに,ストレートなモノに関しては好意興ずる
感覚に対して,僕自身も何故だろう?頭で考えれば一緒なのに,なぜストレート形式なの
だろう?そうやって考えていると,順序が大切なのだ。とか,或いは,リズムの必要性。
だとか,何だか,お笑いに関しても,まったく意味のないことに笑顔を魅せるあの感覚。
無意味なことのなかにこそ,意味のあるモノ。こんな,急に力の抜けた瞬間にこそ,知性
は,遣り来たって,宇宙の大変転する。それは,僕の宇宙の。とゆういわゆる個人的な,
宇宙の大変転するときには,静かな姿の無いようなモノに関して光り耀きだすのだろう。




こちらは如何?

とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。

白黒の隈を着けて,いつもよりも浅煎りの珈琲豆を一杯のお代わりを 受けて,淹れなおす。家の台所は,さながらカレー屋さん気取りの, とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。 とにかくもゴッコ気取りで楽しみながら遣りすごす,台所での一時。 ダサいと言っては,何だけれど,バランスの好いのはそうゆうことだ。 そうして,そうゆうダサさをこそ,落ち着いているとして好む,そんな 白と黒を半分ずつ割って入れるようにして,豆乳オーレにして頂く珈琲は, 真皮に黒を抱きながら,表面きっての自分自身は,笑顔で白を通す,その 面白さは微笑みより訪れるので,にっこり気持ちは構えて,ダサさを通す。 それでしか淹れられない,なかなか浅煎りは,カフェオーレでしか入らない。
追及しては,戻ってくるのは番犬や番猫で,何だよとゆうばかり,番猫なら 招き猫みたいにスレンダーな物腰で,いいやスレンダーではないか,でも。 多分,何にもいないのだから,彼らにとって,虫の知らせは,いわゆる枯れ尾花 であって,そのざわめきや囁きのようにして聴こえる,彼らにとっては雑貨店。 トフィーのような濃厚な滑り出しで,カフェオレに合わせながら眺める,こんな 洋菓子店をめぐるように猫などの物腰の豊かさを側に置いて,ぼくは先日のあの ロイヤルウェディングの様子を想いだす。白馬のリードしている子の,ちょっと 荒れているのには,繁華街に急に放り込まれた武士のようなイメージで,そりゃあ 興奮し,混乱もなさるでしょう?とは,そればかり心配してはいなくても,やっぱり パレードの壮大さは計り知れない。ダイナミックであり,本当に生命力学的にもっとも ハラハラもし,手に汗握る。この悠長にはPCの前に座りながら,安堵して,折り畳む。

基本的にはまた紅茶とキャラメルを合わせる感じで良いと思うのだった。ちょっとした
あの渋味と,焦げているような甘味のあいだで,切なさと勇気を半分ずつにおおげさに
振る舞っている。週末を終えて,家族サービスとゆう毎度のほどでもないのだけれど,
毎日に平日のスタートを切る僕にとっては火曜日。風邪を引いてると体力よりも果敢に
すすめないのでこうゆう話題になっているけれど,それも治った後の話として,本当に
スタートを切られることに,爽やかな活発さをさえ抱いている,早速まだ沸かしたてで
すこし温湯のお茶を頂い…

憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど様々

前世ゲームとは言え,嵌入しきって書物の渉猟をすることは,最も
アクティブな瞬間で,それはインナーに居て,集中度の高まる体験。
憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど
様々あるけれど,それは研究意欲としてそうなのであって,きっと以て
どれでも良いはずの日常と,外側の経験則のなかでは処世術としては
仲介されえない範囲の事柄ではある。なので,運筆とゆう詩性に向かって
コンスタントに埋没しきることのなかにも夕暮れ時に適うような,そんな
”前世”=書物文化のあって良いはずだ。転生とゆうことは,それほどまでに
コンセントレーションの中に含まれていて,一種の隠喩のようにそこにある。
それで,いま没我した自分は転生している,うん。それで良いじゃないのか?
例えば,自意識のうちで,第一に身体を漱石山人より,次に生命力を太宰さんに
三番目には意識的に明るさを芥川氏より頂き,個我みたいなモノは三島文学より。
僕の竜退治のミカエルは彫刻家のロダン=文学にF.ラブレー=透視にスウェーデンボリと
言った大家より受け賜って,ジヨットのイコンにおける精神性において開花する。など
ここまで自意識的に説明したところで,それらは”前世”とは関連のないことではある。
集中力に謎解きの扉を開く鍵のあることを知悉して,ようやく,眠りに就けそうである。
渾然一体となってファンタジーは,一度死に,二度目に産まれる魂に対して,何らかの
ギフトを与える。集中力によって,ソウルは再び現れた記念として,”前世”の贈り物を
授かるのだった。そうやってゆこう。黄昏に,贈り物としての言葉を貰うようにして,
やっぱり夕餉の匂いは良いモノである。そこかしこに湯気の上がって,昔はさながらの
薪のくべられた薫りなど漂っていたろう。こうやって,時代は溯られれば,魂のうちに
何らかの,記憶=ファンタジーを得ることのできるはず。

急に,突然の報せのように,白い聖母信仰のほうへ寄りかかって行きそうな気さえして。
夕餉の匂いにのせられて,それらは,ふわりふわり声明を携えて近づいてくる。夕暮れに
不可思議な想いを感じ取らせながら。この白い芳香は何処から遣って来て,今さらながら
ついにこの辺りまで,ついの最近までは,いったい何処に居られたのでしょうくらいの,
何だか不可思議にふわりふわりと感じられる香りなのであった。良い…

季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。

人文的な要素のないと言葉の発想も浮かんではこないもので,なおさら まだまだメモしておきたいことのありそうで,けれども,もうこんなにも 季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。雨煙に 合わせて,ヒーリングのアロマ・ミュージックなる分厚い音楽を掛けながら そのブランケットにくるまれて温かい心持ちをして,人文的より,また素描。 ああいう荒野にそっくり掘り込まれた教会遺跡群などは,もうイニシエートの それら現代のクラブシーンだったのだろうか?僕はその際,家で,お茶を啜る あのインナースタイルの静かなもんだったろう。なんて,基本的に動くとゆうか 家の中を満たすひとつの酵素で生きていたい。生活の匂いは,家の樹々の香り。 肉食には,昔の突っかかりを感じて,なかなか馴染めないけれど,元気は出る。 美味しさに賦活されて,文化的に色々楽しめることを良しとしては,けれども 今となっては,雨に巻かれてウッディな温もりに浸透されることの,浄福なので。

咳や熱風邪も,一度肺炎になった?と感じ始めたところで,一気にスノーマンの 夢を見て瓦解するように退けて行った。その余韻に燻製チップのような薫香の, ハートあたりに漂って,それはまた幸せな健全さの回復を予想させるので,納得。 燻製や北国のイメージは,やがてその厚くなった肺や気管の様子を想像させて, それでロマネスクなのだった。北国は,やがて魔の山も克服して,こうして篤く 人のこころを暖めてくれる。けれど,だからといって,こうゆう時に何かお肉食を 試みたくなる。本当に,篤い人生を効果的に造りだしたいのだ。むしろ,厚く強く。 豚肉の小間切れを,醤油麹とみりんで,お酒を加えながら,すこし甘味噌など足して 玉ねぎ,白ネギと共に炒めてみたのだった。奥さんは仮眠中なので,起こして頂ける ような料理だとは思えないので,ソファの近く,炊き込みご飯を解凍したのと,側で 摘んでいた。明日は英国のロイヤルウェディングだと,ニュースでしていて,思わず 感涙してしまい,僕も不可思議ながら,少しく傷付いた思春期に,感情移入しては, いかばかりか砕けた心持で経過を感じていたので,何だか,ホッとして,うるっと。

すべてお肉食で感情までも呑み込んで,取込んでしまえたらそれで良いのだけれど,
切なさや,哀しさ。鎮魂の想いまでは,そんなに簡単に解消していったり…