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夕焼けには酵素ドリンクを掲げて,天に地に情熱の挨拶

以前,六十センチ幅の卓上機で,結局五十センチ位には
なったけれど,割と大きなキャンバス生地を織って,彩色を
試みて,飾らせてもらったことがある。手織りキャンバス画,
とそう題して,展示をさせて頂きました。今でも,部屋に飾って
大事に写真に撮っては,さらにそれを画像加工して,遊んだり。
念入りな作業には,心地いい余韻の残るもので,そのなかには
バテてしまって,低血糖のような情況で途方に暮れることもあり,
決して,良い思い出には,など思っていたとしても,それはもう,
情緒の溢れる感じで,甦ってくる。夕焼けには酵素ドリンクを掲げて,
天に地に情熱の挨拶を投げかけるような感じ。交わすエモーショナルに
交わすパッショネイトする,農作業に当って帰る道すがらの,そんな
夕日には一瞥の,挨拶ならぬアイサツを,交通状況によって投射しても
殊更の,程よい酸味と芳醇な香りに至って,情熱は切なくても温かい。

シンパシー,とゆう言葉について,情緒はやはり,確かに実存であって,
妄想虚実の区別は付かなくとも,それはやはり確立された人間性である。
艶っぽさはなくっても,情緒に至って,それは,色と空の,あいだに
いつも佇んでいる,そんなエモーションの実在形態なので,ときには
発酵食品にヨーグルトなど欲しくなる時でも,夕日を背に受けて,おにぎりを
ひとつカブりつきながら,ゆっくりと自家製のお茶を啜って,ハンドルを
握り廻している。夕焼けには酵素ドリンクを掲げて,天に地に情熱の挨拶を,
攻撃的であることはリーダーシップには乖離した事柄で,むしろ控えめで,
遠心力を用いたひとの方が,ずっと統率に向いているらしい。最近,気づき
ぼくは,そんななかでも,リーダーとゆうより,こまごまとした,皿洗いや
荷造りや,掃除の役目を担って,それは1日千円ほどで成り立ってしまうような
そんな役割であってほしい。それは,ぼくの人生の課題である,しかしながら,
自信のなかに,願望を以て,ぼくの願いは,リーダーシップの支え役である。
さておいて,珈琲豆は切れてしまって,ひさしいが,なかなか次のストックには
めぐり会えずにいる。それは出逢いである,珈琲豆は多分各種の産地にしても
きっと神さまを帯びて,ひとを択んで出逢っている。ぼくは,しばらく距離を
置かれているらしい。暴飲暴食ほどの,消費を適えてしまって,やっぱりすこし
新たな珈琲豆のストックとの出逢いは,しばらくの距離を置いて,いつか合える。
酵素ドリンクは,野草と,スイカと,マスカットをブレンドした。

機織りは,実に不思議な作業だな,と思う。縦糸と横糸を基本的には交互にまじわり
組み重ねて一枚の布を平面的に積み上げてゆくのだけれど,既成の布をみてもわかる
十字架の縦横に無数に切った形式の,それは一枚の布である。だから,機織りは,
集中させて,数学的で篤い作業であると言える。肌寒い季節でも,肩や背中にかけて
温かくなってくる,じんわりと情熱的で,また感情に厚いブランケットを覆いかぶせ
出来たあとには,実際ひざ掛けなどに利用していく。今日などは,ひさしぶりに水の
ボトルを二本くらい一気に飲んで,それはほんとうに,ミネラル水の情緒への勢いは
すばらしく,活性化して快い気持ちにしてくれる。たまに水を呑むのは,良いことだ。
日蔭に当ることばかり考えていた。緑蔭とでも言うのだろうか,樹々の麓に佇みながら
その蒸せる情緒を吸い込みながら,安穏とそして哲学的に嗜好したい,何らかの感情。
けれども陽に翳るとゆうのも良いものだ。その樹々の代わりに自分の傘になって,影を
造り,水分をたっぷり吸収して,じりじりと思考の発生するのを待つ,永久な方面へ
向かって,時間軸は陽光の中に吸収されて,大空に融け合ってしまう。そんなさなかには
夕焼けには酵素ドリンクを掲げて,天に地に情熱の挨拶を交わす,静かに口元で呟くのは
ただ,情熱的でその,情熱的に過ぎる,体温の上がった漏れる吐息。何かの届くとする,
その宅配便は,メッセンジャーバッグの担ぎ手に運ばれた,ひと瓶の果実酵素ボトル。
名水を汲んできては,ただのひと口,
夕焼けには酵素ドリンクを掲げて,天に地に情熱の挨拶を。



こちらは如何?

とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。

白黒の隈を着けて,いつもよりも浅煎りの珈琲豆を一杯のお代わりを 受けて,淹れなおす。家の台所は,さながらカレー屋さん気取りの, とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。 とにかくもゴッコ気取りで楽しみながら遣りすごす,台所での一時。 ダサいと言っては,何だけれど,バランスの好いのはそうゆうことだ。 そうして,そうゆうダサさをこそ,落ち着いているとして好む,そんな 白と黒を半分ずつ割って入れるようにして,豆乳オーレにして頂く珈琲は, 真皮に黒を抱きながら,表面きっての自分自身は,笑顔で白を通す,その 面白さは微笑みより訪れるので,にっこり気持ちは構えて,ダサさを通す。 それでしか淹れられない,なかなか浅煎りは,カフェオーレでしか入らない。
追及しては,戻ってくるのは番犬や番猫で,何だよとゆうばかり,番猫なら 招き猫みたいにスレンダーな物腰で,いいやスレンダーではないか,でも。 多分,何にもいないのだから,彼らにとって,虫の知らせは,いわゆる枯れ尾花 であって,そのざわめきや囁きのようにして聴こえる,彼らにとっては雑貨店。 トフィーのような濃厚な滑り出しで,カフェオレに合わせながら眺める,こんな 洋菓子店をめぐるように猫などの物腰の豊かさを側に置いて,ぼくは先日のあの ロイヤルウェディングの様子を想いだす。白馬のリードしている子の,ちょっと 荒れているのには,繁華街に急に放り込まれた武士のようなイメージで,そりゃあ 興奮し,混乱もなさるでしょう?とは,そればかり心配してはいなくても,やっぱり パレードの壮大さは計り知れない。ダイナミックであり,本当に生命力学的にもっとも ハラハラもし,手に汗握る。この悠長にはPCの前に座りながら,安堵して,折り畳む。

基本的にはまた紅茶とキャラメルを合わせる感じで良いと思うのだった。ちょっとした
あの渋味と,焦げているような甘味のあいだで,切なさと勇気を半分ずつにおおげさに
振る舞っている。週末を終えて,家族サービスとゆう毎度のほどでもないのだけれど,
毎日に平日のスタートを切る僕にとっては火曜日。風邪を引いてると体力よりも果敢に
すすめないのでこうゆう話題になっているけれど,それも治った後の話として,本当に
スタートを切られることに,爽やかな活発さをさえ抱いている,早速まだ沸かしたてで
すこし温湯のお茶を頂い…

憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど様々

前世ゲームとは言え,嵌入しきって書物の渉猟をすることは,最も
アクティブな瞬間で,それはインナーに居て,集中度の高まる体験。
憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど
様々あるけれど,それは研究意欲としてそうなのであって,きっと以て
どれでも良いはずの日常と,外側の経験則のなかでは処世術としては
仲介されえない範囲の事柄ではある。なので,運筆とゆう詩性に向かって
コンスタントに埋没しきることのなかにも夕暮れ時に適うような,そんな
”前世”=書物文化のあって良いはずだ。転生とゆうことは,それほどまでに
コンセントレーションの中に含まれていて,一種の隠喩のようにそこにある。
それで,いま没我した自分は転生している,うん。それで良いじゃないのか?
例えば,自意識のうちで,第一に身体を漱石山人より,次に生命力を太宰さんに
三番目には意識的に明るさを芥川氏より頂き,個我みたいなモノは三島文学より。
僕の竜退治のミカエルは彫刻家のロダン=文学にF.ラブレー=透視にスウェーデンボリと
言った大家より受け賜って,ジヨットのイコンにおける精神性において開花する。など
ここまで自意識的に説明したところで,それらは”前世”とは関連のないことではある。
集中力に謎解きの扉を開く鍵のあることを知悉して,ようやく,眠りに就けそうである。
渾然一体となってファンタジーは,一度死に,二度目に産まれる魂に対して,何らかの
ギフトを与える。集中力によって,ソウルは再び現れた記念として,”前世”の贈り物を
授かるのだった。そうやってゆこう。黄昏に,贈り物としての言葉を貰うようにして,
やっぱり夕餉の匂いは良いモノである。そこかしこに湯気の上がって,昔はさながらの
薪のくべられた薫りなど漂っていたろう。こうやって,時代は溯られれば,魂のうちに
何らかの,記憶=ファンタジーを得ることのできるはず。

急に,突然の報せのように,白い聖母信仰のほうへ寄りかかって行きそうな気さえして。
夕餉の匂いにのせられて,それらは,ふわりふわり声明を携えて近づいてくる。夕暮れに
不可思議な想いを感じ取らせながら。この白い芳香は何処から遣って来て,今さらながら
ついにこの辺りまで,ついの最近までは,いったい何処に居られたのでしょうくらいの,
何だか不可思議にふわりふわりと感じられる香りなのであった。良い…

季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。

人文的な要素のないと言葉の発想も浮かんではこないもので,なおさら まだまだメモしておきたいことのありそうで,けれども,もうこんなにも 季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。雨煙に 合わせて,ヒーリングのアロマ・ミュージックなる分厚い音楽を掛けながら そのブランケットにくるまれて温かい心持ちをして,人文的より,また素描。 ああいう荒野にそっくり掘り込まれた教会遺跡群などは,もうイニシエートの それら現代のクラブシーンだったのだろうか?僕はその際,家で,お茶を啜る あのインナースタイルの静かなもんだったろう。なんて,基本的に動くとゆうか 家の中を満たすひとつの酵素で生きていたい。生活の匂いは,家の樹々の香り。 肉食には,昔の突っかかりを感じて,なかなか馴染めないけれど,元気は出る。 美味しさに賦活されて,文化的に色々楽しめることを良しとしては,けれども 今となっては,雨に巻かれてウッディな温もりに浸透されることの,浄福なので。

咳や熱風邪も,一度肺炎になった?と感じ始めたところで,一気にスノーマンの 夢を見て瓦解するように退けて行った。その余韻に燻製チップのような薫香の, ハートあたりに漂って,それはまた幸せな健全さの回復を予想させるので,納得。 燻製や北国のイメージは,やがてその厚くなった肺や気管の様子を想像させて, それでロマネスクなのだった。北国は,やがて魔の山も克服して,こうして篤く 人のこころを暖めてくれる。けれど,だからといって,こうゆう時に何かお肉食を 試みたくなる。本当に,篤い人生を効果的に造りだしたいのだ。むしろ,厚く強く。 豚肉の小間切れを,醤油麹とみりんで,お酒を加えながら,すこし甘味噌など足して 玉ねぎ,白ネギと共に炒めてみたのだった。奥さんは仮眠中なので,起こして頂ける ような料理だとは思えないので,ソファの近く,炊き込みご飯を解凍したのと,側で 摘んでいた。明日は英国のロイヤルウェディングだと,ニュースでしていて,思わず 感涙してしまい,僕も不可思議ながら,少しく傷付いた思春期に,感情移入しては, いかばかりか砕けた心持で経過を感じていたので,何だか,ホッとして,うるっと。

すべてお肉食で感情までも呑み込んで,取込んでしまえたらそれで良いのだけれど,
切なさや,哀しさ。鎮魂の想いまでは,そんなに簡単に解消していったり…