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かかる調子の,トマトソースにベーコンを,

すこし調子にのってしまい,書店などを訪れた際には,喉の
乾燥して誘発したのか,咳のすこしブリ返してしまった。やっぱり
すこし,この乾燥性の風邪みたいなモノは,ちょっと流行っている位,
それでも,届け物があったので,片道五分位の道程を歩いて,渡すために
散歩しながらフラフラしてゆく。外の大気を吸い込んで,楽になるのはいい,
気分転換に身体も動かさなきゃなあ,そんな気持ちで歩いてみるのだけれど,
道程その道のり,意外と軽い気持ちで,帰って来ては,昨今三島文学の,その
ファッションとゆうものに惹かれて,サド侯爵や,フィレンツェの光景など,
あるいはフラ・アンジェリコの天使像を思い描きながら,上滑りして,業の
上にも三年,淡々と軽快な,渡り歩いて行く文学性の姿を想像しながら,遂に
その切なさ,胸の痛み,茫洋とした感受性のくびきより,何か統合されるような
そんな,幸せと喜びの邂逅を,僕自身の想いを連れてきては反芻する文学性の
そんな最中に美味しい珈琲を,頂きたくなる,茫洋とした感受性とは,晴れる前の
霧の摩周湖,晴れる頃には本当に日本晴れの空気を漂わせて,かかる調子の,
トマトソースにベーコンを,半生のチーズを加えて,酸味だけを体験する,その
かっちりと,グッタリした身体の骨組みを直すような感性で,帰り道を歩いて行く。

カマンベールチーズとザクロ果汁,厚切りベーコンと完熟バナナの取り合わせなどを
イメージしては,実際はザクロのジュースを呑むだけで満足し,ベーコンはそのまま,
完熟のバナナにいたっては,まったく普通に豆乳とミックスして頂く次第,単品からも
色々な取り合わせに感じられる食材の神秘は,実際にするかどうかではない,そう何かの
物語り性を潜めて持っている。こんな食材談義を病み上がりの中でしながら,本当の
休息とは何か?を考えてすすんでゆく。散歩は良かった。歩き過ぎはキツイかも知れない
けれども,喉も変声期みたいに潰してしまってこの方,表現はこの位何気なく始められる
タブの樹の大きく実る親くの公園に行っては,上を見やりながら握り飯をほお張る気分は
家の中に滞りながらだって,感じられる。そうやって,無理にでも出かけて,今の時期は
急に冷えたりもするでしょう?おにぎりも,冷めてしまっては,美味しくないはずなので
いや,いやいや。冷めて頂くのがおにぎりとゆうものでしょう。だから,塩加減も強めに
すこし具材も濃い目にしたりするんじゃあない?こんな,行くかいかないかは,たいして
悩んでもいないのに,握るときのおにぎり飯の具にだけは,殊更考えたりもする,なので
そうそうのことはなければ病み上がりに実行に移そうとする動機などはあまりないはずで
今,やがてしてみたいと思い始めたのは,ジュースにもせずに,バナナ一本と豆乳一杯。

とにかく元気になりたい,のは換わり映えしない気力の衰えと共に,休息期に,はいって
やがてヤル気もみなぎってくるだろう,そんな空想を広げながらものごとに付き合って,
三島文学,ファッションには呆れが出る位,魅惑される。この,ドラスティックとゆうか
貯めこんでいるのに外周にはたゆまない拡がりを見せるような,そんな強い嗜好性をこの
ヨーロピアンな和でゆう弁慶のようなクリっとした眼つきの,熱視線に湛えている位の,
そのドラスティックさ,業の上にも三年,本当にそんな感じなのである。ドラスティック
この言い方には,雲のように暗雲のように,軽くまた雨も含んで,治まり着くようなその
覆い尽くして,結果うるおわせて帰ってゆく,彼の,循環式のノスタルジーと,そんな
ロマネスクの水車小屋ガタン・ゴトン。とにかくも,病気明けに訪れた,その自己同一性
この三島文学のうるおいガタン・ゴトンをしたすら黙想しては,瞑目しては魅惑される。
ザクロジュースを口に含んで,バナナを頂いて,すこし甘い気分になったら,ぼうっと,
扇風ファンのカタカタとゆう音にまみれて,全部忘れてしまうのは良いことだろう,その
求められても,求められるはずもない,健康の復興状態にあっては,忘れることの一番,
幸せだ,重篤にならずに,できた健康管理の問題そのものを『ありがたかった』と言って
床に伏してしまうのだ,何もかにも,封筒も,鉛筆も,消しゴムも,お茶がらのパックも
何もかも,伏せてしまって,ゴミ出しもできた,これは,循環式リサイクルになるから。

こちらは如何?

とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。

白黒の隈を着けて,いつもよりも浅煎りの珈琲豆を一杯のお代わりを 受けて,淹れなおす。家の台所は,さながらカレー屋さん気取りの, とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。 とにかくもゴッコ気取りで楽しみながら遣りすごす,台所での一時。 ダサいと言っては,何だけれど,バランスの好いのはそうゆうことだ。 そうして,そうゆうダサさをこそ,落ち着いているとして好む,そんな 白と黒を半分ずつ割って入れるようにして,豆乳オーレにして頂く珈琲は, 真皮に黒を抱きながら,表面きっての自分自身は,笑顔で白を通す,その 面白さは微笑みより訪れるので,にっこり気持ちは構えて,ダサさを通す。 それでしか淹れられない,なかなか浅煎りは,カフェオーレでしか入らない。
追及しては,戻ってくるのは番犬や番猫で,何だよとゆうばかり,番猫なら 招き猫みたいにスレンダーな物腰で,いいやスレンダーではないか,でも。 多分,何にもいないのだから,彼らにとって,虫の知らせは,いわゆる枯れ尾花 であって,そのざわめきや囁きのようにして聴こえる,彼らにとっては雑貨店。 トフィーのような濃厚な滑り出しで,カフェオレに合わせながら眺める,こんな 洋菓子店をめぐるように猫などの物腰の豊かさを側に置いて,ぼくは先日のあの ロイヤルウェディングの様子を想いだす。白馬のリードしている子の,ちょっと 荒れているのには,繁華街に急に放り込まれた武士のようなイメージで,そりゃあ 興奮し,混乱もなさるでしょう?とは,そればかり心配してはいなくても,やっぱり パレードの壮大さは計り知れない。ダイナミックであり,本当に生命力学的にもっとも ハラハラもし,手に汗握る。この悠長にはPCの前に座りながら,安堵して,折り畳む。

基本的にはまた紅茶とキャラメルを合わせる感じで良いと思うのだった。ちょっとした
あの渋味と,焦げているような甘味のあいだで,切なさと勇気を半分ずつにおおげさに
振る舞っている。週末を終えて,家族サービスとゆう毎度のほどでもないのだけれど,
毎日に平日のスタートを切る僕にとっては火曜日。風邪を引いてると体力よりも果敢に
すすめないのでこうゆう話題になっているけれど,それも治った後の話として,本当に
スタートを切られることに,爽やかな活発さをさえ抱いている,早速まだ沸かしたてで
すこし温湯のお茶を頂い…

憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど様々

前世ゲームとは言え,嵌入しきって書物の渉猟をすることは,最も
アクティブな瞬間で,それはインナーに居て,集中度の高まる体験。
憑依するとゆう言葉には,入り神級と創作ウォークイン。トリップなど
様々あるけれど,それは研究意欲としてそうなのであって,きっと以て
どれでも良いはずの日常と,外側の経験則のなかでは処世術としては
仲介されえない範囲の事柄ではある。なので,運筆とゆう詩性に向かって
コンスタントに埋没しきることのなかにも夕暮れ時に適うような,そんな
”前世”=書物文化のあって良いはずだ。転生とゆうことは,それほどまでに
コンセントレーションの中に含まれていて,一種の隠喩のようにそこにある。
それで,いま没我した自分は転生している,うん。それで良いじゃないのか?
例えば,自意識のうちで,第一に身体を漱石山人より,次に生命力を太宰さんに
三番目には意識的に明るさを芥川氏より頂き,個我みたいなモノは三島文学より。
僕の竜退治のミカエルは彫刻家のロダン=文学にF.ラブレー=透視にスウェーデンボリと
言った大家より受け賜って,ジヨットのイコンにおける精神性において開花する。など
ここまで自意識的に説明したところで,それらは”前世”とは関連のないことではある。
集中力に謎解きの扉を開く鍵のあることを知悉して,ようやく,眠りに就けそうである。
渾然一体となってファンタジーは,一度死に,二度目に産まれる魂に対して,何らかの
ギフトを与える。集中力によって,ソウルは再び現れた記念として,”前世”の贈り物を
授かるのだった。そうやってゆこう。黄昏に,贈り物としての言葉を貰うようにして,
やっぱり夕餉の匂いは良いモノである。そこかしこに湯気の上がって,昔はさながらの
薪のくべられた薫りなど漂っていたろう。こうやって,時代は溯られれば,魂のうちに
何らかの,記憶=ファンタジーを得ることのできるはず。

急に,突然の報せのように,白い聖母信仰のほうへ寄りかかって行きそうな気さえして。
夕餉の匂いにのせられて,それらは,ふわりふわり声明を携えて近づいてくる。夕暮れに
不可思議な想いを感じ取らせながら。この白い芳香は何処から遣って来て,今さらながら
ついにこの辺りまで,ついの最近までは,いったい何処に居られたのでしょうくらいの,
何だか不可思議にふわりふわりと感じられる香りなのであった。良い…

季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。

人文的な要素のないと言葉の発想も浮かんではこないもので,なおさら まだまだメモしておきたいことのありそうで,けれども,もうこんなにも 季節を描写するのみで良い,そんな甘露の雨粒と,上がった後の煙。雨煙に 合わせて,ヒーリングのアロマ・ミュージックなる分厚い音楽を掛けながら そのブランケットにくるまれて温かい心持ちをして,人文的より,また素描。 ああいう荒野にそっくり掘り込まれた教会遺跡群などは,もうイニシエートの それら現代のクラブシーンだったのだろうか?僕はその際,家で,お茶を啜る あのインナースタイルの静かなもんだったろう。なんて,基本的に動くとゆうか 家の中を満たすひとつの酵素で生きていたい。生活の匂いは,家の樹々の香り。 肉食には,昔の突っかかりを感じて,なかなか馴染めないけれど,元気は出る。 美味しさに賦活されて,文化的に色々楽しめることを良しとしては,けれども 今となっては,雨に巻かれてウッディな温もりに浸透されることの,浄福なので。

咳や熱風邪も,一度肺炎になった?と感じ始めたところで,一気にスノーマンの 夢を見て瓦解するように退けて行った。その余韻に燻製チップのような薫香の, ハートあたりに漂って,それはまた幸せな健全さの回復を予想させるので,納得。 燻製や北国のイメージは,やがてその厚くなった肺や気管の様子を想像させて, それでロマネスクなのだった。北国は,やがて魔の山も克服して,こうして篤く 人のこころを暖めてくれる。けれど,だからといって,こうゆう時に何かお肉食を 試みたくなる。本当に,篤い人生を効果的に造りだしたいのだ。むしろ,厚く強く。 豚肉の小間切れを,醤油麹とみりんで,お酒を加えながら,すこし甘味噌など足して 玉ねぎ,白ネギと共に炒めてみたのだった。奥さんは仮眠中なので,起こして頂ける ような料理だとは思えないので,ソファの近く,炊き込みご飯を解凍したのと,側で 摘んでいた。明日は英国のロイヤルウェディングだと,ニュースでしていて,思わず 感涙してしまい,僕も不可思議ながら,少しく傷付いた思春期に,感情移入しては, いかばかりか砕けた心持で経過を感じていたので,何だか,ホッとして,うるっと。

すべてお肉食で感情までも呑み込んで,取込んでしまえたらそれで良いのだけれど,
切なさや,哀しさ。鎮魂の想いまでは,そんなに簡単に解消していったり…