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漬物をかじる。

薄青いシャツを着て,漬物をかじる。すぐに,シワの
多い,”シワくちゃだ!”と言われて,洗濯モノの間に,
湿気挟みで,アイロンの代わりになるからと,一枚干し。
味噌ラーメンを啜っては,ウーロン茶を温めて,一服。
コンプレックスとは飽和すると”生きる力”になる,放念し。
”生きる力?世界を一瞬で変えられるとして,何故変化?”
業の泉に浸るその理由は,生命力が,すべての書物の源。
放念して,出来た,”生きる力”のきっかけは,前世ゲームの
書物の渉猟。その文化は,そのまま生命力で,疑念なしに,
何処か見詰めてる?そう。その,生命力の,世界エーテルの
地球を覆う生命力の想像力の鑑のように見える,一枚岩の,
弘法大師?この説話は何処か似ている。業の泉に浸っている
ように,高野山に納まった空海の貴魂にして言えば,Purity
2人の間に貴いConversationのあったとすれば,その会話は,
俗塵=業の泉と独白=瞑目の間にある,精神体の交際体験。

本当に,海の中に浸かって,水平線を眺めてきた。暑かったけど,
火照る黒々とした,鼻の頭を見守ってゆく,懐かしいのは,何故。
柔和にフザけてこないと,言葉にならない。真面目でやさしい,の
解るけれど。なので,言葉にならないことにより,精神病理や,或は
コンプレックスを人に問合せて,解決しない問題を我が物にするとや?
ふいと,そうした折りに,怒りだ?怒りだ,そう。怒りの涌いてくる。
そうゆうのは,反骨心や,突進力や,破裂する想い,そうゆうのの中に。
怒りの僧正の中に怒りの相貌や,お怒りのみほとけのあるかは,わからぬ
わからぬが,しかしながら。この鑑の弘法大師は,常に九郎義経や,そうして,
神々ならぬ,石切に犠牲を孕んで目的は,達成されないまでも”怒りに換る。”
鑑の怒り,そう,そうなのだ。破裂した印象の真実をこのフトコロに孕んで。
Heart Break,ここから始めて,Hard Bread,そうして,Herb Blood,この
精神性を,心に秘めて,直むきに,河川敷への下り坂おりてゆこう。

怒りの具体性。巌をこころに秘めている。Huge Rock,バイアスは非常に。
心に秘めた,コンプレックスに巌=Huge Rockを嵌め込んで,こうして今も,
両脚を伸ばし,熱気を外気に放り出しているのだけど,こういったままの,
シャボン玉の出来そうな,頭の端々からのあの香りをムシャクシャ掻きあげて
睡りに堕ちそうなその先にはもう”怒りの国しかない,”とゆう,こんな気分を,
ひたすら打ち込むHi Pressureを掻き込む,かき揚げは何故掻き込む,こんな。
揚げ物の熱さは,火に油の”怒り”そのもの。瞑想するとゆう,適えられれば,
怒りの国へ。Third Eyeのあるとゆう。本当に,この”怒り”に開きそうな顔を。
何に,怒っているの?そう。お腹いっぱい食べられて,なんだか嬉しくて,その
ムシャクシャとゆう,鬼面のような心地で,打ち込む柔和にフザけてこないと,
言葉にならない。真面目でやさしい,の解るけれど。なので,
言葉にならないことにより,精神病理や,或はコンプレックスを人に問合せて,
解決しない問題を我が物にするとや?ふいと,そうした折りに,怒りだ?怒りだ,
そう。怒りの涌いてくる。そうゆうのは,反骨心や,突進力や,
破裂する想い,そうゆうのの中に。怒りの僧正の中に怒りの相貌や,
お怒りのみほとけのあるかは,わからぬわからぬが,しかしながら。
この鑑の弘法大師は,爽やかな夏風に,麦のストローなびかせる。あの,
怒りの僧正は,みほとけのあるかは?




こちらは如何?

KARMA SPRINGとゆう、LONDON ONEの書類群。

腸がつまる、など。必然的な兆候を含む、現代のシンドロームには業の湯浴み、として。沢山の娯楽をエンターテイメントのように軽く、 楽しめるかとゆう、趣味の時間を1分2分。どうしようか? ほんとうに湯舟に浸かれる瞬間は、ご褒美だけれど、郵便物を 受け取るための深夜窓口も、寒くって伺う気にはならない。
疲れている?いいや、眠たいのはいちばんのご褒美で、またあの 思考を放棄する瞬間にこそ、曖昧で朦朧とした意識の、それは、 諦念する、問題も、なにもかもなくしてしまわれるのだから、 業の問題を考えるにしても、その問題をこそ、考える理由にこそ、 思考をなくしてしまえる瞬間に、解決されるとゆう、自己回帰。
スムーズに、ヨーグルトのプレーンを朝食に、必然的にも トーストの欲しくなるのは不可思議以上の不思議な事で、 思考し過ぎる事かあ、趣味と言えば趣味らしいモノだろうけれど 逆に、その時期を通りすぎれば、遺産として、KARMA SPRINGとゆう あの書類群の、ギフトだったのだな、ギフトだったのだ。 LONDON ONEとゆう、思考の山人による、最高の贈り物。
篤姫や、真田丸のあとには、足利学校のテーマなどみられる のでは、など、そんな、太陽悪魔や、オロチ伝説の、赤猪岩受難の、 岩戸伝説や、岩窟の聖母像と重ねて、ヒトの受難は、獣神化する道程を 経て、進む。確実な過程として、行程は、目的地の、アマテラスへ。 太陽の夜明けに繋がるのは、そんな、獣神の角と眼の筋の取られて ヒトよりも人らしい、そのグラウンドダウンしてゆく人間性の、 これは、地味に滋味栄養のある、豊富な、例えば、あの古い語の 富国強兵論なども、こうした、筋肉質な糖質制限や、あるいはまた 腸の詰まりは、富国強兵に、カルマ・クリーニングを一跳びして パクチーのコンソメスープなどを啜る朝に、やはりあの、 トーストを欲しくなる、都市街の朝食風景は、ループする。あんな ループする朝食を求めて、世界は廻り続けているとしたら、 このグラウンディング指向も、また、おんなじ様に、新年のお雑煮を、 頂けそうな、そんな年末のグツグツ、カマドは周るのである。

跳び込んで、さては越えてゆこう、あの倫敦の壁。

反射式灯油ストーブとゆう、電池が2本あれば着火して、延々と火が灯して居続けられるとゆう、あの暖かい暖房器具に換えて、 けれども、いくら火が自慢してきたって、この寒さにはギャップの ありすぎて、孤高の熱源とさえ言える。そうとも思えなくない。 例えば、こんな夜に、ジョナサン・スウィフトのガリバー旅行記や、 ジェイムズ・ジョイスの、ダブリナーズや、ブルネルの蒸気機関の、 あのシラノドベルジュラックの引いては切なさとゆうものへ。 たどり着いては、首を振る。僕の、ポートレイト?これは、いや。 むしろ、地底のレストランへの入店チケットに違いない。 ペイパーバックライターのイントロを奏でながら、いらっしゃい!と。
そんな中で、また別の系譜へと、この流れでして、目をやると、 ジョンのピースプレイトと、プルーストの時のない、そんな エル・グレコの静止画と、フェルメールの祈りのない静止画と、 そうして、カスパーダーヴィドフリードリヒの動画のような、 祈りを、静止画と動画に織り交ぜて平和を祈った、ダンテの あの、天国と地獄には、とにもかくにも、動きの中の静けさ。
大晦日を迎えられたのは、身体に感謝とはいえ、なぜかしらの 糖分がすべて抜けたかのように、フニャっとしてしまったので 何かしら食べていようと、寝正月とお正月料理を拝借する。 魚卵は、女性ホルモンにて情緒安定し、かまぼこ、お餅などは 練り上げる消化力を推し進める。とにもかくにも年末から三が日は ほんとうに終わりと始まりをないまぜにして、全然のとやかくゆう、 あのサナギの産褥の時期である。もう、ほんとうに生まれ変わって 蝶に羽ばたくこと、はばしく麗しやかに、その飛翔は、まるで
カルマクリーニングをひとっ跳びして、掻き削がれたオーラの 全体性の発露とはかくゆうこんな、絶対的に阻まれた主観性だ。 何かが、1年の糖分のあまさとして、大晦日の業火に灰と化し、 新年の三が日はとにかく、食べて寝て、練り上げて、寝て。 そうして、思考知性の小さなままの、不死鳥のヒナまでが、何か 新しいスタートのしるべのようにして、現れてくる。そんな、 切なさではいられない。けれども、業火には、もう絶やされない。 すべての出逢いと別れは、一新され、そうして、知性の発現している この、小さな飛翔体によって、希望を持ち抱きながら、すすむ。
こんな、混沌とした新年には、もうすぐ、何か道しるべを掴める。 といって、希望を持ち抱きながら、…