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上方ヘミングウェイ,下方漱石山人。

外界の陽極,ヘミングウェイ。それと,内界の陰極,漱石山人。
それぞれが,入り混じって,僕の前世ゲーム=書物の渉猟文化は。
業の泉=混沌の中庸,太宰治に辿り着いた。信頼と安堵感を連れて,
フェミニズムに特有のヒステリクスとの付き合いは,一周回して,
信頼と安堵感を連れて,業の泉=混沌の中庸,太宰治に辿り着いた。
上方ヘミングウェイ,下方漱石山人=赤葡萄酒のような,焼石のような
ぐるぐると融け合って,長い間ぬけなくて,つきささっていた蜂の針。
太宰は,龍馬,今川公,九郎義経,弘法大師の影を抱いて,蜂の針。ついぞ
忘れていた,彼ら巌の神を抜きにしてはロマネスクは語れない,その中心は
ついぞの元来。中心はない。芥川氏や,マクルーハン,ジョン・レノンの境域。


長い間,巌は”蜂の針”とゆう槍をかかえて,
もう抜けそうにない地下道を過ぎて
漱石山人の物質身体=ヘミングウェイの精神神体,
ようやくロマネスクとの再会をへて,
さては弁慶=三島文学。
引いては竹千代=芥川氏。
高杉晋作=大谷崎との出逢いを含めて,
堀さん立原ロマネスクへの道程を願う。
優しさ?地球全体の願い,
感情の裏を,足の裏を掻くように,
蚤の市に文鎮の魚型した銅製を見付けては,
折り返す,太閤秀吉の倫敦塔ロマネスク。


物質体に巌の枕を抱えて眠る,その手前
寝枕には,タイプライターほろ酔いヘミングウェイ。
外側にはブランディー。内には岩窟の清水。
決定的な,薔薇のハーバル・ウォーターをのぞんで
玄関先に立っていた。身体は疼く,それぞれの精神。
ヒステリクスの抜けたロマネスクには倦怠の不安まじりに
雪は降るときになれば,身体は冷えるだろう。そうゆう
想像をしながら,冷泉浴に臨む僕の気持ちは
睨みつける義憤のそれよりもっと,高尚な共感の。
世界の業の泉を以て称する,その泉は栓のあって,
水の枯れてゆくそのときこそは,倦怠の不安まじりに
梅の実を口に含んで,豆乳を呑んで,眠って。
どんどんゆく道すがら,ひとに出逢っては,
頼むだろう,一歩だけ退いてくれないか,と。




こちらは如何?

存在するってのは様式美よりも,門戸のない野原。

自我の領域より飛翔したいとゆうのは,ちと違う。青空は二層にも 分れて,上は真空,地上は温暖に溢れているのだから,もっとあったかく 野性の酵素に満たされているくらいの力強いパワフルな悟性を,もっと。 訓戒は破るためにある,それは依存だったとの由。カビは,潔癖が産むとは 功利に走る感性の,腫れ物に換わってゆく様を想えば,まさに,土着の農業に ミラクルな意地の強さを頂いて,キレイな大理石にはわかるまい,あの祟りの ように,タケミカヅチにはもう解放の予兆。萩原朔太郎の詩性には,孤独の。 上杉謙信には辛口の酒。平敦盛の首塚には,近藤勇の肖像をポケットに歩いた。 猫町横丁を逍遥しながら,妻帯せずもののふの塩辛よ,供養する美青年への悔恨を 結局の優勢,無勢に関わらず,人を助くる所に助られる者なり。と,もう予兆は, 確かに,土着の酵素に適えられて,やはり,ネギの収穫を手伝ってきて良かった。 そこで,得も言われぬパワーを頂いたことは,潔癖症より打ち克つ何よりもの,あの 祟り神とは,本当に(神話は誰にでも当て嵌るように出来ているのだから)リアルの 神がいるとしたら,いいや,リアリティとゆう意味の唯一無二の,現実性のあるなら, それは,祟りの比喩にこそ存在している。嫌ってはいけない,正直であるのに対し。 少しの笑顔で,不思議だなあ,と。理解できない野性的趣味にも,世界の歴史上,まず 野性のあってこそ,存在するのは”白亜”の様態なのだ。この野獣のかんばせをこそ。
ミケランジェロや,漱石山人などが,彫刻を制作する折りには,あるいは大英博物館など 訪れたのちには,親くのお宿などで,石膏の石板などをテイスティングならぬ,毒見した のでは,とゆう白昼夢をみる。創造知性の探索,または西洋文化なる知見を目的として, その無味なフレイバーはきっと夢のなかでも秘密を,ある世界の歴史においての,秘密を あらわしているように感じる。僕には体感的に,それが潔癖症を治す,唯一ほどの手段に 感じるのだ,イマジネーションの上では,そういった,酵素質の話しは差し置いても,の 白磁,青磁の陶器にも至る道程には,なぜかしら”白亜”の生誕の上で,土の鍛錬に結ぶ, そういった工程を,この町で通り過ぎる石膏彫刻の姿に,”デッサン・アート教室”の看板 には,『素晴らしい文化だなあ』町の中で,何か日に照らされて暖かい硬質な花の匂…

ゆきずりの恋を活きる共同体形成の宵明け珈琲。

自己責任の発想は,やっぱりちょっと違う。海外のひとからは ナンセンスと言われる,例えばコモン・センスには,合わないのかも 知れない『日本の”常識”=その噂話=逸脱した集合無意識など』は, 確実に,共同体形成や,防災意識,暮らしの成立,自由の体現などに 必須事項であるはず。ちょうど,ゆきずりの恋に,宵明けの珈琲を啜る みたいに。極端な疲れには,珈琲を呑んで寝る,この発想が,なかなか 疲労自体の裏にある,自己解除作用に結び付いて,ダイエットする精神。 腸活や,リンパケア,遺伝子のONなども,こういった作用に関連して, きっと痩せることが必要ではないかも知れないけれど,精神は痩せていた ほうがずっと良い。なんて,最近は,そうゆう精神肥大について,半ばの ダイエットを始められそうな次第である。大抵は,パートナーが寝ているとき 僕自身の目覚めてアートを楽しんでいる。僕が大いびきをかいて眠るときに 彼女は,その録音をコラージュなどして,ダンス・ミュージックなどに仕立て 起こしながら,朦朧の意識に意地悪など仕掛けてくる。今日は僕が起きてる番。 塩釜をコトコト煮詰めながら,灯油代も,その理由で気にならずに暖を取られる 心地は,冬景色の良い効果だ。半額で,豚ひれ肉のブロックが売り出してあって 醤油みりんで漬け込んでいたのを,じわじわ焼いていたら,簡単なチャーシューが 出来上がった。タイミングよく,父が”キタアカリができた”と届けてくれたので, お礼にすぐにタッパーに入れて,持ち帰ってもらう。実際は,なぜだか自然体で そんな一連の火の調理づきあいのできてるので,こんな精神のダイエット構想には もってこいの火の調理週間であるはず,水回りはキレイにして,しっかりと使おう。
ちょうど,フグの湯引き調理のあとに,床底に暖気のたまるみたいに,業の観念は どうしても内にも外にもただよっているものである。こんな,感情を知的に合わせる もみじおろしみたいに,はっきりと業を認識することは大事である。認識できず,あの ポイズンに当ってしまうこともあるだろう,瀕死の業中毒はよくあることなので,ただ 業が過ぎ去るのを待てば良い。ここで,自己責任にNO,を言うのは,業の付き合い方は ちょうどの,ゆきずりの恋愛ドラマをみるような,そんなあえての”自由の発想”で良い。 中毒になっているときは結構大変なモノ。精神…