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7月, 2017の投稿を表示しています

情と熱と天性栽培。

HystericsとHumanityは同一のもので, TemperatureとHumidityが,水で一致しているように, ヒステリーは,人間性と,”命の源動力”とゆうもので, 一致している。人間には,大地(水)のうちにあって, 熱=気温+湿度の境界線は厳密に引くことは出来ないのだから 「大地の”器”に漱石山人を貰い,三島文学の油粕を肥しにして,  芥川氏の水分を頂いて,太宰の種を淹れる。  この,世界エーテルの育て方に,秘密の鍵を世界エーテル。  一度しか水やりをせず,一度きりの肥しに添えて,一粒の種。  幸せの大地に”天性栽培”の,芽は噴いた。なので,どうしても  遊興に,町屋意識よりの創造を目指して,定式=常識。天女の  また,天馬のたてがみ,揺らしては世界エーテルを振り廻し。」 もうすぐ,夜明けだな。町屋意識まで辿り着けば,あとは”記憶”を 紐解くだけの挨拶回り。
”天性栽培”の叶って芽の噴いたのならば,それはイコールの,以て 世界エーテルとゆう境域をほどいて超えてしまえば,”記憶”の紐解き, 一膳に,自己クリーニングとゆう世界の紐解きに他ならない作業の, 宇宙大に拡がったマクロより,”記憶”像の挨拶回りとゆうミクロ性へ, 移転しては,移行して,移染される,身体の記憶。腺組織とはそうして, 熱中症などと深い関わりのある作用を持っているが,そうしてまた。あの, 腺組織の解除を成功して,試みにそんな事を言っている市井のESSAYは, あのお,腺組織の解除とは?と言われて,いやあ冷房の効いた部屋を, 氷枕をして,水のお風呂に入って,もう万全とゆう奴ですね。など, 口を揃えて,あれは冷やす目的の,ひやかしにすぎない。 なんて,そう言って。帰ってゆくのだ,月の国。そうですね。あのお, の次は必ず,疑問符だとおもっていたのだけれどもそれはそうとしても。 世界エーテルの解除,って言ってもよいのだった。それは,腺組織の, とゆう世界エーテルの解除。空調の自分の部屋に戻って,”記憶”の挨拶回り。 もう,口々に”よろしく。”と言って,回るので,良い加減に,世界の紐解き。
「遊興に,町屋意識よりの創造を目指して,定式=常識。天女の  また,天馬のたてがみ,揺らしては世界エーテルを振り廻し。」
俗っぽく言うつもりはないのだけれど,”記憶”の紐解きは,そんなに関心を 惹くなどと,…

熱する=時間扇。

熱するとゆうのは,果物が完熟に向かう,ボイルする 沸騰する湯沸かしに,時間は十倍速に進む。そうして, アンチエイジングとは,抗酸化とゆうの解る気のする。 だから,夏は,時間の進むのが全時間的に環境的に, ずっと早く廻っているのだ。何故?なぜ全時間的に, 環境は時計の針を早く進める,必然の速度増す。この, 夏の時間の速さに,もうどうしても驚愕を隠せない。その 時間全体の,地球全体の酸化=老化している。この感慨,
もう早くも,朝ごはんに白菜の漬物と白米。昼ごはんに, 茄子の塩漬けと白米ごはん。繰り返しては,あいだに夢想の アイス・オーレを氷カラ・カラ。たまには動物性蛋白も。 なんて感じながら,オーレに優柔不断のミルクを加えて。 せっせ,せっせ。どうしても,働きたい余裕のある時に。
その余裕のある感情は,あと一息。自分のクリーニングの 佳境なのだ。佳境。良い言葉は,時間の速度を早めるから, もうすぐ,15時のおやつの時には変わらずアイス・オーレと 氷カラ・カラ。鳴らしている自分を想っては,筆を速める。 スラスラ・スーラ。点描画は,スラスラ・スーラ。なんて,
この夏の時間速度に焦点を当てて。果ては,自らの胃腸は, 腸活の極致にあって,7年に一度の細胞入れ替えはこの速度の 中で、始まる。終わる,空調の管理は必須で,その下でも, 容易に氷は解ける,溶ける。熔けてゆく氷の見て実感。 やっぱり,氷みずならぬ,冷泉浴のうちに停まって,体も
熔けてゆく。暑さはごちそう。時間の進みはごちそう。そんな この夏の時間速度に焦点を当てて。スラスラ・スーラ。点描画は, スラスラ・スーラ。『地球会議』なるものに出掛けて,すぐに, 門前払いされるのは時間の進みは早いけれど,創作には遅い,
体の熔けない,アイス・オーレを氷カラ・カラ。繰り返しては, あいだに夢想の,繰り返してる自分のクリーニングの佳境。この 僕自身は身体を冷やして,冷泉浴でも,この夏の過ごし方でも 酸化や,熱する=時間扇にあらがって,まだ果実は堅いのですよ,
そうして,抗酸化を謳っては,
”ボイルする世の中を”
逆廻り時間扇の,左回し珈琲を淹れて,あらがっているのですよ。
茜色の空には もうすぐ,もうすこしのひとさじお砂糖を許して差し上げます。

作り置きアイスコーヒー

濃い目に淹れたアイスコーヒー,保存していてその, ホットが良いと,手鍋で温めたら,またこれが美味い その訳は,やっぱり”常識=定式”。質量保存は,業の 意味でも使われると,以前とある天使論の本で読み さながら,アイスコーヒーをゴボウチップスと落雁, 合わせて頂くかのように味わいながら,その意味は ”前世ゲーム=書物の渉猟”文化の表れだとして,その 趣味は,平凡なありきたりの所に隠れてる,そのまま 奇想天外を諭さずに,またこうして,平凡な中を届ける。 計算上は,そのまま冷やしておいた方が珈琲も美味い。 けれども温めて,何故だか美味いので,こうした趣味は, ”真実はどこにあるか”ではなくって,”真実の見つけた” あの,ロマネスクの趣好雰囲気にある。常に反芻して。
”常識=定式”。ここに意図があるとすれば,”意味=浪漫”。 ロマネスクの追及を基にして。意味は,反復する中枢の, ただ集中して,ロマネスクを追及するそんな所に,解決の ”真実の見つけた”。自他同然の趣好をめぐる,WOODY。 反復する中枢に,働きかける,VISIONは他人まかせでも。 中枢は,働き続ける,中枢の思考,集中する嗜好。また, どんな所でも,浪漫的集中力は有難いので,もっての外は アイスコーヒーの渋みに,何かを加える事なのだ。氷で良。 綺麗ごとエスプリに身を任せてグルメーに 舌鼓すれば,そのアイスコーヒーの渋みは遣って来ないので, もっての外は腸活に合わない脂肪分は摂ることのないようにするべし。 このグルメーの油身は,解消される”迷うのは,子羊”。のため。 本当に考えた,ひとめぐりしてかんがえた,奇をてらったもの 奇想天外な嗜好の中には,VISIONはあってもWOODYなしの だから,温めなおした作り置きアイスコーヒーの偶然性には, ひとめぐりした旨味の拡がっているのだろう。この期待感。
アナトール・フランスのエスプリに迷ったことがあった。本当に 彷徨った。犬猿の仲のあるとすれば,ドイッチュ・シュタイナーと フランス・フランソワは,犬と猿,山と海のようなものなのだ。 簡単に考えていた,食あたりしないと思っていたのだけれども, 食べ方を間違えないように読んでいても,食傷気味である。正直に 犬=山と,猿=海のどちらも食あたりしてしまう。この感じ,なので あたらないようにグルメーのフランスを読み,無添加のように…

知性偏重の時,

太宰龍馬のオーナーシェフをしている,シェ・DAZAIは,
東照宮芥川氏がギャルソンをして,太閤漱石山人が内装を,
手がけた壮大なフェスティバルを思わせる素敵処である。
ギャルソンは菓子パンを包み,シェフの刻んだパン種で,
太閤の店構えにブーランジェリーを営む,パン屋さんでもある
だから,知性偏重の時,意味はやがて,音韻を失うだろうけど
そんな中で,やはり歴史を創世してゆく『意味の知性』。その
創世する『未来はやがて音韻を取り戻し。意味の知性は進展し。
崑崙の融通。見事に世界は,一粒の麦を開花させる。未来は。』

腸活の進んでチャクラ・ワークにまですすんでゆく。未来は,
ランチに山麓のリゾートで食事する,そんな優雅な森の匂い。また,
何処かで逢おう。これは,山麓に拡がる水脈の龍神さんの声で。
この,けっして食べる順番を間違えない,食べる順番さえ合って
いれば,腸活を間違えることは,ない。ここからチャクラ・ワーク
の始まりは黎明となって始まって,ガードの取れた精神からは,また
水脈となって龍神さんの所々に拡がる,身体自身の水源となる。

太宰龍馬のオーナーシェフをしている,シェ・DAZAIは,
東照宮芥川氏がギャルソンをして,太閤漱石山人が内装を,
手がけた壮大なフェスティバルを思わせる素敵処である。
ギャルソンは菓子パンを包み,シェフの刻んだパン種で,
太閤の店構えにブーランジェリーを営む,パン屋さんでもある
だから,知性偏重の時,意味はやがて,音韻を失うだろうけど
そんな中で,やはり歴史を創世してゆく『意味の知性』。その
創世する『未来はやがて音韻を取り戻し。意味の知性は進展し。
崑崙の融通。見事に世界は,一粒の麦を開花させる。未来は。』

だから,マウスを光学にして,さらにワイヤレスになってからは
本当にマウスはハツカネズミのように,活きいきと,恬淡として
活躍している。これは,キーボードもワイヤレスで,クジラ雲。
クジラ雲にハツカネズミの載っている。
こうして,叩き打つタップ音からは,風力や水源のよって立つ,
あの生命感はPCより湧き出て,生命源である,知性偏重の時,
poorでもweakでも,stop All the Fight,の黎明である。

太宰龍馬のオーナーシェフをしている,シェ・DAZAIは,
東照宮芥川氏がギャルソンをして,太閤漱石山人が内装を,
手がけた壮大なフェスティバルを思わせる素敵処である。
ギャルソンは菓子パンを…

キュウリとズッキーニ。

携帯の着信音が鳴っているのかと思いきや,先ほどの おやすみ伝えて寝て行った奥さんのいびきだったことに, 驚いた。相当に安心もして,疲れていたんだろう。なんて, 夕食に,ズッキーニのソテーと,キュウリの漬け物を一緒に 食卓に並べてもらって,何だか,火を通してはズッキーニ, 生食ではキュウリとゆう,夏野菜のトップ・レートにはいる, この代表格のMr&Mrs瑞々しさなんてゆう共通項に,追憶し 驚いた。暑さの中に比類なく怜悧な追究心のある涼しさに, だんだんと涼しさを増してゆく涼しさに,探求し追及する,この 怜悧な追究心のある涼しさに,だんだんと涼しさを感じながら。
比類なき涼しさ,それは腸活や,冷泉浴に似ている。比類ない, こうゆう志向を身体に持ってくると,やっぱり食の秋の訪れまで 少し休んで,背中のおできを治すようなイメージで比類ない涼しさ, キュウリとズッキーニを食べて,ただ身体に正直に冷えていたい,が 冷えているとゆう実感を持てるのも,また暑熱の抱く有限さ。貴重な この融通の効く,遥かな地球の水平線。入道雲の湧き上がる,湧き上がる あの,盆踊りの雷鳴ならすよ,お母ちゃん。イザナミの夢を見ることがある, いっつも自然の味方,次いで彼女の味方をすることのできるのは,スサノオ。 だから,自らを漱石山人のスサノオ神話に駆り立ててゆく。彼女のイザナミ。 イナダとスサノオ,アマテラスとオオクニヌシ。果てはイザナミとイザナギ。 オロチ退治だって,『オロチのようなのが女神だ』って,なりふり構わず言う。 だって,それはただしいことだから,オロチのような女神は愛すべき彼女。 オロチ退治に駆り出される酒造りのアーティスト達は,本当は求めている。 私達には無い,うぶすなの祠を。と,まあこんな嗜好を連れづれに考える,また いびきは続いている。本当に,感謝だ。そうして,僕は,冷泉浴励行。
オーガニックとゆう指向は,ルーツを求め,根をもとめ,シモーヌ・ヴェーユの また,ジョン・レノンの,そうして,マクルーハンのようなデジタル指向を産む。 そこに行っては,ゆけない。ブレイクもまたデジタルに叫び,ヴラマンクもそれで 描けなくなった。アーティストの産みだす,オーガニックとはフェミニズムを叫ぶ, スピリチュアリティ=植物性=男性主事の,アーティスト酒造りに違いないから, より叫ぶのだ。『解体してゆく文学には,絵画とWebを一体化させよ。もちろんの 事,文学にしか…

Ding-Dong鳴そう,

遊興次元に,豆乳ラテ淹れてLONDON眺める。
修道異言に,梅肉あめ舐めて崑崙融通しとおす。
情熱は氾濫して,言葉を失くし,熱源には空しく,
一日をscheduleで俯瞰するのは詰まらないので,ただ。
遊興次元に,豆乳ラテ淹れてLONDON眺める。
修道異言に,梅肉あめ舐めて崑崙融通しとおす。梅肉の
渋味は,豆乳のmildな甘みに合わさると,夏のエッキス。
情熱だ,情熱だ。繰り返す,集中力熱源。ただLONDONの
写真を眺めて,繰り返す,集中力熱源。例えば,情熱は
ヤマタノオロチの酒造りを任されて有意義に行う道すがらの
思考を客観的に見届ける,自我の第三者的な姿。私は,外周を
計ってから,すこしずつ殻を破って孵化してゆく,外側からの
『孵化は外周より起る』。ただ啜っては置く陶器。

スイカを畑で,割った。収穫期の暑さの中では,常温の貯水源。
冷泉浴と銘打って,水風呂に入る。不思議と夕暮れの西日が一番辛い。
背中にできた腫れ物は,ズッキーニの大王さんを見つけた時の記憶。
身体中が震えるとする,ふるえたとして。戻ってくるのは,愉悦。
ただ,集中力なのだ。集中力熱源。LONDONの写真集みつめながら。
遊興次元に,豆乳ラテ淹れてLONDON眺める。
修道異言に,梅肉あめ舐めて崑崙融通しとおす。
身体が貫通した時,すべては始まる。終わっているのだから,開く。
ただ,集中力熱源なのだ。すーっと,透き通して。LONDON眺める。
遊興次元に,豆乳ラテ淹れてLONDON眺める。
修道異言に,梅肉あめ舐めて崑崙融通しとおす。
『孵化は外周より起る』。ただ啜っては置く陶器。

暑さの中に何かを学ぶ,それは貫通する身体。 集中力の熱源は貫通させる。 恐い夢を見たとする。無防備だから,怖い? 夜には怪談。昼には暑熱の,なので, だから,できれば,豆乳ラテを啜る時には考えてほしい。 とめどなく流れる,あの果汁や水源には, 私たちの記憶も含まれているから, だから,記憶を贈る。 送り出す記憶の最中には,良い記憶ばかりの籠められている。 だから,そんな。そんな記憶を,ギフトとして,”贈る”。 常に繰り出される,写真や時間の技術の中には, そんな世界のアートのなかには,もちろん。 ギフトとして,贈られる”記憶”の籠められている。

遊興次元に,豆乳ラテ淹れてLONDON眺める。
修道異言に,梅肉あめ舐めて崑崙融通しとおす。

上方ヘミングウェイ,下方漱石山人。

外界の陽極,ヘミングウェイ。それと,内界の陰極,漱石山人。 それぞれが,入り混じって,僕の前世ゲーム=書物の渉猟文化は。 業の泉=混沌の中庸,太宰治に辿り着いた。信頼と安堵感を連れて, フェミニズムに特有のヒステリクスとの付き合いは,一周回して, 信頼と安堵感を連れて,業の泉=混沌の中庸,太宰治に辿り着いた。 上方ヘミングウェイ,下方漱石山人=赤葡萄酒のような,焼石のような ぐるぐると融け合って,長い間ぬけなくて,つきささっていた蜂の針。 太宰は,龍馬,今川公,九郎義経,弘法大師の影を抱いて,蜂の針。ついぞ 忘れていた,彼ら巌の神を抜きにしてはロマネスクは語れない,その中心は ついぞの元来。中心はない。芥川氏や,マクルーハン,ジョン・レノンの境域。

長い間,巌は”蜂の針”とゆう槍をかかえて, もう抜けそうにない地下道を過ぎて 漱石山人の物質身体=ヘミングウェイの精神神体, ようやくロマネスクとの再会をへて, さては弁慶=三島文学。 引いては竹千代=芥川氏。 高杉晋作=大谷崎との出逢いを含めて, 堀さん立原ロマネスクへの道程を願う。 優しさ?地球全体の願い, 感情の裏を,足の裏を掻くように, 蚤の市に文鎮の魚型した銅製を見付けては, 折り返す,太閤秀吉の倫敦塔ロマネスク。

物質体に巌の枕を抱えて眠る,その手前 寝枕には,タイプライターほろ酔いヘミングウェイ。 外側にはブランディー。内には岩窟の清水。 決定的な,薔薇のハーバル・ウォーターをのぞんで 玄関先に立っていた。身体は疼く,それぞれの精神。 ヒステリクスの抜けたロマネスクには倦怠の不安まじりに 雪は降るときになれば,身体は冷えるだろう。そうゆう 想像をしながら,冷泉浴に臨む僕の気持ちは 睨みつける義憤のそれよりもっと,高尚な共感の。 世界の業の泉を以て称する,その泉は栓のあって, 水の枯れてゆくそのときこそは,倦怠の不安まじりに 梅の実を口に含んで,豆乳を呑んで,眠って。 どんどんゆく道すがら,ひとに出逢っては, 頼むだろう,一歩だけ退いてくれないか,と。



スサノオの梅雨空に寄せて,

ウチの奥さんは,スイカの実は常温が良い。ってゆう。 確かに畑の息吹を知りたいのなら,大地の匂いは常温だから。 飴玉を噴かすようにして,ヤマモモの果汁をソーダで割ると, それはやはり,大地の匂いがするものだ。常温は到って,平温。 要するに,梅の花は,冬に咲いて,春先より芽吹いて,梅雨空梅肉。 早くも,梅ジャムなどを舐めこんで,実に五十鈴川に飛び込む気配。 お伊勢参りに,柔らかい醤油うどんと,抹茶のかき氷を頂くのを避けて, その二大珍味を頬張ることなしに還った,私のスサノオは融けてゆく。 お伊勢さんは実に霊験あらたかだ。本当に,女性的な日本,とゆうメソッド。 そんな,日本メソッドを教わった気のして,返った我が里。お伊勢さんかあ, 餡餅を喜んでたべてくれる家族をよそに,天岩戸はどこにあるのだろう? そんな不可解な気持ちで,あの霊験のあらたかさを追憶していたようだ。あっ,と ゆう間に,一週間たっていた。そうして,私は,スサノオ。漱石山人のリスペクト。
昼寝から起きて,奥さんは嬉しそうだ。またすぐに眠ってしまった。なので, もう少し,アマテラスさんと,スサノオのお話を振り返ってみよう。昨今,初夏の 勢いのある日差しのなかでは,野鳥の虫たち捕まえ啄んでいる様子も珍しくない。 鳥の喉仏は恐ろしい,こんなスサノオ。虫たちの生命は無限だ,そうしてアマテラス。 ボタニカル・アートの植物のパートナーは,植物に鳥ではなく,地球には虫の生命。 親和する地球に生命体は女性性の強みを持って今にも吹き出しそうなエゴの共鳴を, 崩しては去って,くずしては取りさって。今にも醤油うどんを頬張ることを適えて くれそう。餡餅に抹茶のみぞれなどどうして考えられようか,とも含みつつ想い,今更。 この昨今のスサノオの梅雨空に寄せて,淋しそうな翳り顔をみせる。自然とは,常に。
梅の実とヤマモモ。微炭酸ソーダとパイ・シューの冷えたものなど,スイーツに手を
伸ばしては,水風呂だけでは飽きたることを知らない,そんな開局したラジオ電波の
ような,そんな面持ちで,表情の映らない,妙なイントネーションで魅力を誘う。もう,
黎明はもうすぐなのだ。

漱石山人,あなたの私であるならば,そんなけもののような眼差しで天然自然を眺めず, きっと,それは,あなた。『剽窃した自然の生き物じみた形が,人間の鑑なのですよ。 だから,どうしたって敵うものでもないでしょう,自然は私の裡にもある。あなたの…