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人間性の過去=未来。

人間性における,過去と未来,伝統と空白虚空の,これを,
例えば,ヒステリクス。一語に置いて考える,胃腸=腺組織の
何らかの関わりを現す消化線の,あれやこれや,これを,例えば,
ヒステリクス。一語に置いて考える,胃腸組織と考える脳髄のこれを,
消化=思考の嗜好態として,ひとっつにしてしまえば,一言に楽。なのでは?
コーヒーを呑みながら,一服して想うのだ。やはり,栄養失調や,暑気あたり。
憔悴昏睡まぢかに,マヂか,身体の応えて,業のヒステリクスとの寄合いを,
想定内に考えて策定します。オプション,オプション,”メイデイ”のように,
囁いては消えてゆく。人間性における,過去と未来,伝統と空白虚空の,これを,
例えば,ヒステリクス。一語に置いて考える,詰まりは,逃げ切りたいのだ。
”逃げ”をテーマに,逃げ切ることを考えては想って彷徨う。咆哮の芳香。それの
見事なる,”逃げ”をテーマに,甘藷の割下より逃げようとしている,そんな僕の
”彷徨いつつ行く”のが,”逃げ切りゲーム”の醍醐味なのか?なかなか,レースの
終らない。終わった時には,きっと,腺組織はすでに,筋肉と化して,鉄板の心を
夢に見て,レース振り返れば,逃げ切りなんてありえない,結局,そんなの嫌だ。
酔っているのか,業の泉。

答えは,愛だとも,ジョンは言ったけれど,答えは,自己同一化,きっと,”ない”から
求めるし,逃げ切りのテーマに,自己を自我より避けて,逃げ切るから,ライフはおもろい。
過去性とゆうテーマにしたって,オリジナリティは本屋さんにゆけば,ごまんとたくさん。
自己同一性?そんなの退屈だって,ジョンも言ってたじゃんか?三島文学の由縁も,
文学の消滅を想って描かれた,って論評で見詰めたし,未来性?これにミカエルの宿る,
アントロの言説にも前もって,書かれた言葉は無きにして,そんな”恒星言語”を以て。
対峙する,求める,答えを追及する,廻る惑星は空っぽの中心のない,では実践は,
行動するのは,栄養過多だから。絶食して,業のヒステリクスの浮かび上がり,それらと
アイデンティファイするようなそんな感慨には,多分もう,逃げ切りの終わる。

ROLL ROLLER HOUSE,そうだ,そうなのだ。転石苔の廻れば時間の消滅する。いっぺん
なくしてみる,栄養失調が終わっても群れ為すよりも,ないほうがいい。集団性の皆無。
こうして,考えるのを止めて,あるいは禁ずる。食当たりのあとの,冷房に敗けた後の,
また,思考にかぶれた跡の,Truth is NOTHING,これを,禁じ手の思考態を自認する。
醍醐味のあるとして,食事の中ではなく,嗜みの裡にもなく,瞑目の内でもなかった。
禁じ手の思考態。これは,逃げ切ったことではないのか?逃げ切ったら,永遠に逃げる。
思考を止める=逃げる。思考を止める=答え。思考を禁じれば,愛や,虚無=未来。
これら,浮かんでくる”思考を止めること”は面倒くさいのに良くやっていたなあ。って,
感想を持ちながら,次いで,止める時には,持ち物は持参するなら,眼鏡と,充電済電話。
何も見ないのだろうけど,傍らにこうゆう視点を置いとくくらいが現代の積ん読く。
代わりに,眼鏡と携帯。これら置いて,傍観視点にして,眼鏡にはダミーの目玉画も,
貼っておこう。こうすればダミーは自分のようでいて,自分は居ない。こんな,禁じ手の
思考は,楽しいのかな?忘我するのだろうか?きっと,脳髄と胃腸の分離した。こんな,
体感するのは,胃腸は胃腸に任せて,脳内は休もう。石には石の,草花は草花の。そんな,
趣好もあるのだから。

こちらは如何?

KARMA SPRINGとゆう、LONDON ONEの書類群。

腸がつまる、など。必然的な兆候を含む、現代のシンドロームには業の湯浴み、として。沢山の娯楽をエンターテイメントのように軽く、 楽しめるかとゆう、趣味の時間を1分2分。どうしようか? ほんとうに湯舟に浸かれる瞬間は、ご褒美だけれど、郵便物を 受け取るための深夜窓口も、寒くって伺う気にはならない。
疲れている?いいや、眠たいのはいちばんのご褒美で、またあの 思考を放棄する瞬間にこそ、曖昧で朦朧とした意識の、それは、 諦念する、問題も、なにもかもなくしてしまわれるのだから、 業の問題を考えるにしても、その問題をこそ、考える理由にこそ、 思考をなくしてしまえる瞬間に、解決されるとゆう、自己回帰。
スムーズに、ヨーグルトのプレーンを朝食に、必然的にも トーストの欲しくなるのは不可思議以上の不思議な事で、 思考し過ぎる事かあ、趣味と言えば趣味らしいモノだろうけれど 逆に、その時期を通りすぎれば、遺産として、KARMA SPRINGとゆう あの書類群の、ギフトだったのだな、ギフトだったのだ。 LONDON ONEとゆう、思考の山人による、最高の贈り物。
篤姫や、真田丸のあとには、足利学校のテーマなどみられる のでは、など、そんな、太陽悪魔や、オロチ伝説の、赤猪岩受難の、 岩戸伝説や、岩窟の聖母像と重ねて、ヒトの受難は、獣神化する道程を 経て、進む。確実な過程として、行程は、目的地の、アマテラスへ。 太陽の夜明けに繋がるのは、そんな、獣神の角と眼の筋の取られて ヒトよりも人らしい、そのグラウンドダウンしてゆく人間性の、 これは、地味に滋味栄養のある、豊富な、例えば、あの古い語の 富国強兵論なども、こうした、筋肉質な糖質制限や、あるいはまた 腸の詰まりは、富国強兵に、カルマ・クリーニングを一跳びして パクチーのコンソメスープなどを啜る朝に、やはりあの、 トーストを欲しくなる、都市街の朝食風景は、ループする。あんな ループする朝食を求めて、世界は廻り続けているとしたら、 このグラウンディング指向も、また、おんなじ様に、新年のお雑煮を、 頂けそうな、そんな年末のグツグツ、カマドは周るのである。

跳び込んで、さては越えてゆこう、あの倫敦の壁。

反射式灯油ストーブとゆう、電池が2本あれば着火して、延々と火が灯して居続けられるとゆう、あの暖かい暖房器具に換えて、 けれども、いくら火が自慢してきたって、この寒さにはギャップの ありすぎて、孤高の熱源とさえ言える。そうとも思えなくない。 例えば、こんな夜に、ジョナサン・スウィフトのガリバー旅行記や、 ジェイムズ・ジョイスの、ダブリナーズや、ブルネルの蒸気機関の、 あのシラノドベルジュラックの引いては切なさとゆうものへ。 たどり着いては、首を振る。僕の、ポートレイト?これは、いや。 むしろ、地底のレストランへの入店チケットに違いない。 ペイパーバックライターのイントロを奏でながら、いらっしゃい!と。
そんな中で、また別の系譜へと、この流れでして、目をやると、 ジョンのピースプレイトと、プルーストの時のない、そんな エル・グレコの静止画と、フェルメールの祈りのない静止画と、 そうして、カスパーダーヴィドフリードリヒの動画のような、 祈りを、静止画と動画に織り交ぜて平和を祈った、ダンテの あの、天国と地獄には、とにもかくにも、動きの中の静けさ。
大晦日を迎えられたのは、身体に感謝とはいえ、なぜかしらの 糖分がすべて抜けたかのように、フニャっとしてしまったので 何かしら食べていようと、寝正月とお正月料理を拝借する。 魚卵は、女性ホルモンにて情緒安定し、かまぼこ、お餅などは 練り上げる消化力を推し進める。とにもかくにも年末から三が日は ほんとうに終わりと始まりをないまぜにして、全然のとやかくゆう、 あのサナギの産褥の時期である。もう、ほんとうに生まれ変わって 蝶に羽ばたくこと、はばしく麗しやかに、その飛翔は、まるで
カルマクリーニングをひとっ跳びして、掻き削がれたオーラの 全体性の発露とはかくゆうこんな、絶対的に阻まれた主観性だ。 何かが、1年の糖分のあまさとして、大晦日の業火に灰と化し、 新年の三が日はとにかく、食べて寝て、練り上げて、寝て。 そうして、思考知性の小さなままの、不死鳥のヒナまでが、何か 新しいスタートのしるべのようにして、現れてくる。そんな、 切なさではいられない。けれども、業火には、もう絶やされない。 すべての出逢いと別れは、一新され、そうして、知性の発現している この、小さな飛翔体によって、希望を持ち抱きながら、すすむ。
こんな、混沌とした新年には、もうすぐ、何か道しるべを掴める。 といって、希望を持ち抱きながら、…