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普通の慣性,

一般的な感性では,ある程度うごいてないと,心配になる身体性に。散りぬるを,テーマにあるいてゆくと,区別する慣性,普通の若干くだり坂を降りるそのペースは変わらないのだろう。業の泉に落ちてゆく耐性を必要にする,崖っぷちの心理性には,前もって用意しておいた,お茶のボトルを一気呑みほしてから,バンジーよろしく,階下にしずんでは潜ってゆく枕の重みにたえかねた,自重僭越,空調を効かせて,朝の食事もパン食にして,フルーツ・ジュースとミルクの合わした合采の天ぷら・海鮮丼・チーズフォンデュなどは夜の食事にも間に合わないくらいシビアな胃腸の暑さにうだってる。暑さ自体が御馳走なのだから,例え,宴の席のないにしても。もう,大催事の昼間っから行なわれている。太陽の晩餐。

昨今早朝4時あたりからしか眠られない騒がしい夜更けよりの耳鳴りに,それは集合意識のエンパス体質による,共苦作用なのか,ただ単に物好きのエンタメ趣味なのか露ほど解らず。何が起これば,発生する雷鳴のような爽快さに瞑目できるのかさえ,宴に胃腸の調子を気にする同じく暑気あたりの自分にはサラサラ,背伸びして背伸びしても朝顔かな。こんな眠り薬に酔いは必要ないし,酔いはキライだし。もっと,ああ何にもないや。ミニマリズムに救いを求めたい。

ふっと暑さに風穴の向くように,暑気あたりはスーと抜けて,意識の軽やかになる瞬間はある。そうゆう時をもとめて,僕自身,業の泉にひたる癖をやめられない性分も承知で。ヴィジョンはイマジネーション。平面静止画記憶はイメージ。こんな翻訳を試みながら,テキスタイルは数学化学式的描画にほかならず,またも,inspirationは嵌入思考で,インスピレーションは思い付き。こうして,概念思考は理性的想起の事を指しながら,自然一体化は結局の所,包みこみの事で,思いあたる,自由の哲学は,道徳的ファンタジーとゆう,画像ブロックチェーン通貨のことをCLOUD PRINTINGと対訳している。ただし,愛のほか。

ことの外,愛のことを,思考と呼ぶのか,思考なのだから,心魂と言うのかまた,喜捨するセルフ・サクリファイスの他力ではないのかしらと,呟いては,氓国の志士。こんなネームの浮かんで。何だろう,セルフ・サクリファイスに打たれるとはヴェーユより,太宰より,芥川氏のサマー・ランドに麦藁帽の河童の国に往かれた,氓国の志士。テンプレート心理性に芥川氏の数列を並べられ背中には31の伝言もいただいて,より遊興次元に歩をすすめる,もう,いまとなってはショート・ストーリーのすべては寓話的であると,気付いた。

何か,食べたい。たべたい,と言っても夏バテのように不揃いな食欲。普段どれ程の酵素に助けられているのか解る。シェルターは暮らせどくらせど,明けない核の夜を活きるようだと言われても。ブラッサイの夜景写真のような霧のしずけさを,傘を差しながら,ジーン・ケリーよろしく。タコを買って来てタコ・パーティー。酔いに興じないとしても自然天然に忘我放心してしまいそうな人間的な或は文芸的な何か,空調に涼んでいれば,泰然自若と自己同一化するのであれば。このカチ割れそうな痛みの伴わない憔悴のジレンマ趣味を,どうか他力の守護聖人にいのり奉り候う,その趣味は結果的には瞑目睡眠を促しますように,と。珈琲を吞も。

こちらは如何?

KARMA SPRINGとゆう、LONDON ONEの書類群。

腸がつまる、など。必然的な兆候を含む、現代のシンドロームには業の湯浴み、として。沢山の娯楽をエンターテイメントのように軽く、 楽しめるかとゆう、趣味の時間を1分2分。どうしようか? ほんとうに湯舟に浸かれる瞬間は、ご褒美だけれど、郵便物を 受け取るための深夜窓口も、寒くって伺う気にはならない。
疲れている?いいや、眠たいのはいちばんのご褒美で、またあの 思考を放棄する瞬間にこそ、曖昧で朦朧とした意識の、それは、 諦念する、問題も、なにもかもなくしてしまわれるのだから、 業の問題を考えるにしても、その問題をこそ、考える理由にこそ、 思考をなくしてしまえる瞬間に、解決されるとゆう、自己回帰。
スムーズに、ヨーグルトのプレーンを朝食に、必然的にも トーストの欲しくなるのは不可思議以上の不思議な事で、 思考し過ぎる事かあ、趣味と言えば趣味らしいモノだろうけれど 逆に、その時期を通りすぎれば、遺産として、KARMA SPRINGとゆう あの書類群の、ギフトだったのだな、ギフトだったのだ。 LONDON ONEとゆう、思考の山人による、最高の贈り物。
篤姫や、真田丸のあとには、足利学校のテーマなどみられる のでは、など、そんな、太陽悪魔や、オロチ伝説の、赤猪岩受難の、 岩戸伝説や、岩窟の聖母像と重ねて、ヒトの受難は、獣神化する道程を 経て、進む。確実な過程として、行程は、目的地の、アマテラスへ。 太陽の夜明けに繋がるのは、そんな、獣神の角と眼の筋の取られて ヒトよりも人らしい、そのグラウンドダウンしてゆく人間性の、 これは、地味に滋味栄養のある、豊富な、例えば、あの古い語の 富国強兵論なども、こうした、筋肉質な糖質制限や、あるいはまた 腸の詰まりは、富国強兵に、カルマ・クリーニングを一跳びして パクチーのコンソメスープなどを啜る朝に、やはりあの、 トーストを欲しくなる、都市街の朝食風景は、ループする。あんな ループする朝食を求めて、世界は廻り続けているとしたら、 このグラウンディング指向も、また、おんなじ様に、新年のお雑煮を、 頂けそうな、そんな年末のグツグツ、カマドは周るのである。

跳び込んで、さては越えてゆこう、あの倫敦の壁。

反射式灯油ストーブとゆう、電池が2本あれば着火して、延々と火が灯して居続けられるとゆう、あの暖かい暖房器具に換えて、 けれども、いくら火が自慢してきたって、この寒さにはギャップの ありすぎて、孤高の熱源とさえ言える。そうとも思えなくない。 例えば、こんな夜に、ジョナサン・スウィフトのガリバー旅行記や、 ジェイムズ・ジョイスの、ダブリナーズや、ブルネルの蒸気機関の、 あのシラノドベルジュラックの引いては切なさとゆうものへ。 たどり着いては、首を振る。僕の、ポートレイト?これは、いや。 むしろ、地底のレストランへの入店チケットに違いない。 ペイパーバックライターのイントロを奏でながら、いらっしゃい!と。
そんな中で、また別の系譜へと、この流れでして、目をやると、 ジョンのピースプレイトと、プルーストの時のない、そんな エル・グレコの静止画と、フェルメールの祈りのない静止画と、 そうして、カスパーダーヴィドフリードリヒの動画のような、 祈りを、静止画と動画に織り交ぜて平和を祈った、ダンテの あの、天国と地獄には、とにもかくにも、動きの中の静けさ。
大晦日を迎えられたのは、身体に感謝とはいえ、なぜかしらの 糖分がすべて抜けたかのように、フニャっとしてしまったので 何かしら食べていようと、寝正月とお正月料理を拝借する。 魚卵は、女性ホルモンにて情緒安定し、かまぼこ、お餅などは 練り上げる消化力を推し進める。とにもかくにも年末から三が日は ほんとうに終わりと始まりをないまぜにして、全然のとやかくゆう、 あのサナギの産褥の時期である。もう、ほんとうに生まれ変わって 蝶に羽ばたくこと、はばしく麗しやかに、その飛翔は、まるで
カルマクリーニングをひとっ跳びして、掻き削がれたオーラの 全体性の発露とはかくゆうこんな、絶対的に阻まれた主観性だ。 何かが、1年の糖分のあまさとして、大晦日の業火に灰と化し、 新年の三が日はとにかく、食べて寝て、練り上げて、寝て。 そうして、思考知性の小さなままの、不死鳥のヒナまでが、何か 新しいスタートのしるべのようにして、現れてくる。そんな、 切なさではいられない。けれども、業火には、もう絶やされない。 すべての出逢いと別れは、一新され、そうして、知性の発現している この、小さな飛翔体によって、希望を持ち抱きながら、すすむ。
こんな、混沌とした新年には、もうすぐ、何か道しるべを掴める。 といって、希望を持ち抱きながら、…