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ミルク・カプチーノ。

エスケイプより逆エスケイプする,こんな目的で
非暴力ー無抵抗運動に賛意を,社会を変えたいとは,
エスケイプより逆エスケイプする,そんな目的で
非暴力ー無抵抗運動に讃辞を,そんな目的で。その,
ミルク・ホワイト・カプチーノなる,練乳とほぼ泡の
ミルクセーキ・カプチーノじゃないか,ってゆう。その,
Drinkを夢想して,ようやく『若きウェルテル』の時代に
戻れる。文筆は庭園の作業のように世界を維持する役割で,
そうゆう認識においてこそ,自然の水分と土の緑へ循環する。
讃辞を贈る,”無抵抗”とゆう字義に関しては,正しい。とゆう
それは,エスケイプすることに対して更にエスケイプする。
そうゆう認識で,抵抗という意義などはエスケイプには更にない。

修道院に入りたい,と思春期に発想して以来,何故だかは認識を
しえない中でも,ヒステリクスとゆう反応機序自体に,とっても
なんらかの批定成分を僕は持っていたのだと回想している。だから,
『知と愛』とゆうヘッセの著書の書き出しにある,何だかメイプルの
香りのするような描写に関しては,本当に納得したのだ,それが何故。
何故なのかは終に判らないまま僕のヒステリクスは枯れてきてます。
ヒステリクスはクッキーの型みたいになってくると,善悪の判断などの
白黒つける表裏の思惑などはすでに枯れてきているので何でもよくなって,
そうして,残っているヒステリクスを残飯のように,大事にしまって。
しまっておいてそのままいつの日か,月・木の収集日に回収されてしまう。

食べきりになるように,ご飯を炊いたりするのは,やっぱり煮炊きすることに
関して,過ぎたるは及びたるのごとし。底が焦げてしまう,そんな注意をよその
体裁をして。シチューなどは,すこしブラウンに焦げるくらいの中途で火を止め,
また温める時などすでにして,融けて戻っている。また,温める嬉しさには
過ぎたるは及ばざるがごとし。を,エスケイプからエスケイプし直る事。
万事融通,白黒併呑,ぬるま湯は熱い湯と同じく修行だ。などの塩梅を調整するのに
笑いを誘うくらい,過ぎたるを臨むようになったら,それは何か効いてきた証。
鈍転として,曇天の空には飴が降ってらあ。こんなおやつの時間には,ブラウン・シチュー。
温めなおして戻っておいで。焦げの焦げにならなかった旨味にそう言って,いつの日か
失った,少年に見られる,虫の追い網のような青春にヒステリクスとの付き合いは憑き物。
だから,ミルク・ホワイト・カプチーノなる,練乳とほぼ泡の
ミルクセーキ・カプチーノじゃないか,ってゆう。その,
Drinkを夢想して,ようやく『若きウェルテル』の時代に
戻れる。文筆は庭園の作業のように世界を維持する役割で,
そうゆう認識においてこそ,自然の水分と土の緑へ循環する。

こちらは如何?

KARMA SPRINGとゆう、LONDON ONEの書類群。

腸がつまる、など。必然的な兆候を含む、現代のシンドロームには業の湯浴み、として。沢山の娯楽をエンターテイメントのように軽く、 楽しめるかとゆう、趣味の時間を1分2分。どうしようか? ほんとうに湯舟に浸かれる瞬間は、ご褒美だけれど、郵便物を 受け取るための深夜窓口も、寒くって伺う気にはならない。
疲れている?いいや、眠たいのはいちばんのご褒美で、またあの 思考を放棄する瞬間にこそ、曖昧で朦朧とした意識の、それは、 諦念する、問題も、なにもかもなくしてしまわれるのだから、 業の問題を考えるにしても、その問題をこそ、考える理由にこそ、 思考をなくしてしまえる瞬間に、解決されるとゆう、自己回帰。
スムーズに、ヨーグルトのプレーンを朝食に、必然的にも トーストの欲しくなるのは不可思議以上の不思議な事で、 思考し過ぎる事かあ、趣味と言えば趣味らしいモノだろうけれど 逆に、その時期を通りすぎれば、遺産として、KARMA SPRINGとゆう あの書類群の、ギフトだったのだな、ギフトだったのだ。 LONDON ONEとゆう、思考の山人による、最高の贈り物。
篤姫や、真田丸のあとには、足利学校のテーマなどみられる のでは、など、そんな、太陽悪魔や、オロチ伝説の、赤猪岩受難の、 岩戸伝説や、岩窟の聖母像と重ねて、ヒトの受難は、獣神化する道程を 経て、進む。確実な過程として、行程は、目的地の、アマテラスへ。 太陽の夜明けに繋がるのは、そんな、獣神の角と眼の筋の取られて ヒトよりも人らしい、そのグラウンドダウンしてゆく人間性の、 これは、地味に滋味栄養のある、豊富な、例えば、あの古い語の 富国強兵論なども、こうした、筋肉質な糖質制限や、あるいはまた 腸の詰まりは、富国強兵に、カルマ・クリーニングを一跳びして パクチーのコンソメスープなどを啜る朝に、やはりあの、 トーストを欲しくなる、都市街の朝食風景は、ループする。あんな ループする朝食を求めて、世界は廻り続けているとしたら、 このグラウンディング指向も、また、おんなじ様に、新年のお雑煮を、 頂けそうな、そんな年末のグツグツ、カマドは周るのである。

跳び込んで、さては越えてゆこう、あの倫敦の壁。

反射式灯油ストーブとゆう、電池が2本あれば着火して、延々と火が灯して居続けられるとゆう、あの暖かい暖房器具に換えて、 けれども、いくら火が自慢してきたって、この寒さにはギャップの ありすぎて、孤高の熱源とさえ言える。そうとも思えなくない。 例えば、こんな夜に、ジョナサン・スウィフトのガリバー旅行記や、 ジェイムズ・ジョイスの、ダブリナーズや、ブルネルの蒸気機関の、 あのシラノドベルジュラックの引いては切なさとゆうものへ。 たどり着いては、首を振る。僕の、ポートレイト?これは、いや。 むしろ、地底のレストランへの入店チケットに違いない。 ペイパーバックライターのイントロを奏でながら、いらっしゃい!と。
そんな中で、また別の系譜へと、この流れでして、目をやると、 ジョンのピースプレイトと、プルーストの時のない、そんな エル・グレコの静止画と、フェルメールの祈りのない静止画と、 そうして、カスパーダーヴィドフリードリヒの動画のような、 祈りを、静止画と動画に織り交ぜて平和を祈った、ダンテの あの、天国と地獄には、とにもかくにも、動きの中の静けさ。
大晦日を迎えられたのは、身体に感謝とはいえ、なぜかしらの 糖分がすべて抜けたかのように、フニャっとしてしまったので 何かしら食べていようと、寝正月とお正月料理を拝借する。 魚卵は、女性ホルモンにて情緒安定し、かまぼこ、お餅などは 練り上げる消化力を推し進める。とにもかくにも年末から三が日は ほんとうに終わりと始まりをないまぜにして、全然のとやかくゆう、 あのサナギの産褥の時期である。もう、ほんとうに生まれ変わって 蝶に羽ばたくこと、はばしく麗しやかに、その飛翔は、まるで
カルマクリーニングをひとっ跳びして、掻き削がれたオーラの 全体性の発露とはかくゆうこんな、絶対的に阻まれた主観性だ。 何かが、1年の糖分のあまさとして、大晦日の業火に灰と化し、 新年の三が日はとにかく、食べて寝て、練り上げて、寝て。 そうして、思考知性の小さなままの、不死鳥のヒナまでが、何か 新しいスタートのしるべのようにして、現れてくる。そんな、 切なさではいられない。けれども、業火には、もう絶やされない。 すべての出逢いと別れは、一新され、そうして、知性の発現している この、小さな飛翔体によって、希望を持ち抱きながら、すすむ。
こんな、混沌とした新年には、もうすぐ、何か道しるべを掴める。 といって、希望を持ち抱きながら、…