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魚の骨鍼灸,


『喉に魚の骨が引っかかってから,小骨のくせに抜けない,
 大して気にもならないから放っていると,鍼灸院に居るみたい。
 喉のなかに鍼をしているので,こんなに高級な施療はない。自然に
 抜けるだろうとは思っていても。』

『女神は宇宙=惑星の気持ちを現してて,
 人間=個人意識は土塊の神だ。って,自然発生が起こってからのち,
 地球の女神の印字を身体に頂いて,それはこの星の証拠になるような,
 そんな天然の根拠になる気のする。』
この真実味のない,正に愛情の強い,恒星の種になるような枢軸を自らに
貰って意味するのは。
身体のガチガチ滞って,ポキポキ解してゆく時に想うのは,骨身の中心性で。

文学は,生理現象ののちに偶発的に必然性の現れもあるかのように,まるで。
効果を精神的に狙って穿つようなストーリーの存在論はありえないから,伝統。
偶発的に発展してゆく流れの中のながれにおいて文化的に発声される,伝統。
生理的に起こった伝統文化は,自然の女神にふさわしく,自然発生的伝統は真実。
伝統文化は,水風呂に浴びて,掌よりの清涼飲料のような,発声的快楽。そのまま
快方に向かう,夏の夜の泉。

猿が出るのだ家の茂みには,ミステリアスな声を映画に観ながら,猿のおいでになる,
不可思議と,応接間には高機のふたっつ,追い払うのに洋間の構造は防犯組織。
模範霊となるのに洋間の燭台よりも現代のジャコメッティ。楽器を弾くのは静けさの
呪いを説くため。芸術は,しこりより産まれ,しこりより還る。強さもまた然りで,
胃腸の働きを,感じながらも。働きを強くする栄養価の芸術と結び合う時に,冷泉の
庭園に噴水をみるように,這入ってみなければ解らないが,冷静に想像するのに,

『龍の形をしたドジョウの2匹は,落ち着いて沈潜する,水温はオーラのように,泉の
 温かさを保ち続いて,落ち着いて沈潜する,芸術と精神のしこりの結びつくところに,
 精神家は,自然発生的に伝統文化のように発声する,精神家のしこりは”恒星の種”で,
 ただ呆然として暑気あたりの開放した瞬間,いっぺん全部は宵闇に解けてゆくのだ,
 コーヒーもアイスにする時には,てんさい糖シロップを加えたい。愛はアイスの蔗糖。』



こちらは如何?

KARMA SPRINGとゆう、LONDON ONEの書類群。

腸がつまる、など。必然的な兆候を含む、現代のシンドロームには業の湯浴み、として。沢山の娯楽をエンターテイメントのように軽く、 楽しめるかとゆう、趣味の時間を1分2分。どうしようか? ほんとうに湯舟に浸かれる瞬間は、ご褒美だけれど、郵便物を 受け取るための深夜窓口も、寒くって伺う気にはならない。
疲れている?いいや、眠たいのはいちばんのご褒美で、またあの 思考を放棄する瞬間にこそ、曖昧で朦朧とした意識の、それは、 諦念する、問題も、なにもかもなくしてしまわれるのだから、 業の問題を考えるにしても、その問題をこそ、考える理由にこそ、 思考をなくしてしまえる瞬間に、解決されるとゆう、自己回帰。
スムーズに、ヨーグルトのプレーンを朝食に、必然的にも トーストの欲しくなるのは不可思議以上の不思議な事で、 思考し過ぎる事かあ、趣味と言えば趣味らしいモノだろうけれど 逆に、その時期を通りすぎれば、遺産として、KARMA SPRINGとゆう あの書類群の、ギフトだったのだな、ギフトだったのだ。 LONDON ONEとゆう、思考の山人による、最高の贈り物。
篤姫や、真田丸のあとには、足利学校のテーマなどみられる のでは、など、そんな、太陽悪魔や、オロチ伝説の、赤猪岩受難の、 岩戸伝説や、岩窟の聖母像と重ねて、ヒトの受難は、獣神化する道程を 経て、進む。確実な過程として、行程は、目的地の、アマテラスへ。 太陽の夜明けに繋がるのは、そんな、獣神の角と眼の筋の取られて ヒトよりも人らしい、そのグラウンドダウンしてゆく人間性の、 これは、地味に滋味栄養のある、豊富な、例えば、あの古い語の 富国強兵論なども、こうした、筋肉質な糖質制限や、あるいはまた 腸の詰まりは、富国強兵に、カルマ・クリーニングを一跳びして パクチーのコンソメスープなどを啜る朝に、やはりあの、 トーストを欲しくなる、都市街の朝食風景は、ループする。あんな ループする朝食を求めて、世界は廻り続けているとしたら、 このグラウンディング指向も、また、おんなじ様に、新年のお雑煮を、 頂けそうな、そんな年末のグツグツ、カマドは周るのである。

跳び込んで、さては越えてゆこう、あの倫敦の壁。

反射式灯油ストーブとゆう、電池が2本あれば着火して、延々と火が灯して居続けられるとゆう、あの暖かい暖房器具に換えて、 けれども、いくら火が自慢してきたって、この寒さにはギャップの ありすぎて、孤高の熱源とさえ言える。そうとも思えなくない。 例えば、こんな夜に、ジョナサン・スウィフトのガリバー旅行記や、 ジェイムズ・ジョイスの、ダブリナーズや、ブルネルの蒸気機関の、 あのシラノドベルジュラックの引いては切なさとゆうものへ。 たどり着いては、首を振る。僕の、ポートレイト?これは、いや。 むしろ、地底のレストランへの入店チケットに違いない。 ペイパーバックライターのイントロを奏でながら、いらっしゃい!と。
そんな中で、また別の系譜へと、この流れでして、目をやると、 ジョンのピースプレイトと、プルーストの時のない、そんな エル・グレコの静止画と、フェルメールの祈りのない静止画と、 そうして、カスパーダーヴィドフリードリヒの動画のような、 祈りを、静止画と動画に織り交ぜて平和を祈った、ダンテの あの、天国と地獄には、とにもかくにも、動きの中の静けさ。
大晦日を迎えられたのは、身体に感謝とはいえ、なぜかしらの 糖分がすべて抜けたかのように、フニャっとしてしまったので 何かしら食べていようと、寝正月とお正月料理を拝借する。 魚卵は、女性ホルモンにて情緒安定し、かまぼこ、お餅などは 練り上げる消化力を推し進める。とにもかくにも年末から三が日は ほんとうに終わりと始まりをないまぜにして、全然のとやかくゆう、 あのサナギの産褥の時期である。もう、ほんとうに生まれ変わって 蝶に羽ばたくこと、はばしく麗しやかに、その飛翔は、まるで
カルマクリーニングをひとっ跳びして、掻き削がれたオーラの 全体性の発露とはかくゆうこんな、絶対的に阻まれた主観性だ。 何かが、1年の糖分のあまさとして、大晦日の業火に灰と化し、 新年の三が日はとにかく、食べて寝て、練り上げて、寝て。 そうして、思考知性の小さなままの、不死鳥のヒナまでが、何か 新しいスタートのしるべのようにして、現れてくる。そんな、 切なさではいられない。けれども、業火には、もう絶やされない。 すべての出逢いと別れは、一新され、そうして、知性の発現している この、小さな飛翔体によって、希望を持ち抱きながら、すすむ。
こんな、混沌とした新年には、もうすぐ、何か道しるべを掴める。 といって、希望を持ち抱きながら、…