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”恐れ”との邂逅。

”恐れ”はふっとした時に,やって来て。
鳥肌の立つ”酵素”時間の解除分解。その
バイアスはかかるけれど珈琲を呑んで,
その時を,待っている。”恐れの分解酵素”は
ふいにやって来て,自らの消化酵素と相まっては,
悩みどころか”現象”の中心を(あえて”僕”にとっての,)
隔世の感で教えてくれる。まるで,悩みは超能力者を産む。
運転代で頂いた何とかブロートの一枚を,イチゴジャムと
昔の,ホワイト・ラムレーズンを乗っけて,上火でカチカチ。
まるで,悩みは超能力者を産む。とは,ここで言う”超能力”は
何だか,暇つぶしにとっても良い”超能力”で,外部との連結感は
まったくもって臨めない。もうすぐ,信号の下を通り過ぎるまで,
一様に,赤だったり,黄や青だったりする。そんなものだから,
悩みを結局のところ,”恐れ”によって解決する,超分解酵素。
赤みだったり,ラム酒づけのブラウンだったり存在は見事に麦の
燦燦とした食卓に色付けをしてくれるので,実際,世界は逆の所,
わからない自己認識=外部沿革のはざまにあって,
リキュールの香りする実際の所,自分は何を食べているのか,
期待せず,まったく理解できていない。


あの時,ふっと憶いだして想うのだ。理解していないとゆうより,
内部の小ささに比較すると,その世界の膨張する圧力は誇大的で。
大きい,おおきいのは本当に巨大なのは,世界,地球?業の泉で,
ほうっとして,訪れを返してくれるように,巨大なオロチはもう,
僕のもとを尋ねてくれる。こんな感慨に等しく,世界の虚妄,とも。
『中心』は何であるか?-”恐れ”との邂逅。さまざまに浮かんで去来する
思想,憑依する渉猟ゲーム。この真ん中を泳ぎ切る。闘う事にはないにして
しかし,消化酵素をはるばる使い果たしなさい,って,フェミニズムは
いつも,消化酵素をはるばる使い果たしなさい,って。そうゆう,こんな。
珈琲の呑みすぎである。訪れる巨竜を果てさて,どうやって飼い慣らす?
篤くもてなす?それか扱いなれた,私の去就,こんな懐にあたたかい去就。
想いを果てさて,そもそも消化するとは,分解酵素の目的は何だったのか,
問いかける,

 『まだ,ロンドンには行った事はないじゃない?それなら,ロンドンゆくより,
 隣町へ行って,もいちどごみ拾いしておいで?あすこにあるいて,ベルギーの
 聖堂?そうして,あそこに出向いて,南仏の落穂ひろい?そうして,また,
 解決した後にはどんなメッセージを扱えるだろう。
 まだ,ロンドンには行った事はないじゃない?自身のロンドン構想を終えて。
 そのあとどうするかと言えば,泉は涸れて,業の源は晴れて,枯れます底には,
 LONDON ONE,エッセイの目的を多分,決めつけてよいならば,業の泉の源を,
 きっとアイスクリームやお菓子作りのスウィーツ趣味に,スウィーティ,って,
 ”業の泉”を呼びながら,きっとシュールなダジャレの好きな,チル・アウトする
 アンニュイなキッチュなひと昔まえな駄目なお洒落を志すのだろうな,など。
 ダサい強さは,夕暮れに,乾草の匂いを嗅ぎ分ける黄昏の,いちばんのお洒落と
 田園風景カントリー,牧歌的な小麦のにおいは救いのストロウベリー・マルチの,
 そんなミルクとバゲットだけの暮し。』

 夢をみて,散文詩のぞむ,ツルゲーネフ=ヘミングウェイの,白い獅子像は
 何処にあらねや。もうすぐハードボイルドな昇華された詩誌を描こう。まだ,
 食べ遺したラム・ケーキは残ってる?言いたかったのは,プロレタリア文学には
 金塊のスパイスを加えれば,伝説のコルシカンペイパーになるって言うこと,もう,
 そこには美しきロマネスクは耀かず,もうすぐ産まれる樹々の芽にも,何も訊けず,
 水晶の無。無意志への意図しない意思。こうした,脆い砕ける結晶の中に,くだんの
 神の水晶は。ある,ってゆう珈琲を呑みすぎたせい。ラム・ケーキは残ってる?

こちらは如何?

KARMA SPRINGとゆう、LONDON ONEの書類群。

腸がつまる、など。必然的な兆候を含む、現代のシンドロームには業の湯浴み、として。沢山の娯楽をエンターテイメントのように軽く、 楽しめるかとゆう、趣味の時間を1分2分。どうしようか? ほんとうに湯舟に浸かれる瞬間は、ご褒美だけれど、郵便物を 受け取るための深夜窓口も、寒くって伺う気にはならない。
疲れている?いいや、眠たいのはいちばんのご褒美で、またあの 思考を放棄する瞬間にこそ、曖昧で朦朧とした意識の、それは、 諦念する、問題も、なにもかもなくしてしまわれるのだから、 業の問題を考えるにしても、その問題をこそ、考える理由にこそ、 思考をなくしてしまえる瞬間に、解決されるとゆう、自己回帰。
スムーズに、ヨーグルトのプレーンを朝食に、必然的にも トーストの欲しくなるのは不可思議以上の不思議な事で、 思考し過ぎる事かあ、趣味と言えば趣味らしいモノだろうけれど 逆に、その時期を通りすぎれば、遺産として、KARMA SPRINGとゆう あの書類群の、ギフトだったのだな、ギフトだったのだ。 LONDON ONEとゆう、思考の山人による、最高の贈り物。
篤姫や、真田丸のあとには、足利学校のテーマなどみられる のでは、など、そんな、太陽悪魔や、オロチ伝説の、赤猪岩受難の、 岩戸伝説や、岩窟の聖母像と重ねて、ヒトの受難は、獣神化する道程を 経て、進む。確実な過程として、行程は、目的地の、アマテラスへ。 太陽の夜明けに繋がるのは、そんな、獣神の角と眼の筋の取られて ヒトよりも人らしい、そのグラウンドダウンしてゆく人間性の、 これは、地味に滋味栄養のある、豊富な、例えば、あの古い語の 富国強兵論なども、こうした、筋肉質な糖質制限や、あるいはまた 腸の詰まりは、富国強兵に、カルマ・クリーニングを一跳びして パクチーのコンソメスープなどを啜る朝に、やはりあの、 トーストを欲しくなる、都市街の朝食風景は、ループする。あんな ループする朝食を求めて、世界は廻り続けているとしたら、 このグラウンディング指向も、また、おんなじ様に、新年のお雑煮を、 頂けそうな、そんな年末のグツグツ、カマドは周るのである。

跳び込んで、さては越えてゆこう、あの倫敦の壁。

反射式灯油ストーブとゆう、電池が2本あれば着火して、延々と火が灯して居続けられるとゆう、あの暖かい暖房器具に換えて、 けれども、いくら火が自慢してきたって、この寒さにはギャップの ありすぎて、孤高の熱源とさえ言える。そうとも思えなくない。 例えば、こんな夜に、ジョナサン・スウィフトのガリバー旅行記や、 ジェイムズ・ジョイスの、ダブリナーズや、ブルネルの蒸気機関の、 あのシラノドベルジュラックの引いては切なさとゆうものへ。 たどり着いては、首を振る。僕の、ポートレイト?これは、いや。 むしろ、地底のレストランへの入店チケットに違いない。 ペイパーバックライターのイントロを奏でながら、いらっしゃい!と。
そんな中で、また別の系譜へと、この流れでして、目をやると、 ジョンのピースプレイトと、プルーストの時のない、そんな エル・グレコの静止画と、フェルメールの祈りのない静止画と、 そうして、カスパーダーヴィドフリードリヒの動画のような、 祈りを、静止画と動画に織り交ぜて平和を祈った、ダンテの あの、天国と地獄には、とにもかくにも、動きの中の静けさ。
大晦日を迎えられたのは、身体に感謝とはいえ、なぜかしらの 糖分がすべて抜けたかのように、フニャっとしてしまったので 何かしら食べていようと、寝正月とお正月料理を拝借する。 魚卵は、女性ホルモンにて情緒安定し、かまぼこ、お餅などは 練り上げる消化力を推し進める。とにもかくにも年末から三が日は ほんとうに終わりと始まりをないまぜにして、全然のとやかくゆう、 あのサナギの産褥の時期である。もう、ほんとうに生まれ変わって 蝶に羽ばたくこと、はばしく麗しやかに、その飛翔は、まるで
カルマクリーニングをひとっ跳びして、掻き削がれたオーラの 全体性の発露とはかくゆうこんな、絶対的に阻まれた主観性だ。 何かが、1年の糖分のあまさとして、大晦日の業火に灰と化し、 新年の三が日はとにかく、食べて寝て、練り上げて、寝て。 そうして、思考知性の小さなままの、不死鳥のヒナまでが、何か 新しいスタートのしるべのようにして、現れてくる。そんな、 切なさではいられない。けれども、業火には、もう絶やされない。 すべての出逢いと別れは、一新され、そうして、知性の発現している この、小さな飛翔体によって、希望を持ち抱きながら、すすむ。
こんな、混沌とした新年には、もうすぐ、何か道しるべを掴める。 といって、希望を持ち抱きながら、…