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怒り心頭=精神性ひとつ。

精神性はひとつにしなければならない,象徴に比して,
散漫になりがちなみずからの心地かえりみて。ひとつ,
ブレているのは仕合せなことかも知れない,科学的には
そう感じるけど。怒り心頭に達して,

平清盛=堀辰雄の
源頼朝=芥川龍之介の,両者からも,織田信長=堀辰雄の
東照宮家康=芥川龍之介の,両将軍よりの,恵比寿さん,
また,第六天魔王,こんな神々よりの,叱咤薫陶,彼の
存在の意義は,焔を見詰める,焔の先には一つ目のエンブレム,
簡単なことなのだけれど,そうもいかない,LONDON ONE,彼の
存在の意義は,英雄史観,ヒロイズムをヨーロピニアリズムに,
何故かしら,英雄視するこの観点にはホットドッグのチリソース。
ほお張る口元,お髭がたわわ,背広をかしこみ,自転車レース,
タイを締めるに,ホームズ仕様,その視線の中にはロンドン塔は,
混沌とした,カオスなりその食卓の良い観点,サナギより?
そんな自宅を抜けると,自転車レース。大英博物館の帰りに宿泊場の
石膏を漱ぐそんなスサノオ=太閤秀吉=平宗盛=後醍醐天皇の,
LONDON ONE,芥川氏のサマー・ランド麦わら姿を眺め,東照宮に
睨まれる,川端信玄氏には呪縛を掛けられ,何と,太宰の治氏には
LONDON ONEのニックネームを与わるる。


精神性はひとつにしなければならない,象徴に比して,
散漫になりがちなみずからの心地かえりみて。ひとつ,
ブレているのは仕合せなことかも知れない,科学的には
そう感じるけど。怒り心頭に達して,

鬼貫=公暁=お淀の君には頭の上がらず,漱石の思い出の口述の
償いはLONDON ONEこの,スサノオってゆうのは思いあがって,
自嘲する自戒する阿呆のあの一生,芥川氏は一茶を読んだ太宰氏は
実朝を描いた。そんでなら
楠正成=知盛=正岡子規のこの盟友に関して,一言の敬意を含む,その
流麗として恬淡な快活さは差引いて安穏な,呑気な脱力に安気する。
昔の創作ホワイト・ラムレーズンにイチゴジャムをピタパンサンドにして
上火160℃,カチカチとオーブンの鳴る。ほろ酔いのベターサンドのできあがり。
アウグストゥスはバルタザアル,ヘロディヤの父で獅子像の始め。そんな論旨を
含みつつ怒り心頭=精神性ひとつ。ひとつにしなければと怒るのは何故か。
元来高天原の住人であったのに焔のように白波を漂わすその精神性の元々。
飛立つのはあまり趣向のないことではあるので,そんな言い訳はもう良いから,
飛立つのを良しとしてお酒を呑む?豪睡する,首を切られる,大蛇の裏表はさて,
解決のない,陰陽五行,精神性はひとつにしなければならない,けれど
こんなスサノオ一考をしてみて思うのは,四季にプラスワンするとすれば,
思考の耀き。そんな白い炎を湧き立つ季節感に換えて,
どんどんかがやいてゆくから,
LONDON ONEのお酒造り=文筆稼行はやめられない


『死んで行くなら炎舞。舞ってゆく
 のは,蚊のような,そんな風なら
 炎舞よりまだ,胡蝶の夢。』

こちらは如何?

KARMA SPRINGとゆう、LONDON ONEの書類群。

腸がつまる、など。必然的な兆候を含む、現代のシンドロームには業の湯浴み、として。沢山の娯楽をエンターテイメントのように軽く、 楽しめるかとゆう、趣味の時間を1分2分。どうしようか? ほんとうに湯舟に浸かれる瞬間は、ご褒美だけれど、郵便物を 受け取るための深夜窓口も、寒くって伺う気にはならない。
疲れている?いいや、眠たいのはいちばんのご褒美で、またあの 思考を放棄する瞬間にこそ、曖昧で朦朧とした意識の、それは、 諦念する、問題も、なにもかもなくしてしまわれるのだから、 業の問題を考えるにしても、その問題をこそ、考える理由にこそ、 思考をなくしてしまえる瞬間に、解決されるとゆう、自己回帰。
スムーズに、ヨーグルトのプレーンを朝食に、必然的にも トーストの欲しくなるのは不可思議以上の不思議な事で、 思考し過ぎる事かあ、趣味と言えば趣味らしいモノだろうけれど 逆に、その時期を通りすぎれば、遺産として、KARMA SPRINGとゆう あの書類群の、ギフトだったのだな、ギフトだったのだ。 LONDON ONEとゆう、思考の山人による、最高の贈り物。
篤姫や、真田丸のあとには、足利学校のテーマなどみられる のでは、など、そんな、太陽悪魔や、オロチ伝説の、赤猪岩受難の、 岩戸伝説や、岩窟の聖母像と重ねて、ヒトの受難は、獣神化する道程を 経て、進む。確実な過程として、行程は、目的地の、アマテラスへ。 太陽の夜明けに繋がるのは、そんな、獣神の角と眼の筋の取られて ヒトよりも人らしい、そのグラウンドダウンしてゆく人間性の、 これは、地味に滋味栄養のある、豊富な、例えば、あの古い語の 富国強兵論なども、こうした、筋肉質な糖質制限や、あるいはまた 腸の詰まりは、富国強兵に、カルマ・クリーニングを一跳びして パクチーのコンソメスープなどを啜る朝に、やはりあの、 トーストを欲しくなる、都市街の朝食風景は、ループする。あんな ループする朝食を求めて、世界は廻り続けているとしたら、 このグラウンディング指向も、また、おんなじ様に、新年のお雑煮を、 頂けそうな、そんな年末のグツグツ、カマドは周るのである。

跳び込んで、さては越えてゆこう、あの倫敦の壁。

反射式灯油ストーブとゆう、電池が2本あれば着火して、延々と火が灯して居続けられるとゆう、あの暖かい暖房器具に換えて、 けれども、いくら火が自慢してきたって、この寒さにはギャップの ありすぎて、孤高の熱源とさえ言える。そうとも思えなくない。 例えば、こんな夜に、ジョナサン・スウィフトのガリバー旅行記や、 ジェイムズ・ジョイスの、ダブリナーズや、ブルネルの蒸気機関の、 あのシラノドベルジュラックの引いては切なさとゆうものへ。 たどり着いては、首を振る。僕の、ポートレイト?これは、いや。 むしろ、地底のレストランへの入店チケットに違いない。 ペイパーバックライターのイントロを奏でながら、いらっしゃい!と。
そんな中で、また別の系譜へと、この流れでして、目をやると、 ジョンのピースプレイトと、プルーストの時のない、そんな エル・グレコの静止画と、フェルメールの祈りのない静止画と、 そうして、カスパーダーヴィドフリードリヒの動画のような、 祈りを、静止画と動画に織り交ぜて平和を祈った、ダンテの あの、天国と地獄には、とにもかくにも、動きの中の静けさ。
大晦日を迎えられたのは、身体に感謝とはいえ、なぜかしらの 糖分がすべて抜けたかのように、フニャっとしてしまったので 何かしら食べていようと、寝正月とお正月料理を拝借する。 魚卵は、女性ホルモンにて情緒安定し、かまぼこ、お餅などは 練り上げる消化力を推し進める。とにもかくにも年末から三が日は ほんとうに終わりと始まりをないまぜにして、全然のとやかくゆう、 あのサナギの産褥の時期である。もう、ほんとうに生まれ変わって 蝶に羽ばたくこと、はばしく麗しやかに、その飛翔は、まるで
カルマクリーニングをひとっ跳びして、掻き削がれたオーラの 全体性の発露とはかくゆうこんな、絶対的に阻まれた主観性だ。 何かが、1年の糖分のあまさとして、大晦日の業火に灰と化し、 新年の三が日はとにかく、食べて寝て、練り上げて、寝て。 そうして、思考知性の小さなままの、不死鳥のヒナまでが、何か 新しいスタートのしるべのようにして、現れてくる。そんな、 切なさではいられない。けれども、業火には、もう絶やされない。 すべての出逢いと別れは、一新され、そうして、知性の発現している この、小さな飛翔体によって、希望を持ち抱きながら、すすむ。
こんな、混沌とした新年には、もうすぐ、何か道しるべを掴める。 といって、希望を持ち抱きながら、…