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際限のない証左。

しずしずと曇りゆく梅雨の日の前触れには
ヒステリクスも瓦解して,そのヒステリクスは
発酵菌のその逆,悪とは酵素の灰汁のことで,まず,
腐敗とは言わないまでも,嫌気的鉱物性酵素のような。
そんなハイ・ロマネスク。工業化と地下世界には,まだ,
存在しないような野菜ジュースの搾りたて生鮮食品を。その
お茶を傍らに置いて,海の遠景に何を想うかと言えば,彼の
牡蠣や,アサリ類のエキスをもとめて,人間の情景を追いかけて,

しずしずと曇りゆく梅雨の日の前触れには
ヒステリクスも瓦解して,そのヒステリクスは
発酵菌のその逆,悪とは酵素の灰汁のことで,まず,
その灰汁のような身体の切迫する繊維質の,つまみ嗜好品の,ただ。
想い続ける,海の遠景に,潮の香りや熱い浜風よりも,そのような,
食文化にしか価値を追い求めない。人間の情景には,浜風の潮の香りも,
すべて包み込む人間性の,情緒=超越性=凡庸的な何かをつなぐ,その辺の

しずしずと曇りゆく梅雨の日の前触れには
ヒステリクスも瓦解して,そのヒステリクスは
発酵菌のその逆,悪とは酵素の灰汁のことで,まず,
その辺にはまず,酵素質の発酵する順風な換気扇ならず送風ファンの
”時間”の過ぎてゆくその逆戻りのしない”時間”の逆戻りしないその感性。
発酵は,順次巡行のようなものであり,”腐敗=停滞”は灰汁の沈殿質の。

内部で,逆行しない”時間”を求めて,そんなハイ・ロマネスク。
工業化と地下世界には,
まだ,存在しないような野菜ジュースの搾りたて生鮮食品を。
ハイ・ロマネスクは,ヒステリクスの瓦解したあとに訪れる,不可思議な
工業世界の生ジュース。紅茶,ウーロン茶,珈琲も淹れたてのいちばん良いから,
解っているから,湧き水の汲んでいる水場へ向かう週に一度の,外遊ならぬ遊行の,
なので,酵素質の巡行する,海の遠景には,紺や紅の塗装のしてある,船倉のその
みえれば,赤ワインの味わいを楽しめるようなダンディズムにも憶えられる。
ひたすら,だから,ダンディズム=ヒステリクスを結ぶ何かを嗜好していた,
がんじがんじ,獅子のような家猫に問いかけながら,夜にはあたりめをかじる。

野菜ジュースをひと口くちにしながら家にいるときに感じる,瓦解するヒステリクス。
赤のトマトを,白のホワイト・ソースと煮込むと,ミンチは豚100%。その,また,
そんなハイ・ロマネスク。工業化と地下世界には,まだ,
存在しないような野菜ジュースの搾りたて生鮮食品を。
しずしずと曇りゆく梅雨の日の前触れには
ヒステリクスも瓦解して,そのヒステリクスは
発酵菌のその逆,悪とは酵素の灰汁のことで,まず,
野菜ジュースをひと口くちにしながら家にいるときに感じる,瓦解するヒステリクス。
赤のトマトを,白のホワイト・ソースと煮込むと,ミンチは豚100%。

こちらは如何?

KARMA SPRINGとゆう、LONDON ONEの書類群。

腸がつまる、など。必然的な兆候を含む、現代のシンドロームには業の湯浴み、として。沢山の娯楽をエンターテイメントのように軽く、 楽しめるかとゆう、趣味の時間を1分2分。どうしようか? ほんとうに湯舟に浸かれる瞬間は、ご褒美だけれど、郵便物を 受け取るための深夜窓口も、寒くって伺う気にはならない。
疲れている?いいや、眠たいのはいちばんのご褒美で、またあの 思考を放棄する瞬間にこそ、曖昧で朦朧とした意識の、それは、 諦念する、問題も、なにもかもなくしてしまわれるのだから、 業の問題を考えるにしても、その問題をこそ、考える理由にこそ、 思考をなくしてしまえる瞬間に、解決されるとゆう、自己回帰。
スムーズに、ヨーグルトのプレーンを朝食に、必然的にも トーストの欲しくなるのは不可思議以上の不思議な事で、 思考し過ぎる事かあ、趣味と言えば趣味らしいモノだろうけれど 逆に、その時期を通りすぎれば、遺産として、KARMA SPRINGとゆう あの書類群の、ギフトだったのだな、ギフトだったのだ。 LONDON ONEとゆう、思考の山人による、最高の贈り物。
篤姫や、真田丸のあとには、足利学校のテーマなどみられる のでは、など、そんな、太陽悪魔や、オロチ伝説の、赤猪岩受難の、 岩戸伝説や、岩窟の聖母像と重ねて、ヒトの受難は、獣神化する道程を 経て、進む。確実な過程として、行程は、目的地の、アマテラスへ。 太陽の夜明けに繋がるのは、そんな、獣神の角と眼の筋の取られて ヒトよりも人らしい、そのグラウンドダウンしてゆく人間性の、 これは、地味に滋味栄養のある、豊富な、例えば、あの古い語の 富国強兵論なども、こうした、筋肉質な糖質制限や、あるいはまた 腸の詰まりは、富国強兵に、カルマ・クリーニングを一跳びして パクチーのコンソメスープなどを啜る朝に、やはりあの、 トーストを欲しくなる、都市街の朝食風景は、ループする。あんな ループする朝食を求めて、世界は廻り続けているとしたら、 このグラウンディング指向も、また、おんなじ様に、新年のお雑煮を、 頂けそうな、そんな年末のグツグツ、カマドは周るのである。

跳び込んで、さては越えてゆこう、あの倫敦の壁。

反射式灯油ストーブとゆう、電池が2本あれば着火して、延々と火が灯して居続けられるとゆう、あの暖かい暖房器具に換えて、 けれども、いくら火が自慢してきたって、この寒さにはギャップの ありすぎて、孤高の熱源とさえ言える。そうとも思えなくない。 例えば、こんな夜に、ジョナサン・スウィフトのガリバー旅行記や、 ジェイムズ・ジョイスの、ダブリナーズや、ブルネルの蒸気機関の、 あのシラノドベルジュラックの引いては切なさとゆうものへ。 たどり着いては、首を振る。僕の、ポートレイト?これは、いや。 むしろ、地底のレストランへの入店チケットに違いない。 ペイパーバックライターのイントロを奏でながら、いらっしゃい!と。
そんな中で、また別の系譜へと、この流れでして、目をやると、 ジョンのピースプレイトと、プルーストの時のない、そんな エル・グレコの静止画と、フェルメールの祈りのない静止画と、 そうして、カスパーダーヴィドフリードリヒの動画のような、 祈りを、静止画と動画に織り交ぜて平和を祈った、ダンテの あの、天国と地獄には、とにもかくにも、動きの中の静けさ。
大晦日を迎えられたのは、身体に感謝とはいえ、なぜかしらの 糖分がすべて抜けたかのように、フニャっとしてしまったので 何かしら食べていようと、寝正月とお正月料理を拝借する。 魚卵は、女性ホルモンにて情緒安定し、かまぼこ、お餅などは 練り上げる消化力を推し進める。とにもかくにも年末から三が日は ほんとうに終わりと始まりをないまぜにして、全然のとやかくゆう、 あのサナギの産褥の時期である。もう、ほんとうに生まれ変わって 蝶に羽ばたくこと、はばしく麗しやかに、その飛翔は、まるで
カルマクリーニングをひとっ跳びして、掻き削がれたオーラの 全体性の発露とはかくゆうこんな、絶対的に阻まれた主観性だ。 何かが、1年の糖分のあまさとして、大晦日の業火に灰と化し、 新年の三が日はとにかく、食べて寝て、練り上げて、寝て。 そうして、思考知性の小さなままの、不死鳥のヒナまでが、何か 新しいスタートのしるべのようにして、現れてくる。そんな、 切なさではいられない。けれども、業火には、もう絶やされない。 すべての出逢いと別れは、一新され、そうして、知性の発現している この、小さな飛翔体によって、希望を持ち抱きながら、すすむ。
こんな、混沌とした新年には、もうすぐ、何か道しるべを掴める。 といって、希望を持ち抱きながら、…