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勿論お茶を啜って涙とする。


ようやく,冥暗部隊と陰影捜査隊の,それは,
またビジネスライクとカルマ・クリーニングの,
そんな。例えば,ハイデガーは,冥暗部隊の嚆矢として,
白日のもとに形而上学の雷鳴を鳴らし,薄明のドイツに,
哲学のビッグ・バンをもたらしたのだから。
白黒をはっきりCOOLに済ましてしまえば,
ビジネスライクに嫌われるものだけれど,だから,
カルマ・クリーニングの駆け引きに嫉妬と諧謔を交えた
そんなフェミニズムのうちにあるヒステリクスのような。
その,ヘミングウェイの釣り竿には珈琲のドリップ一滴一滴しずかに。
お茶を呑んで澄ましている,食後のお風呂上がりの眠前の,また,
あんな,ヘッセ=セネカ=パスカル=プラトン=ブッダ=聖フランシスコ,
=ジャンヌダルク=エリザベス1世=アウグスティヌス=聖母マリア
この不可思議な観照よりみ来れば,市民共同体思想によって,
操り人形のそのぬいぐるみのような気持ちのピュリティの
露わにねたみと哀切に取り巻かれた時,この時間のかかる人間臭の
洗礼を受けた際の聖性の間合いの取り方と言ったら,たぶん
嫉妬と人間臭に逢った聖家族は,そのまま業の泉と化すだろう。

それぞれに,またそれぞれの発想のある,またその各自各々の
思考態の裡にはまだまだ消化しきれないオニギリの粒ぞろいの耀いてる。
犯罪,このひと言に含まれる,情状の範囲と言ったら,まるで,
オニギリの消化過程を呼ぶような,胡麻おかか,岩海苔,でんぶの姿
そのまま移したように,もう巻き寿司との区別は付かなくなってくる。
酢めし,この締めるとゆう行為にあって,眠前にて夢を見る,
眠前夢をみるさなかに,眠れたら何だって良い。いいや,何らかの
スパイスを必要としているだろう,気づけばマザー・メアリー。
そばに入り来たって,慰めの哀歌を唄う。

これが,舟歌だろう?そう言って,ヘッセの影絵は,
わたしがそうゆう聖母らしいWisdomをさらうなら,もういつだって。
唄うのだ,ひっそりとした波の底打つ哀歌を。
ガリラヤを近くの半島の畔を歩くバナナの皮を黒いバッグに詰め込んで。
CDウォークマンを取り出して,何を聴いていたのか,夜間行軍。
きっと,エレジカルな,繊細な恋の歌。多分,
繊細な恋の歌を聴く,身の上に,ヒステリカルな,
業の病み具合を抱えて,まさか自分のひとりサナトリウム文学志向の
一青年に落ち着くなどとおもっても見なかった。堀辰雄のようにロマネスクには
ゆかれない。芥川はいつだって守護聖人。志賀直哉,川端先生に至っては
いつもより藤村師匠と共に見詰めているから,津和野に旅行に行った時に
織部灯篭に心震えるほどマリアの白い光。あれから,白雷をよくみると,
自分の業は,ヒステリカルな何だろう。

強欲なヒステリクスの本質は,いつだって人格改良のくびきである。
言い換えれば,自己成長には,エレジーの必要な波の繰り返し響く
初夏の夜に祈りとは梅雨時期に訪れる女性性の嘆きの
またあれは美しさの本質である静けさの中で
次々と促される虫の音,寝息の蛙の声に,
必要とあらば,陽の光を下さい,
こういった,希望の叫びなのだ。

こちらは如何?

KARMA SPRINGとゆう、LONDON ONEの書類群。

腸がつまる、など。必然的な兆候を含む、現代のシンドロームには業の湯浴み、として。沢山の娯楽をエンターテイメントのように軽く、 楽しめるかとゆう、趣味の時間を1分2分。どうしようか? ほんとうに湯舟に浸かれる瞬間は、ご褒美だけれど、郵便物を 受け取るための深夜窓口も、寒くって伺う気にはならない。
疲れている?いいや、眠たいのはいちばんのご褒美で、またあの 思考を放棄する瞬間にこそ、曖昧で朦朧とした意識の、それは、 諦念する、問題も、なにもかもなくしてしまわれるのだから、 業の問題を考えるにしても、その問題をこそ、考える理由にこそ、 思考をなくしてしまえる瞬間に、解決されるとゆう、自己回帰。
スムーズに、ヨーグルトのプレーンを朝食に、必然的にも トーストの欲しくなるのは不可思議以上の不思議な事で、 思考し過ぎる事かあ、趣味と言えば趣味らしいモノだろうけれど 逆に、その時期を通りすぎれば、遺産として、KARMA SPRINGとゆう あの書類群の、ギフトだったのだな、ギフトだったのだ。 LONDON ONEとゆう、思考の山人による、最高の贈り物。
篤姫や、真田丸のあとには、足利学校のテーマなどみられる のでは、など、そんな、太陽悪魔や、オロチ伝説の、赤猪岩受難の、 岩戸伝説や、岩窟の聖母像と重ねて、ヒトの受難は、獣神化する道程を 経て、進む。確実な過程として、行程は、目的地の、アマテラスへ。 太陽の夜明けに繋がるのは、そんな、獣神の角と眼の筋の取られて ヒトよりも人らしい、そのグラウンドダウンしてゆく人間性の、 これは、地味に滋味栄養のある、豊富な、例えば、あの古い語の 富国強兵論なども、こうした、筋肉質な糖質制限や、あるいはまた 腸の詰まりは、富国強兵に、カルマ・クリーニングを一跳びして パクチーのコンソメスープなどを啜る朝に、やはりあの、 トーストを欲しくなる、都市街の朝食風景は、ループする。あんな ループする朝食を求めて、世界は廻り続けているとしたら、 このグラウンディング指向も、また、おんなじ様に、新年のお雑煮を、 頂けそうな、そんな年末のグツグツ、カマドは周るのである。

跳び込んで、さては越えてゆこう、あの倫敦の壁。

反射式灯油ストーブとゆう、電池が2本あれば着火して、延々と火が灯して居続けられるとゆう、あの暖かい暖房器具に換えて、 けれども、いくら火が自慢してきたって、この寒さにはギャップの ありすぎて、孤高の熱源とさえ言える。そうとも思えなくない。 例えば、こんな夜に、ジョナサン・スウィフトのガリバー旅行記や、 ジェイムズ・ジョイスの、ダブリナーズや、ブルネルの蒸気機関の、 あのシラノドベルジュラックの引いては切なさとゆうものへ。 たどり着いては、首を振る。僕の、ポートレイト?これは、いや。 むしろ、地底のレストランへの入店チケットに違いない。 ペイパーバックライターのイントロを奏でながら、いらっしゃい!と。
そんな中で、また別の系譜へと、この流れでして、目をやると、 ジョンのピースプレイトと、プルーストの時のない、そんな エル・グレコの静止画と、フェルメールの祈りのない静止画と、 そうして、カスパーダーヴィドフリードリヒの動画のような、 祈りを、静止画と動画に織り交ぜて平和を祈った、ダンテの あの、天国と地獄には、とにもかくにも、動きの中の静けさ。
大晦日を迎えられたのは、身体に感謝とはいえ、なぜかしらの 糖分がすべて抜けたかのように、フニャっとしてしまったので 何かしら食べていようと、寝正月とお正月料理を拝借する。 魚卵は、女性ホルモンにて情緒安定し、かまぼこ、お餅などは 練り上げる消化力を推し進める。とにもかくにも年末から三が日は ほんとうに終わりと始まりをないまぜにして、全然のとやかくゆう、 あのサナギの産褥の時期である。もう、ほんとうに生まれ変わって 蝶に羽ばたくこと、はばしく麗しやかに、その飛翔は、まるで
カルマクリーニングをひとっ跳びして、掻き削がれたオーラの 全体性の発露とはかくゆうこんな、絶対的に阻まれた主観性だ。 何かが、1年の糖分のあまさとして、大晦日の業火に灰と化し、 新年の三が日はとにかく、食べて寝て、練り上げて、寝て。 そうして、思考知性の小さなままの、不死鳥のヒナまでが、何か 新しいスタートのしるべのようにして、現れてくる。そんな、 切なさではいられない。けれども、業火には、もう絶やされない。 すべての出逢いと別れは、一新され、そうして、知性の発現している この、小さな飛翔体によって、希望を持ち抱きながら、すすむ。
こんな、混沌とした新年には、もうすぐ、何か道しるべを掴める。 といって、希望を持ち抱きながら、…