スキップしてメイン コンテンツに移動

開悟する心臓には燭台を。

緑茶の葉っぱを噛んで歯痛を治す心地で,
エクリチュール,芥川=東照宮=源頼朝=藤原道長,
伝教大師=称徳天皇の,神功皇后=天照=ヘロデ王であった。
ダルマ・シールドならぬG.グールドのピアノ奏でれば,必然,
そこには,エクリチュール。夜明けには心臓に唱題の朝課の,
夕べには燭台の念仏晩課を,緑茶の葉っぱを噛んで歯痛を治す心地で,
三角形をした女神のすがた宇宙船を絶えず耳にしてはロマネスク。
そうゆう,開悟する心臓には燭台を。絶えて久しくサマー・ランドの
芥川氏微笑む。晩夏の微笑む虫の音響くサマー・ランド。まるで,
緑茶の葉っぱを噛んで歯痛を治す心地で,きっと,口内炎の症状には
鎮痛剤をのみ服用して時間薬しかなかった,あの入退院の日々は,
紅茶番茶緑茶ジャスミン茶の『そうゆうものなのだ,』鎮座まし,
痛みに涙す,まるで,緑茶の葉っぱを噛んで歯痛を治す心地で。

中途半端に1時間もお風呂を入れ続けては,冷水になったからと,もう,
いいや,熱いからと沐浴ならん冷泉浴で,冷戦浴。意外と耐えられた,その
1時間の水道代が勿体なかったからではない,お水の供養とゆうわけでも,
実は,その半分半分に夢見心地で仏様にお米を供える,雀が食うにあらしも。
エクリチュールとは,憚らずにゆうことなら,それは実は真実=Truthに親い。
僕は,独文学愛好家ではあったものの仏文学にあれほどの文豪の名が,いわく,
芥川然り,太宰もまたゆうに然り。勿論,人気があったかどうかではなくって,
あのエクリチュール,独文学に嵌った発酵美学からすれば,まさにエクリチュール。
考えずにモノを描く,それは多分うつくしさもあり,道ならね道=タオイズム。そう,
そうやって旅には出られれば良い。そうやって,駅弁を択んで車窓から忘却する,
波間に光をもて,記憶を失うのが良い。そうゆう思い出は,眠りながらでも出来る。
追いかけないのだけど,尻尾を振るのですよ。

緑茶の葉っぱを噛んで歯痛を治す心地で,
エクリチュール,芥川=東照宮=源頼朝=藤原道長,
伝教大師=称徳天皇の,神功皇后=天照=ヘロデ王であった。
ダルマ・シールドならぬG.グールドのピアノ奏でれば,必然,
そこには,エクリチュール。夜明けには心臓に唱題の朝課の,
夕べには燭台の念仏晩課を,緑茶の葉っぱを噛んで歯痛を治す心地で,
三角形をした女神のすがた宇宙船を絶えず耳にしてはロマネスク。
そうゆう,開悟する心臓には燭台を。絶えて久しくサマー・ランドの
芥川氏微笑む。晩夏の微笑む虫の音響くサマー・ランド。まるで,
緑茶の葉っぱを噛んで歯痛を治す心地で,きっと,口内炎の症状には
鎮痛剤をのみ服用して時間薬しかなかった,あの入退院の日々は,
紅茶番茶緑茶ジャスミン茶の『そうゆうものなのだ,』鎮座まし,
痛みに涙す,まるで,緑茶の葉っぱを噛んで歯痛を治す心地で。

だから,考えていても仕方がないので,法のない所に法がある。そんな
ダルマ・シールドならぬG.グールドのピアノ奏でれば,必然,
そこには,エクリチュール。夜明けには心臓に唱題の朝課の,
夕べには燭台の念仏晩課を,緑茶の葉っぱを噛んで歯痛を治す心地で,
三角形をした女神のすがた宇宙船を絶えず耳にしてはロマネスク。
そうゆう,開悟する心臓には燭台を。絶えて久しくサマー・ランドの
芥川氏微笑む。晩夏の微笑む虫の音響くサマー・ランド。そうさね,とゆう
田舎のフランス光景のなかには,考える農家牧歌の旅情もあったろうが,とも
言えば,また,緑茶の葉っぱを噛んで歯痛を治す心地で,ただひたすらにまた,
考えず考えない,この瞬間にもエクリチュール,さまざまなお茶を呑んでは,
繰り返す,考えない美学。そんなダルマ・シールドならぬG.グールドのピアノ奏でれば,
必然,瞬間,開悟する心臓には燭台を。世間的には,ハートに灯る蝋燭よりも,
心臓に毛の生えた馬糞ウニに笑顔をもたらす何かのあるとはいえど,そうゆう何かの
グルメーならぬ,嗜好的愛好家ロジスティクスからは離れて,掛けて言うならば,
思考的諧謔化アイロニズムからも駆けて久しくただに離れて,ロジスティクスには,
例えば,ピアノ演奏を。アイロニズムへはアイスもなかを咥えて飛び出す,
そんな最中に夕べは訪れて,密かに燭台燈火する,世の中に私ありますれば,世界の
なきことの証左なりか。と,呟く密かなSHOTOKU QUEENの祝り言。

こちらは如何?

意味深長に珈琲=胆汁と,虚空アカシャの転生色彩譚

自分の中より明白に,何かの意味とゆうのが抜けてから,もう ひさしく感じる。意味がないのは,基本的に穏やかな静かさ。 意味深長に珈琲=胆汁と,虚空アカシャの転生色彩譚を標榜して, このBlogを,ただ描き切っていた頃合いが懐かしく,今もまた デカフェの珈琲豆乳を呑んではいるが,その懐かしさは過去による モノだ。大抵は,すでに生豆の焙煎などの200℃にコンベクションで 送風して,ゴーゴーと30分やそこらで終えてしまうようになってから 浅煎りなのだか焦げているのやら解らないように感じるのだけれど, それはそれでコーヒーの味わいには届いているのやら?割ってしまえば 飲むことはできるので,有り難く美味しそうに頂いてはいるのだった。
西郷どんを堀辰雄氏に当て嵌めて,萩原朔太郎氏は近藤勇になって, 谷崎潤一郎氏は高杉晋作=イザナミ女神的な,太宰に龍馬伝説を, 立原に乾退助の影あれば,川端翁は松陰先生で,三島に桂小五郎の 余韻を曳いて,それは歴史の風韻の現す,ラッキョウの砂丘には彼の 風紋を遺す,風の報せ。むしろの虫の知らせなのだった。また戦国には 堀さんは信長公,萩原さんは上杉謙信。大谷崎は下って8代吉宗公に, 太宰の独眼竜を供えれば,立原=千利休=秀頼公の,川端翁の信玄=武蔵。 三島文学は遠くサド侯爵=マキャベリまで溯る。付随して,漱石山人には 太閤秀吉=一茶によって,東照宮には芥川氏とアマテラス=恵比須さんの この豊かな不老不死伝説までも含めて,さては,宮沢賢治=清正の井戸。 ここまでよくぞ堪えてくださった,とばかり。意味深長に珈琲=胆汁と, 虚空アカシャの転生色彩譚を,計らずも与えて下すった”歴史絵巻”に謝々。

フォーの麺のあって,それに合うスープを造って頂きましょう,とゆうことに 昨晩も今晩も量はあまり摂らずに,眠りやすい環境を整えてゆこうと言っては, 胡麻味噌や,コチュジャン。鳥ガラスープに醤油みりん。ヌクナムなどに塩胡椒で ネギとニラ,油揚げを加えて,胡麻味噌には八角など,山椒の粉も入ってるので 大事なのは麺がゆるゆるにも芯残りにもならずに好い茹で加減でできるとなとゆう ところで,食卓には何とか一緒に楽しめるほどの時間は過ごせたのだった。あと, お風呂も沸かして,コトコト響いてくるような背景音に合わせて,こうして夕暮れに タイプして行く心地。あまりに最近お喋りもすすま…

とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。

白黒の隈を着けて,いつもよりも浅煎りの珈琲豆を一杯のお代わりを 受けて,淹れなおす。家の台所は,さながらカレー屋さん気取りの, とにかくもパンダの真似をして遣りすごす,カレー屋さんでの一時。 とにかくもゴッコ気取りで楽しみながら遣りすごす,台所での一時。 ダサいと言っては,何だけれど,バランスの好いのはそうゆうことだ。 そうして,そうゆうダサさをこそ,落ち着いているとして好む,そんな 白と黒を半分ずつ割って入れるようにして,豆乳オーレにして頂く珈琲は, 真皮に黒を抱きながら,表面きっての自分自身は,笑顔で白を通す,その 面白さは微笑みより訪れるので,にっこり気持ちは構えて,ダサさを通す。 それでしか淹れられない,なかなか浅煎りは,カフェオーレでしか入らない。
追及しては,戻ってくるのは番犬や番猫で,何だよとゆうばかり,番猫なら 招き猫みたいにスレンダーな物腰で,いいやスレンダーではないか,でも。 多分,何にもいないのだから,彼らにとって,虫の知らせは,いわゆる枯れ尾花 であって,そのざわめきや囁きのようにして聴こえる,彼らにとっては雑貨店。 トフィーのような濃厚な滑り出しで,カフェオレに合わせながら眺める,こんな 洋菓子店をめぐるように猫などの物腰の豊かさを側に置いて,ぼくは先日のあの ロイヤルウェディングの様子を想いだす。白馬のリードしている子の,ちょっと 荒れているのには,繁華街に急に放り込まれた武士のようなイメージで,そりゃあ 興奮し,混乱もなさるでしょう?とは,そればかり心配してはいなくても,やっぱり パレードの壮大さは計り知れない。ダイナミックであり,本当に生命力学的にもっとも ハラハラもし,手に汗握る。この悠長にはPCの前に座りながら,安堵して,折り畳む。

基本的にはまた紅茶とキャラメルを合わせる感じで良いと思うのだった。ちょっとした
あの渋味と,焦げているような甘味のあいだで,切なさと勇気を半分ずつにおおげさに
振る舞っている。週末を終えて,家族サービスとゆう毎度のほどでもないのだけれど,
毎日に平日のスタートを切る僕にとっては火曜日。風邪を引いてると体力よりも果敢に
すすめないのでこうゆう話題になっているけれど,それも治った後の話として,本当に
スタートを切られることに,爽やかな活発さをさえ抱いている,早速まだ沸かしたてで
すこし温湯のお茶を頂い…

すんなりと快く、イメージは秋の日の香りのように

湧水を汲んできて ひと安心する
焙煎するデカフェの珈琲豆のホッとする
炬燵をしまってしまっても まだ暖かいいつものように ウーロンドリップ珈琲豆乳を
汲んできた 湧水によって淹れる夜には
もう寒くもないので 一枚板のお爺ちゃんの机の
スースー通る 足元の風の心地よく生活を成り立たせるひとつひとっつの
優しさは そのまま豊かさ意識へと結び、
切なさより以上の 強い 安定へのステップを
ひと刻みずつ 記憶させる
豊かさとは 優しさのことなのだこうやって日記はポエジーを含んできて
大事なことは少しずつ練り上げなければ造られず
拘泥して 舞い上がるのにも飽きてようやく出来上がる
切なさは悲惨さの産む副作用のようなカサブタみたい
それはやはり必要なモノでもあるし
それでこそ クリエイトされる犠牲と朝焼けの意味とビスケットを摘まんで カステラを買って帰って
仮眠の前などは食べない方が 胃のもたれるのは必至
それでも 珈琲は欲しい すこし氷を足して一気にのむ眠気の晴れた辺り空腹の時間は快癒の知らせ
深く暗い海よりあがってきて吸い込む地上の空気は
新しく鮮やかに彩られた空模様の 天候だけでなく 空模様の
ビスケットはどこだろう? 摘まもうにもまだうつろクジラのようには食べ続けられないので
空模様には 雲のような あの大食いのかたちをして
希薄な体積をあらわしてるので 希薄とゆうか 息の切れる
そんな夢のなかでは呼吸をしながら潜水できるのだ
こうゆうふうにして 珈琲をのもう救いは喫茶で 自然採取の何らかの 足元を通る風の
スースーとしているイオン系の感触なので それから通る
感傷にひたって やっぱりここを通りすぎるのは 風とイオン
風とイオンは 趣味と思考 風とイオンは サイダーと飴のこと思考するとき 四股を踏む 眠る前には 歯磨きする趣味
雨のなかには佇まえず しかしながら家のなかの 雨のごとく
雨模様 雨模様 そうなのだ 傷の癒えるそんな頃合いには
心模様 空模様 雨模様 思考様々 趣味様々 飴様々
ビスケット カステラ デカフェ珈琲 歯磨きの前に珈琲のんで 雨のなか 歯磨きをする