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酔醒めのアカシックス

以前,友達のお家を訪ねて教えていただいた,カーっと熱く,
一時間で消化する爽快なお酒は何年も経って,ようやく自宅に
届けられる,そんな運びとなって,長い道のりだった。って,
それは,お酒好きが高じてとゆうよりは,マイ・オリジナル。

なぜ,三島文学にサナトリウムの影があり,坂口安吾の耀きは
真逆に放心された狂気を匂わすのだろう?そんなことの,一瞬。
腑に落ちた彼方には,堀辰雄の,マイ・オリジナル。あんな,
軽バン一台で,新婚旅行と銘打って,ミッションの僕しか運転の
できないことを承知して,夜10時から翌15時までの行程を,
遂には信州のビジネス・ホテルに到着し,豪睡仮眠してから,その
北杜夫さんの展示がしているなあなどと,横目にとおりすぎてから,
教会のキャンドル・ナイトに出掛けて,遥か自宅に奥さん互いに,
記念の感謝手紙を送り合う。僕は,もう聖パウロ・カトリック教会。
そのキャンドルの灯してある著名な場所よりも古いかしこの教会に,
翌朝自転車でたどり着いてちょっとして,不思議な違和感を。彼の
「木の十字架」の祈祷の緊迫した祭祀の場所は,何か違うんじゃ,
1度も訪ねないけれど,あれはユニオン・チャーチの方を指して,きっと
私小説とゆうのは,そうゆう造りかたをして,デフォルメ加工などしてる。

ビジネス・ホテルには,一室だけ残り予約の開いていて,不幸中のさいわい。
不幸とゆう,その旅行にしては場違いの言葉を二人で話して,ニコニコ。
ナビには,取って付けた良いものを使い,とは言え,いくら探しても,そう,
探してもらってもたどり着けず,ホテルのあるべき指示点を通った折り,
歴史好きなためか,孝明天皇と睦仁親王よりの「よろしく頼む。」とゆう。
なかば唐突な幕末の夢をみたりした,そんな, そんなことの,一瞬。
腑に落ちた彼方には,堀辰雄の,マイ・オリジナル。
以前,友達のお家を訪ねて教えていただいた,カーっと熱く,
一時間で消化する爽快なお酒は何年も経って,ようやく自宅に
届けられる,そんな運びとなって,長い道のりだった。って,
それは,お酒好きが高じてとゆうよりは,マイ・オリジナル。

なぜ,三島文学にサナトリウムの影があり,坂口安吾の耀きは
真逆に放心された狂気を匂わすのだろう?そんなことの,一瞬。
芥川氏=えびす顔の東照宮家康公のアイ・マスクに浮かび,あの
キリギリスのような面持ちで,こちらを覗き込む氏のイメージとは
打って換わって,すすきの間を掻き分けて,ひょっこりとっくり出した,
あのサマー・ランドのにっこり氏を視たときは誰だかわからなかった。
そうして,ひそひそ,そんな妄想話を楽しんで,フビライ汗や聖マルタ,
信長氏や一遍上人遊行する,南洲翁は嵯峨天皇の筆遣いの,宮島の紅葉は
紅葉して,ただサナトリウムの影を探す。雅風とゆうのは以前,出雲大社の
外国人観光客の当座の表現だったけれど,むしろ本当に大黒さんの穀粒の
匂いは,みやびな風流だと本当にそう感じる。風の吹くところに停まりは
なし,風の吹かなければ麦も育たない。トーマス・マンと堀辰雄の共通項。
さらに白痴とゆう安吾とドストエフスキー。あの表現には,酔醒めのアカシックス。
僕は,もう少し,魔の山をすすめて読まなければならない。同じように,
三島文学とゆうその贖罪を集合意識まで拡げた感情のなかに,サナトリウムとは,
あるいは,たそがれる病の裡には,瞑目して,酵素を善玉に換える,あの無頼。
無頼派の瞑目の希望があった。そういえば,堀辰雄記念館には立原道造の,
70年前の手紙は初公開されていた折りの,館の方は,室生犀星の記念樹の逸話を
話して下さったから,恥ずかしくて,記帳されなかった文学好きの自分の好趣味,
馬酔木の碑を,ずっとマタタビ,マタタビと呼んで,猫可愛がりのようにやっぱり
病床では瞑目するものなのだ,無頼派とは言え,サナトリウム文学とは言えども
病は,命。そうゆう簡単に,快方しないのは,思索する幸せを,生活が提供するその,
夢のまほろば。見果てぬ夢の夢なのだから。


こちらは如何?

KARMA SPRINGとゆう、LONDON ONEの書類群。

腸がつまる、など。必然的な兆候を含む、現代のシンドロームには業の湯浴み、として。沢山の娯楽をエンターテイメントのように軽く、 楽しめるかとゆう、趣味の時間を1分2分。どうしようか? ほんとうに湯舟に浸かれる瞬間は、ご褒美だけれど、郵便物を 受け取るための深夜窓口も、寒くって伺う気にはならない。
疲れている?いいや、眠たいのはいちばんのご褒美で、またあの 思考を放棄する瞬間にこそ、曖昧で朦朧とした意識の、それは、 諦念する、問題も、なにもかもなくしてしまわれるのだから、 業の問題を考えるにしても、その問題をこそ、考える理由にこそ、 思考をなくしてしまえる瞬間に、解決されるとゆう、自己回帰。
スムーズに、ヨーグルトのプレーンを朝食に、必然的にも トーストの欲しくなるのは不可思議以上の不思議な事で、 思考し過ぎる事かあ、趣味と言えば趣味らしいモノだろうけれど 逆に、その時期を通りすぎれば、遺産として、KARMA SPRINGとゆう あの書類群の、ギフトだったのだな、ギフトだったのだ。 LONDON ONEとゆう、思考の山人による、最高の贈り物。
篤姫や、真田丸のあとには、足利学校のテーマなどみられる のでは、など、そんな、太陽悪魔や、オロチ伝説の、赤猪岩受難の、 岩戸伝説や、岩窟の聖母像と重ねて、ヒトの受難は、獣神化する道程を 経て、進む。確実な過程として、行程は、目的地の、アマテラスへ。 太陽の夜明けに繋がるのは、そんな、獣神の角と眼の筋の取られて ヒトよりも人らしい、そのグラウンドダウンしてゆく人間性の、 これは、地味に滋味栄養のある、豊富な、例えば、あの古い語の 富国強兵論なども、こうした、筋肉質な糖質制限や、あるいはまた 腸の詰まりは、富国強兵に、カルマ・クリーニングを一跳びして パクチーのコンソメスープなどを啜る朝に、やはりあの、 トーストを欲しくなる、都市街の朝食風景は、ループする。あんな ループする朝食を求めて、世界は廻り続けているとしたら、 このグラウンディング指向も、また、おんなじ様に、新年のお雑煮を、 頂けそうな、そんな年末のグツグツ、カマドは周るのである。

跳び込んで、さては越えてゆこう、あの倫敦の壁。

反射式灯油ストーブとゆう、電池が2本あれば着火して、延々と火が灯して居続けられるとゆう、あの暖かい暖房器具に換えて、 けれども、いくら火が自慢してきたって、この寒さにはギャップの ありすぎて、孤高の熱源とさえ言える。そうとも思えなくない。 例えば、こんな夜に、ジョナサン・スウィフトのガリバー旅行記や、 ジェイムズ・ジョイスの、ダブリナーズや、ブルネルの蒸気機関の、 あのシラノドベルジュラックの引いては切なさとゆうものへ。 たどり着いては、首を振る。僕の、ポートレイト?これは、いや。 むしろ、地底のレストランへの入店チケットに違いない。 ペイパーバックライターのイントロを奏でながら、いらっしゃい!と。
そんな中で、また別の系譜へと、この流れでして、目をやると、 ジョンのピースプレイトと、プルーストの時のない、そんな エル・グレコの静止画と、フェルメールの祈りのない静止画と、 そうして、カスパーダーヴィドフリードリヒの動画のような、 祈りを、静止画と動画に織り交ぜて平和を祈った、ダンテの あの、天国と地獄には、とにもかくにも、動きの中の静けさ。
大晦日を迎えられたのは、身体に感謝とはいえ、なぜかしらの 糖分がすべて抜けたかのように、フニャっとしてしまったので 何かしら食べていようと、寝正月とお正月料理を拝借する。 魚卵は、女性ホルモンにて情緒安定し、かまぼこ、お餅などは 練り上げる消化力を推し進める。とにもかくにも年末から三が日は ほんとうに終わりと始まりをないまぜにして、全然のとやかくゆう、 あのサナギの産褥の時期である。もう、ほんとうに生まれ変わって 蝶に羽ばたくこと、はばしく麗しやかに、その飛翔は、まるで
カルマクリーニングをひとっ跳びして、掻き削がれたオーラの 全体性の発露とはかくゆうこんな、絶対的に阻まれた主観性だ。 何かが、1年の糖分のあまさとして、大晦日の業火に灰と化し、 新年の三が日はとにかく、食べて寝て、練り上げて、寝て。 そうして、思考知性の小さなままの、不死鳥のヒナまでが、何か 新しいスタートのしるべのようにして、現れてくる。そんな、 切なさではいられない。けれども、業火には、もう絶やされない。 すべての出逢いと別れは、一新され、そうして、知性の発現している この、小さな飛翔体によって、希望を持ち抱きながら、すすむ。
こんな、混沌とした新年には、もうすぐ、何か道しるべを掴める。 といって、希望を持ち抱きながら、…