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たぶんとんでも。


知り合いがいなければ,描けないような拭き心地の窓ガラスに。


アウグストゥスは初代ローマ皇帝,Royal Lionの爽やかな精悍さ。
バルタザアルとは,彼の謂れ。アグリッパ,カエサルなど,聖書の
時代に,よくも同居した立法者。そうして,傷跡は双子宇宙だから,
ツイン・ソウルなどと呼ばれる,彼らの傷は,桃色の恋。それで,
漱石は,Royalだったと感じる,則天去私だから,LONDON ONE。

小林一茶は回転するわだちを残せば,Chariot。とっても激情する。

太閤秀吉には,やはり回転するわだちの以前にカリスマの東洋美。
天狗のような鼻をして,西洋人らしい顔立ちの,直立するカリスマ。

源実朝には,金槐和歌集なる作品があるけれど,飄々と冗談のような,
コミカルなギャグを跳ばしている彼だから,鶴岡八幡宮の境内を,
山犬に乗ってきゃはきゃはと翔けまわっていたような。冗談めいて。

平宗盛には,酔い加減の酩酊状態を,平凡さで呼ばれたけれど,彼の
知性はその霊媒的な体質だろう,霊能者,霊能者,彼の本質とは,酔拳。

後醍醐天皇に至っては,指一本に触れるまで空気がその機微に凍るような,
非常に繊細な優美さを感じる。

それ以前に,道鏡なる僧侶が居たと伝えられるが,彼のそんな天性にしても,
もう逸脱性ほどの個性を当時のカリスマとは怪僧,彼自体が街であった。
空間を動かすとはこうした呪術性に隠匿性,そうして神秘主義的な傾向。

桃色の恋は,だから傷跡のツイン・ソウルの証だから,肉体には双子宇宙。
本質論に至れば,この世の本質とは,まるで因襲。取り憑くのほど因襲の,
本質論に至れば,世界の実質とは,骨身に沁みる因襲。桃色の恋は,伴侶。

知り合いがいなければ,描けないような拭き心地の窓ガラスに。

アウグストゥスは初代ローマ皇帝,Royal Lionの爽やかな精悍さ。
バルタザアルとは,彼の謂れ。アグリッパ,カエサルなど,聖書の
時代に,よくも同居した立法者。そうして,傷跡は双子宇宙だから,
ツイン・ソウルなどと呼ばれる,彼らの傷は,桃色の恋。それで,


因襲があるとすれば,生活に影響を与える,それは明智光秀のような,
謀反に終わる,人生の機微に切なさを,行動に向かう前に,もうすこし,
考える暇のあれば,など切にそう感じる。勢い任せだから,いつも焦ってる。

詩人が土佐勤王党に斎藤道三の墓を訪ねれば,なぜだか怒りは,余裕のうちに,
焦ってしまった酸化したチョコレイト。太閤秀吉が討つとする,何故だろう?
カリスマはいつも首をかしげて,何だかよくわからない,わからないけど。そう,

もうすぐ,平和な世がやって来るさ,そうさ,そう思ってないと,何も始まらない。
だから,暖かさは冷淡さとは反対のものだ。冷温と温暖さは交わらないけれども,

植物の業と湧水の流れがそれを結ぶから,もうすこし季節に身を委ねよう。そう,
暖かさにつれて,世界は変わってくる,季節だけ,実に広大なのだから。

知り合いがいなければ,描けないような拭き心地の窓ガラスに。


こちらは如何?

KARMA SPRINGとゆう、LONDON ONEの書類群。

腸がつまる、など。必然的な兆候を含む、現代のシンドロームには業の湯浴み、として。沢山の娯楽をエンターテイメントのように軽く、 楽しめるかとゆう、趣味の時間を1分2分。どうしようか? ほんとうに湯舟に浸かれる瞬間は、ご褒美だけれど、郵便物を 受け取るための深夜窓口も、寒くって伺う気にはならない。
疲れている?いいや、眠たいのはいちばんのご褒美で、またあの 思考を放棄する瞬間にこそ、曖昧で朦朧とした意識の、それは、 諦念する、問題も、なにもかもなくしてしまわれるのだから、 業の問題を考えるにしても、その問題をこそ、考える理由にこそ、 思考をなくしてしまえる瞬間に、解決されるとゆう、自己回帰。
スムーズに、ヨーグルトのプレーンを朝食に、必然的にも トーストの欲しくなるのは不可思議以上の不思議な事で、 思考し過ぎる事かあ、趣味と言えば趣味らしいモノだろうけれど 逆に、その時期を通りすぎれば、遺産として、KARMA SPRINGとゆう あの書類群の、ギフトだったのだな、ギフトだったのだ。 LONDON ONEとゆう、思考の山人による、最高の贈り物。
篤姫や、真田丸のあとには、足利学校のテーマなどみられる のでは、など、そんな、太陽悪魔や、オロチ伝説の、赤猪岩受難の、 岩戸伝説や、岩窟の聖母像と重ねて、ヒトの受難は、獣神化する道程を 経て、進む。確実な過程として、行程は、目的地の、アマテラスへ。 太陽の夜明けに繋がるのは、そんな、獣神の角と眼の筋の取られて ヒトよりも人らしい、そのグラウンドダウンしてゆく人間性の、 これは、地味に滋味栄養のある、豊富な、例えば、あの古い語の 富国強兵論なども、こうした、筋肉質な糖質制限や、あるいはまた 腸の詰まりは、富国強兵に、カルマ・クリーニングを一跳びして パクチーのコンソメスープなどを啜る朝に、やはりあの、 トーストを欲しくなる、都市街の朝食風景は、ループする。あんな ループする朝食を求めて、世界は廻り続けているとしたら、 このグラウンディング指向も、また、おんなじ様に、新年のお雑煮を、 頂けそうな、そんな年末のグツグツ、カマドは周るのである。

跳び込んで、さては越えてゆこう、あの倫敦の壁。

反射式灯油ストーブとゆう、電池が2本あれば着火して、延々と火が灯して居続けられるとゆう、あの暖かい暖房器具に換えて、 けれども、いくら火が自慢してきたって、この寒さにはギャップの ありすぎて、孤高の熱源とさえ言える。そうとも思えなくない。 例えば、こんな夜に、ジョナサン・スウィフトのガリバー旅行記や、 ジェイムズ・ジョイスの、ダブリナーズや、ブルネルの蒸気機関の、 あのシラノドベルジュラックの引いては切なさとゆうものへ。 たどり着いては、首を振る。僕の、ポートレイト?これは、いや。 むしろ、地底のレストランへの入店チケットに違いない。 ペイパーバックライターのイントロを奏でながら、いらっしゃい!と。
そんな中で、また別の系譜へと、この流れでして、目をやると、 ジョンのピースプレイトと、プルーストの時のない、そんな エル・グレコの静止画と、フェルメールの祈りのない静止画と、 そうして、カスパーダーヴィドフリードリヒの動画のような、 祈りを、静止画と動画に織り交ぜて平和を祈った、ダンテの あの、天国と地獄には、とにもかくにも、動きの中の静けさ。
大晦日を迎えられたのは、身体に感謝とはいえ、なぜかしらの 糖分がすべて抜けたかのように、フニャっとしてしまったので 何かしら食べていようと、寝正月とお正月料理を拝借する。 魚卵は、女性ホルモンにて情緒安定し、かまぼこ、お餅などは 練り上げる消化力を推し進める。とにもかくにも年末から三が日は ほんとうに終わりと始まりをないまぜにして、全然のとやかくゆう、 あのサナギの産褥の時期である。もう、ほんとうに生まれ変わって 蝶に羽ばたくこと、はばしく麗しやかに、その飛翔は、まるで
カルマクリーニングをひとっ跳びして、掻き削がれたオーラの 全体性の発露とはかくゆうこんな、絶対的に阻まれた主観性だ。 何かが、1年の糖分のあまさとして、大晦日の業火に灰と化し、 新年の三が日はとにかく、食べて寝て、練り上げて、寝て。 そうして、思考知性の小さなままの、不死鳥のヒナまでが、何か 新しいスタートのしるべのようにして、現れてくる。そんな、 切なさではいられない。けれども、業火には、もう絶やされない。 すべての出逢いと別れは、一新され、そうして、知性の発現している この、小さな飛翔体によって、希望を持ち抱きながら、すすむ。
こんな、混沌とした新年には、もうすぐ、何か道しるべを掴める。 といって、希望を持ち抱きながら、…