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真髄嗜好瓦解する東西。

ロック・ブルーズ・マッディ・ウォーター。
瓦解する身体は腹を下して,空っぽになる。
国津神と天津神の間を流れるのは,”水”。
多分,グルメのフランスと,思惑のドイツへ。
実はドイツ観念論とゆうのは,現代”グルメ”。
内の”グルメ”観念論。外のグルメ”腸活指向”。
だから,ドイツパンとゆうのは,やはり発酵の
哲学へのグルメであって,内の”グルメ”観念論。
フランス料理の下へ下へ,舌を通じて”腸活指向”する,
外のグルメ”腸活指向”。

思春期は本当に,ほんとうに。
虚弱体質で,思考が角が立つほどの信仰告白をして。
寿命はたくましいかもしれないけれど,人生”グルメ”。
さだまさしさんは”風に立つライオン”でずっと祈ってる。
人生は”グルメ”のように始まり,十代。また,それで,
野村一彦さんの,神谷美恵子さんに対する信仰告白を。
シレジウスを読み,天球からの音楽を聴き,ナチスに対して
没ナチス的に理解を試み,ただとにかく人生”グルメ”。
とにかく虚弱体質にして,寿命はたくましいから,そんな。
青春をすべて”哲学”に帰してしまうのだ。三十代にでもなれば,
朱夏の真っ盛り。ようやくフランス”腸活指向”。ドイツの,詩は
ドイツ観念論=発酵=天津神のミューズ詩神より産れ来たりて,
フランス料理=腸活=国津神の”神の子”から”人の子”に,前世も
前世ゲームを修了して,前世学校を卒業する。だから,多分。
十代から二十代=内から外=天津神から国津神への道程で,必ず
天津神とはドイツの詩で,国津神とはフランス料理なのだから,
いまは鳥取に住んでいる僕も,また山口・萩になど行って,
夏みかんの果汁など嗅いで,津和野に源氏巻きなどを,稲荷の
土産とともに,あの小麦と牛皮の融けあったようなロマンスを,
”案山子”の造り酒屋に桜吹雪の時期など,もうグルメは季節感。

春は消化酵素の豊かに分泌される時節。それが,そのまま蠢く桜の
咲いた,酔い払いのような季節が,そのまま祝祭のバイロイトだ。
天球の音楽に,シレジウスと,無に帰す思春期の忘我への指向を
果てはまた分泌酵素の増える祝祭のような春の中で,また,蟲の
知らせのように僕はフランスからドイツへの道程を,産道へ向かう。
腸活は一時休止。ある程度,休止するほど温かくのどかになって。
哲学への発酵への逆行を『飢餓感のあるうちに治める残酷性を。』
とゆうスローガンのうちに,ハートにではなく,知的に働くそれが
フランス料理よりドイツパンの航路をたどって,だから,

ロック・ブルーズ・マッディ・ウォーター。
瓦解する身体は腹を下して,空っぽになる。
国津神と天津神の間を流れるのは,”水”。
多分,グルメのフランスと,思惑のドイツへ。
実はドイツ観念論とゆうのは,現代”グルメ”。
内の”グルメ”観念論。外のグルメ”腸活指向”。
だから,ドイツパンとゆうのは,やはり発酵の
哲学へのグルメであって,内の”グルメ”観念論。
フランス料理の下へ下へ,舌を通じて”腸活指向”する,
外のグルメ”腸活指向”。


こちらは如何?

KARMA SPRINGとゆう、LONDON ONEの書類群。

腸がつまる、など。必然的な兆候を含む、現代のシンドロームには業の湯浴み、として。沢山の娯楽をエンターテイメントのように軽く、 楽しめるかとゆう、趣味の時間を1分2分。どうしようか? ほんとうに湯舟に浸かれる瞬間は、ご褒美だけれど、郵便物を 受け取るための深夜窓口も、寒くって伺う気にはならない。
疲れている?いいや、眠たいのはいちばんのご褒美で、またあの 思考を放棄する瞬間にこそ、曖昧で朦朧とした意識の、それは、 諦念する、問題も、なにもかもなくしてしまわれるのだから、 業の問題を考えるにしても、その問題をこそ、考える理由にこそ、 思考をなくしてしまえる瞬間に、解決されるとゆう、自己回帰。
スムーズに、ヨーグルトのプレーンを朝食に、必然的にも トーストの欲しくなるのは不可思議以上の不思議な事で、 思考し過ぎる事かあ、趣味と言えば趣味らしいモノだろうけれど 逆に、その時期を通りすぎれば、遺産として、KARMA SPRINGとゆう あの書類群の、ギフトだったのだな、ギフトだったのだ。 LONDON ONEとゆう、思考の山人による、最高の贈り物。
篤姫や、真田丸のあとには、足利学校のテーマなどみられる のでは、など、そんな、太陽悪魔や、オロチ伝説の、赤猪岩受難の、 岩戸伝説や、岩窟の聖母像と重ねて、ヒトの受難は、獣神化する道程を 経て、進む。確実な過程として、行程は、目的地の、アマテラスへ。 太陽の夜明けに繋がるのは、そんな、獣神の角と眼の筋の取られて ヒトよりも人らしい、そのグラウンドダウンしてゆく人間性の、 これは、地味に滋味栄養のある、豊富な、例えば、あの古い語の 富国強兵論なども、こうした、筋肉質な糖質制限や、あるいはまた 腸の詰まりは、富国強兵に、カルマ・クリーニングを一跳びして パクチーのコンソメスープなどを啜る朝に、やはりあの、 トーストを欲しくなる、都市街の朝食風景は、ループする。あんな ループする朝食を求めて、世界は廻り続けているとしたら、 このグラウンディング指向も、また、おんなじ様に、新年のお雑煮を、 頂けそうな、そんな年末のグツグツ、カマドは周るのである。

跳び込んで、さては越えてゆこう、あの倫敦の壁。

反射式灯油ストーブとゆう、電池が2本あれば着火して、延々と火が灯して居続けられるとゆう、あの暖かい暖房器具に換えて、 けれども、いくら火が自慢してきたって、この寒さにはギャップの ありすぎて、孤高の熱源とさえ言える。そうとも思えなくない。 例えば、こんな夜に、ジョナサン・スウィフトのガリバー旅行記や、 ジェイムズ・ジョイスの、ダブリナーズや、ブルネルの蒸気機関の、 あのシラノドベルジュラックの引いては切なさとゆうものへ。 たどり着いては、首を振る。僕の、ポートレイト?これは、いや。 むしろ、地底のレストランへの入店チケットに違いない。 ペイパーバックライターのイントロを奏でながら、いらっしゃい!と。
そんな中で、また別の系譜へと、この流れでして、目をやると、 ジョンのピースプレイトと、プルーストの時のない、そんな エル・グレコの静止画と、フェルメールの祈りのない静止画と、 そうして、カスパーダーヴィドフリードリヒの動画のような、 祈りを、静止画と動画に織り交ぜて平和を祈った、ダンテの あの、天国と地獄には、とにもかくにも、動きの中の静けさ。
大晦日を迎えられたのは、身体に感謝とはいえ、なぜかしらの 糖分がすべて抜けたかのように、フニャっとしてしまったので 何かしら食べていようと、寝正月とお正月料理を拝借する。 魚卵は、女性ホルモンにて情緒安定し、かまぼこ、お餅などは 練り上げる消化力を推し進める。とにもかくにも年末から三が日は ほんとうに終わりと始まりをないまぜにして、全然のとやかくゆう、 あのサナギの産褥の時期である。もう、ほんとうに生まれ変わって 蝶に羽ばたくこと、はばしく麗しやかに、その飛翔は、まるで
カルマクリーニングをひとっ跳びして、掻き削がれたオーラの 全体性の発露とはかくゆうこんな、絶対的に阻まれた主観性だ。 何かが、1年の糖分のあまさとして、大晦日の業火に灰と化し、 新年の三が日はとにかく、食べて寝て、練り上げて、寝て。 そうして、思考知性の小さなままの、不死鳥のヒナまでが、何か 新しいスタートのしるべのようにして、現れてくる。そんな、 切なさではいられない。けれども、業火には、もう絶やされない。 すべての出逢いと別れは、一新され、そうして、知性の発現している この、小さな飛翔体によって、希望を持ち抱きながら、すすむ。
こんな、混沌とした新年には、もうすぐ、何か道しるべを掴める。 といって、希望を持ち抱きながら、…