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善悪の彼岸,とは。

朝,目覚めると”善悪の彼岸”にいる。
朝,それが目覚めた後の答えが”真実”なのだ。
実に,冥土,眠りの世界は”教育者”じみている。
”教育者”が嫌なのではないし,今までもこれからも,
目覚めて起きた後の”返答”をいちばん念頭に置きたい。
しかしながらもそれにあらがう心持ちもないわけではない。
夜眠る前に,しかもそれは宇宙船地球号を目の前にまさに
”善悪の此岸”にいた僕が,起きてなお,『善悪の彼岸』に
いる。朝課とは,その『善悪うんぬん』を打ち破る,
アーティスティックなコラージュ運動なのだから,これは
横尾忠則氏の宇宙船天丼号などに倣って,ほくほく,と
天々どんどんと,身もふたもない,”踊り念仏”のように
富士講のように,レジャー・バーベキューのように,また
お酒は,黒ヴァイツェンしか,のまないとゆうこだわりの,
”善悪の彼岸”は,ほんとうはだから,無い善悪なんてゆう,
レトリックを求めるのじゃなくって,もともと,宇宙船に
科学技術のみのあって,道徳はおしゃべりにすぎないような,
そうゆう地球意識から始めよう。とゆうことじゃなかったのか?
グラウンディング,グラウンディングとゆう昨今の風潮は
そんな地球意識から,”おしゃべりよりトンガリで。”とゆう
地球意識から。雪ずりが,ばんばんばんばん軒を叩いて,
八時だヨ全員集合!のはじまりを告げている。怒りのようす。
いつもプログラムの最初に感じていた,雪ずりのような怒り。
怒っているのは,夜も更けて,一日も終わり,明朝は溶けて,
道徳もなくなってしまう。そんな,怒りの諦めのようす。でも,
善悪の彼岸,をテーマにするなら,溶けてなくなって,その水
1年後にまた,降るかなぁ。濁流に呑まれて,それは,さぞかし
天界に昇るのはまだ先のことと思われよう。そうやって,飛行機
の早朝の遠鳴りを『宇宙船地球号』と勘違いしながら眠りに,
乗船した眠りの世界では,きっつきっつと”教育者”に諭されて,
もういいよ。目が覚める。ぐらんぐらんに,早朝寝でもうろう。
酔っ払ったみたいに,『道徳』を頭に置いて,お掃除始める。
そうやって”返答”を抱いた目覚めは,思春期にはむしろよかった,
ただ今はもう,善悪の彼岸,とは。テクニカルにロジカルに,もう
モラルのない程に,ピカソのように。

こちらは如何?

KARMA SPRINGとゆう、LONDON ONEの書類群。

腸がつまる、など。必然的な兆候を含む、現代のシンドロームには業の湯浴み、として。沢山の娯楽をエンターテイメントのように軽く、 楽しめるかとゆう、趣味の時間を1分2分。どうしようか? ほんとうに湯舟に浸かれる瞬間は、ご褒美だけれど、郵便物を 受け取るための深夜窓口も、寒くって伺う気にはならない。
疲れている?いいや、眠たいのはいちばんのご褒美で、またあの 思考を放棄する瞬間にこそ、曖昧で朦朧とした意識の、それは、 諦念する、問題も、なにもかもなくしてしまわれるのだから、 業の問題を考えるにしても、その問題をこそ、考える理由にこそ、 思考をなくしてしまえる瞬間に、解決されるとゆう、自己回帰。
スムーズに、ヨーグルトのプレーンを朝食に、必然的にも トーストの欲しくなるのは不可思議以上の不思議な事で、 思考し過ぎる事かあ、趣味と言えば趣味らしいモノだろうけれど 逆に、その時期を通りすぎれば、遺産として、KARMA SPRINGとゆう あの書類群の、ギフトだったのだな、ギフトだったのだ。 LONDON ONEとゆう、思考の山人による、最高の贈り物。
篤姫や、真田丸のあとには、足利学校のテーマなどみられる のでは、など、そんな、太陽悪魔や、オロチ伝説の、赤猪岩受難の、 岩戸伝説や、岩窟の聖母像と重ねて、ヒトの受難は、獣神化する道程を 経て、進む。確実な過程として、行程は、目的地の、アマテラスへ。 太陽の夜明けに繋がるのは、そんな、獣神の角と眼の筋の取られて ヒトよりも人らしい、そのグラウンドダウンしてゆく人間性の、 これは、地味に滋味栄養のある、豊富な、例えば、あの古い語の 富国強兵論なども、こうした、筋肉質な糖質制限や、あるいはまた 腸の詰まりは、富国強兵に、カルマ・クリーニングを一跳びして パクチーのコンソメスープなどを啜る朝に、やはりあの、 トーストを欲しくなる、都市街の朝食風景は、ループする。あんな ループする朝食を求めて、世界は廻り続けているとしたら、 このグラウンディング指向も、また、おんなじ様に、新年のお雑煮を、 頂けそうな、そんな年末のグツグツ、カマドは周るのである。

右側のチカラを抜いて、左肩をいきり上げる。

スーパーに出掛けるまでにも、右肩で考えて、そのトータルに見届ける事を優先していた。けれども、その優先度は右肩上がりには 決してならないものだった。トータルに全体主観によってみえる その眺望は限りなくミクロで、情報分析には役立つが、 現状認識には、あまり用をなさないのだ。 現実を見詰めるとは、想像によるものでなし、それは、 未来を無くし、その視点より時間を無くし、左肩上がりで、 あえて時間軸より、あるいはイマジネーションより、もっと 空間的に、リアリティは、期待も時間もない、悪びれたモノ。 スケジュールに関して、悪態をつくくらいの丁度いいのだ。 それは、左胸で考えること、そうして、論理的なリアリティは、 とっても毒づいて、リアリティに頑強に厳密な、 NO TIMEの様。
左胸で考える、それは腹で考える。すぐにはできなくとも、 とりあえず、両脚を伸ばして、アキレス腱を延ばす所より。 あぐらをかいて、息を吐いて、リズムを刻んで、背筋をのばす。 水出し風烏龍珈琲を呑みながら、右側のこめかみにかつては チカラを入れて考えていた、トータルな全体主観を、あえて クリスマスへの供え物にして捧げ、僕はいまもう、この 土の上に落ちた南天の実のように感じながら、土の酵素を身に 付けて、プーアール黒茶を啜るように、あんな感じで、むしろ サンタクロースのように1年の1度せかせか届けものに、 あくせくそれは、黒茶を発酵させる酵素は、毒づいて僕の 論理性リアリティとよく似ている。これは、烏龍珈琲のミラクルでも、 毒は薬にもなる、ホメオパシックな奇跡的酵素生成にも似て、 本当に、実際に効果的なモノとは、毒素を酵素に変質させる何か。