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知覚の攻撃性=色彩の安らぎ。その眼差し

AGGRESSIVE=CONSOLATIONを結ぶ何かの,そうして, 知覚するとは,アストラル・レヴェルにまで制限せよ。と, 色彩は,色欲とつなげるのではなくて,鎮静作用に用いる。 落着き払って,民芸の器などを眺めやる,没香のにおいとは 夏風は,夕立のおこす涼しさを持って来ては,落ち着き払って 民芸の器などを眺めやる,没香のにおいとは,バジルの香り。 ひとの裏を掻いては,冷や汗をかく。そんな危機管理作用を いつも裡に抱いては,飛び込む滝つぼの納涼遊び。こんな, アウトドアなレジャーは,サヴァイバルな何かではなく,やっぱり 暑さを寒さによって取り除く納涼の何かであるのであって,そこは ただ,アイス珈琲をのむだけでも良い。だから,裏を掻くのでは 持たないから,覗き込むのは滝つぼではなくって,器の底にしよ。
心得としては,喉仏に何か詰まっている位の良いとして,なので 視界を死海として,濃度の濃い浮世として,うつろな目でも視る。 座った眼をした,そんな清濁併呑ならぬ,清濁両視するあたりの いちばん良い。座った眼をした,視界にこだわらず,眼を意識せず。 直視するように言うけれど,知覚の世界から,或いは知性の領域より 戻って来て,まず視るそのリアリティは,繊細さよりもっと,極彩色。 そのビビットな世界に持っていかれないように準備してきたのだから, 腰に碇を据えて,落ち着く,陸の上。思った以上に,感情や意思は, ”色彩の”アストラル・レヴェルではドラマティックに創造的だ。また, 視界を直視すると,あえて”直視”すると,観念的に,喉仏の座って来る。 平凡だ,そうして朝日の匂いだ。クジラ雲は,蒼穹の四海を漂い渡って, 筋雲の潮騒を遺して,旅立ってゆく。ざぶーんと着陸する,喉仏の船。
知覚の攻撃性=色彩の安らぎ,それはヒステリックな大海より戻って, 陶器のざらざらした湯呑に注がれた煎茶をくゆらせながら,茶柱の数を 指折り見詰める,何とサンチャゴの落着き払った姿だろう,その眼差し。 ドラスティック,こんなフレーズの浮かんできて,ヘミングウェイの, 或いは上品な詩聖のツルゲーネフとの対比を想っては,ロマネスクの ハードボイルド寄りの変遷,彼らは繋がってゆく。連綿と,歴史の渦中, 白い狼は,そのまま白いクジラ雲へ,一本の茶柱を見詰めるサンチャゴの この白老の湯治や木工を思わせる何らかのド…

水風呂と冷室茶房,集合意識の氾濫。

晩夏に,いたって静かな,水風呂と冷室茶房の爽やかさの, それだけ,あれば,それで良い。いずれ,暑気あたりに, 夏も終るころ,アイス・ブラックの欲しくなって,集合意識は 氾濫する。いたって静かな,水風呂と冷室茶房の爽やかさの, それだけ,あれば,それで良い。蟲の神とは言うまでも,ほんとに かれら暑気あたりの名残は,いつまで経っても現れ吹き出てきて, 『悪神の午後』を,それぞれ謳う,それはまるで,裏側の人間性。 ゆくゆくヴィーナスにさらわれるまで,多分僕は,悪神の踊りを 徹底的に続けているのだろうから,その姿はきっと,嘆息と自失。 茫洋と自失しながら,こう自問しているのだろう,『”我”は何処』。 暑気あたりは,夏バテとも少し意味合いは違ってきて,イライラでも, くすぶるモヤモヤでもなくって,何だか,自分を忘れたような。その, 茫洋と自失しながら,こう自問しているのだろう,『”我”は何処』。
だから,とりあえずは,ブラック珈琲を淹れて,微温に2,3個氷を, そうして,グイッと呑む。冷静になって,そうして,次第に冷静に。 ただ,呆然としていよう。本屋に佇んで,どこ吹く風?とぼんやり, 背表紙よりも,書棚のその,樹ではなく森を,ずっと眺めてよう?そう, 落着いて,投げかけるのだ?もうすでに,自分は梢の猿のような気がして 論語を観ながら,リンゴはどこだ~?魔の山をなぞらえながら,笛は? どこ,に自分がいるのか?やっぱり捜しながら,珈琲の効用の切れるまでは とりあえず,歩く速度を一定に保ちながら,本のあいだをすり抜けて行く。 クラシカルにロマネスクな,ウッディ―にスモーキーで。あとは,テンダネスな ステーキのローストされた,クッキー・モンスターに,ダスト・ボックス。 黒人霊歌の謳われたハーレム・スクエアに親い聖堂を眺めれば,ふとトリップ。 いつぞやの,いつものではあるのだけれど,自宅の冷室茶房を用意しつつ,また。 水風呂を,無塩素プール。無塩海水浴と銘打って,もう身も蓋もない。ぽっかり, イントネーションは,インター・ネイション。集中して安らぎ,時に攻撃的な, 魅力的な時間を過ごして,集合意識の氾濫を抑えている。蛇足だけれど,集合意識は 僕のものではあっても,占有率0.1パーセントに満たない,ごく低い所有率で、無論 コントロールするより,『集合意識の管理人』とは,明らかに詐称…

ゴーヤのシャキシャキ・アカシアの雨の止む。

解ってしまえば,それまでだ。アカシアの雨の止む。本当は 沢庵をかじるようにして,ゴーヤのシャキシャキをつまむそんな。 例えば,織田信長=堀辰雄=嵯峨天皇=西郷隆盛=フビライ汗, そうして,平清盛像のいよいよ現われてきて,さあ,沢庵をまた かじるようにして,アカシアの雨の止む。織田氏の巫病めいた何か, この,ヴェールのように,R.シュタイナーのメルヘンを聴くように, 掻き燻る雨煙のような蒸せる何かのメルヘンを,その氏の薫陶より 聴いている。雲煙,こんな言葉さえも嵌ってゆきそうだ。そう何かの, 肺病に閉ざされて,何をか想う。雨煙も肺臓の中も何もかも良く似て。 いよいよのグルメは軒下にぶら垂がるゴーヤのチャンプルーを咳込み, 咳込みしながら頂く夏風邪の最中。雨も燻って,皿より湯気も揺蕩って, こうして,ぐぐっと,梅のエキスなどをウーロン茶で溶いて呑む心地。 こうだ,こうでなくっちゃあ,菜の花畑を,『草枕』の冒頭,茶屋まで 歩く,あの心地。山間の湯屋に着くまでは時間のかかるなれど,この旅程を 随分に楽しんで歩く心地。病は気から=”気は病”なれば。
この,肺病の転生譚を眺めるにつけ,自らそのテーマを持ち込んで本懐と, なしてゆくゆく道すがら,何がそのテーマなのだろう?この魂の,何をして 救いの神あらば,或いはまた転生を終えられる鍵なのだろう?こんな想像, 肺臓とは,やはり呼気を扱い吸気を求める,”自分のなかの他者”であるのは 例えようもなく違わないので,だから,他者の関わりとゆうテーマを扱って, ”犠牲”=無論,己を無にして人の役に立つ。このテーマを終えて,彼の願いは 終るのだ。何故,人の役に立つ,そんな願いを無意識下にまで持ったのか? 悼みや,優しさの追及,時には両刃の傷をもたらすような,その優しさ。では, 優しさ全般のテーマに往けば,彼の魂は救えそうな気もする。おこがましいので なかなか言えないのだけれど,自己放棄よりの,身魂的な入換え,こんな目的を 言えば,ウォーク・イン=たましいの交換の起きる時の,世間の抜本的な入替わり。 こんな目的性を,きっと肺病や,彼らの脱世間的趣味は伝えているのだろう。この 無我の起こす,魂の入替え,それじゃあ,もう大丈夫だ。何度,気絶放心して, この世の世情と四肢身体を入替えしたことだろう?今となっては,無我恬淡として, まさしく幸福以外…

さかしらに祈るお寿司。

ロンドン旅行に恋の準備を必ずするのは,BEN RED。この, ロンドンの春は,TGVに乗って,英仏海峡を渡れば,終り。 そのまま,恋の終りではなくって,寒椿被る雪の風情を。 恋も終れば,インドの地に昇る太陽,それはkarmaと呼び。 灯台に吹き荒ぶ冬の嵐を憶い出せば,轟々と夜,燈す灯りに, ロマンチックなそれは,karmaに替る,心に太陽のぼる。
盆踊りをみて還る夜更けの路すがら,何故だかほっこり安心, 撮影隊で荷物持ち,踊るくらいは出来ない訳でも,いいや。 安心したのは,夏の過ぎる夜明けのような,脂肪溜の頭脳より それを餌にする蟲の神や,鰯の弔いから放たれたような,そんな 盆踊りに何故サークルを描いて廻る,夜になっては踊る,そうして。 この,波の曳けて行くような,さざ波のような踊りを繰り返す? すべて,渦潮に巻き込んで,陽性の季節は双子宇宙の裏の静かさ。
お盆の料理は,お惣菜にしても,とっても気品に溢れる物ばかり。 酸味の効いたフルーツ・オードブルから,お菓子のようなお寿司。 プラスチックの展示のようにみえる様々なネタは,シャリも含め, 実はしっとりとして,いつまで経っても新鮮だ。フルーツひと口, 揚げ物のオードブルを品定めしてみても,どれも慎ましやかで, 派手ではない。白っぽく,淡く,安心したのは,夏の過ぎる夜明けのような, 脂肪溜の頭脳よりそれを餌にする蟲の神や,鰯の弔いから放たれたような, そんな,死とゆうテーマは,詩情の振りしていつまでも師匠の影を, 落とし込むテーマは,『一息落ち着いていつも探しなさい。』
さかしらに祈るお寿司。こんな姿を,食した後のお腹のなかも,またして, 屈みながら摘む背広を脱いだ背中に感じるお盆の料理をあれこれ。帰省の 季節を感じる,夜更けに静かなPCの充電の音は,夏虫の囀りにも似て, 夜風涼しく,笛を吹けば,吹いているのは帽子を被ったお月様の陰で, そうだな,ひとごみと,高速道の黒い幻燈と,あるいは楽の音の祭りに, さかしらに祈るお寿司。お盆の最中には,インディアン・サンと,あの, ロンドン・スプリングの夢を,karmaの収束と,恋のおわりに見届けた。
ロンドン旅行に恋の準備を必ずするのは,BEN RED。この, ロンドンの春は,TGVに乗って,英仏海峡を渡れば,終り。 そのまま,恋の終りではなくって,寒椿被る雪の風情を。 恋も終れば,インドの地に昇…

美しさと貪婪さ,

世界の貪婪さ,開高健さんのバック・ペイン。この,カギを握る, 世界の貪婪さ,フィルターのなさの叫ばれて昨今ふかい瞑想時間, 世界の貪婪さ,この,カギを握る,受け容れるとはフィルターの。 美しさの理想は,限りなくフェミニンに,疑いもなくきらびやかに 美しさの理想は,道徳モラルの上でも,限りなくフェミニンに, 美しさの理想は,樹林に潜む陰の芳香を,どこまでも涼やかに。 疑いもなくきらびやかな理想と,昨今叫ばれて久しいフィルターの なさは,世界を含めて身体性の極致を顕す,それは美しさと貪婪さ, 美しさに誘われて神々しさにひざまづく夜更け,はては,健全さを 受け容れるとはフィルターのなさであるように,貪婪さを見詰める。 美しさだけでは,世界の三分の一で,貪婪さのみでも理想以外の三割。 まるで親離れするように,世界は手を放す,もつれた美しさによって。 そうして健全な精神は溌剌と精悍さを示すから,貪婪さはGrounding。
女性性と男性性なのか,美しさと貪婪さ,ホルモン的には解らないけれど。 男性は美しさを求め,女性は他方よりはなれて伺う,何だろう?この訝しく。 一方通行なのが世界のエナジーの方向性だ。上方より高度の降りた方へ,また 受容するフィルターのなさにとっては,健全さと言って辿り着いた最期の沼。 ここは菖蒲や,蓮の咲く悲恋な想いも乱れざき,閉鎖的な日常の悩みも多くは 上品な香りをもたらす不思議な所。ながれ付く先には,箸も漂う,世界を変える。 上方より降りた方へ,何故かしら健全さは大気上空には漂わない,羽ばたきせず, 蕭条バッタとゆう不可思議なメルヘンのように飛び跳ねて鳴いている,美しく。 梅とユリの時期も過ぎれば,蓮も咲き,枝豆ひとっつ,ぷいと飛ばせば,柿の種。 プラムも過ぎれば,桃の皮むき,ぷいと飛ばせば,メロンの根こぎで,お盆饅頭。 美しさの理想は,限りなくフェミニンに,疑いもなくきらびやかに 美しさの理想は,道徳モラルの上でも,限りなくフェミニンに, 美しさの理想は,樹林に潜む陰の芳香を,どこまでも涼やかに。 疑いもなくきらびやかな理想と,昨今叫ばれて久しいフィルターの なさは,世界を含めて身体性の極致を顕す,それは美しさと貪婪さ, お盆だ,お盆なのだ。帰省する方の身体性の光りと影は,祈らずには居られないもう, 初めて,高速のサービス・エリアで深夜帯の静かな影の車体を…

南国阿波パラダイス,

阿波踊りとゆうものを,観てきては,美しさに嘆息。まるで, 号泣したいのに泣けず,笑いをこらえたいのに洩れてくる,こんな。 まるで不可思議な恬淡とした感情を,美しさの静かさは覆っている。 瀬戸大橋のあたり坂出とゆう地名を眺めては,イザナギや大国主の 渡った,黄泉平坂を憶い出し,ウチのちかくにある夜見地方もそんな 語呂合わせで語られることのあるけれど,本当に南国阿波パラダイス。 こんなに天界極楽に親い所があるんだ~,もうまるで,心は暖かい, 一度は,疲れに眠りに落ちた車中,狸になった心地で,四国に受容れられ 珈琲のアイスブラックを頂きながら還る道すがら,いつでもオオナムチの 二度目の受難を受けても良い。”意識を失ってもいいから,楽しみたい。” こんな,古事記のなぞらえられ,南国のあの地を根の堅州国と置き換えて, スサノオはやっぱり優しい,そうして,スセリビメの踊る美しさに参って, ”意識を失ってもいいから,楽しみたい。”これもあながち嘘ではない,あの クラシカルで,ジャズやブルーズを感じさせる,ミュージカルのバラード的な 何だか野暮ったい言葉になるけれど,往時の今川義元になったような気持ちで, 阿波踊りとゆうものを,観てきては,美しさに嘆息。まるで, 号泣したいのに泣けず,笑いをこらえたいのに洩れてくる,こんな。
スイッチのオンになる瞬間,徹夜明けで,翌々朝に還ってくるとゆう強行軍にも, まるで堪えず,ハワイアンのトロピカル音楽などを聴きながらBlogを打つ心地, このまるで不可思議な恬淡とした感情を,美しさの静かさは覆っている。 瀬戸大橋のあたり坂出とゆう地名を眺めては,イザナギや大国主の 渡った,黄泉平坂を憶い出し,ウチのちかくにある夜見地方もそんな 語呂合わせで語られることのあるけれど,本当に南国阿波パラダイス。 こんなに天界極楽に親い所があるんだ~,もうまるで,心は暖かい, あの世に還る,その心地よさは暖かい,あの世とゆうのは,故郷であり,またもや このまるで不可思議な恬淡とした感情を,美しさの静かさは覆っている。 極楽恬淡南国阿波パラダイス,世情の世間世知辛く,今更悩みがちに平常の日常の, あの故郷も,還っては違って見える天国だ,これからしばらくは,天界の心地。 お盆,還ってこられる先祖様方のしてみれば,やっぱりあの世は天国だった。この, 水辺や山肌には行…

曖昧とストラグドブルグ。

野心とゆうものが,名誉利心にむけられるのではなく,ただ 闘志に,戦いに向かうホルモン的には男性性へ向けられるなら なお一層の事よい。struggle=ただ一心にモガくだけの事を, 曖昧に不安定な調子で,悶々と繰り返すこんな生活を,浪漫と。 闘志が猛々しく涌いてくる夜更けなどには,ただそれだけの事。 闘志だけを,ただ悶々と反芻しつつ闘志だけを味わっていたい。 この,静かな夜更けにstruggle=ただ一心にモガくだけの事を, 曖昧に不安定な調子で,悶々と繰り返すこんな生活を,浪漫と。 ただの浪漫と呼んでいたい。幸せで静かな夜だ。そうして,朝焼け の,静かさより小鳥の一声を聴くその瞬間だけ,それまで,ただ。 物音は闘志のゴトゴト,最初に嵌入を淹れる,闘志の初茹で。 僕は,字義の捻じ曲げと言われても良い。最初の印象よりの,あの 陶器にヒビの這入る,最初の貫入とゆうものを,あのヒビを,まるで 象嵌細工のように,嵌入と現したい。水晶も,大きな結晶とまでなれば, 水に浸すだけ,象嵌細工のような,シミの這入る。あれは,まるで, 貫入のようで,嵌入である,液体にもイノチを与えよう。大げさにも, 液体の成分にはイノチは宿る。
ホノ薄むらさきにひかっているようなそんな夜もあるものだ。手洗いに, ふと,夜明けごろ立ち上がって,階下ではガタゴトいつものように,誰も いないはずのキッチンなど鳴いているような気のする夜明けには,手洗いに さあ,出かけよう。大げさに立ち上がると,さては,ひかった。水晶の,あの 薄むらさきにボワアっと目指している,共に手洗いに出かけよう。すぐ降りて, キッチンよりも手前にある,階下直ぐの手洗いに。元来,祖父母の家だった, 父兄弟の生家でもあるこの家は,祖父の生前より居候しながら借りていた。そう, 祖父の亡くなったあと頃より,ほんとうに家の物音は減っていった。ガタゴトと。 もう,怖くなくなった頃とは言え,ほんとうに鎮護の鎮守の森ほども笹の生える, このお家の,祖父は神様にでも還っていったのだろうか?不謹慎ながら,ほんとうに 疑うわけではないのだけど,物音は実際にめっきり減って,鎮静化されていった。 ヒステリクスとゆうこのガタゴトとゆう物音にしたって,あるいは,物音の不審さ, それに継ぐ僕の闘志の顕れにしても,多分は,組織化された何らかの”美”の表現。 それ自体,…

情況浪漫エッセイ,

サヨナラ珈琲,こんな気持ちで,梅雨の再来のような,あの 涼やかで飴玉みたいに甘い,チラチラと虫の音の耀く湿原を, 扇風ファンのガヤガヤとした音色の裏で響く,あの涼やかで 飴玉みたいに甘い,チラチラと虫の音の耀く湿原を,追悼の。 このさなかではお盆前に感じる,ひやひやと美しい虫の音を, そんなに殊更騒ぐほどでもない。けれど,サヨナラ珈琲, こんな気持ちで,梅雨の再来のような,静かな弔いのムードは 幽冥の,一種の安らぎにも親い。ただ,安らぎに任せて,心臓も ぎゅっと掴まれたようなそんな心地で,言葉をうしなう。この, 無抵抗な,あのヒステリクスにはヒステリクスで任せてしまうこの, 元来,ぼやあっとしているには変わりないのだから,任せてしまう。 サナトリウム文学の窓辺のような,哀切の芳香を漂わせる何らかの, 不思議,不可思議。夜は,眠りに就くもので,朝には目覚める,そんな 魂には。夜露を呑むコオロギの気持ちはワカルマイ。宇宙船が跳んで, スペース・シップの鳴く,こんな草原の,夜の演奏会は観らるまい。
哀愁だ,虫の音は哀切な,宇宙も言葉もリズムさえもない,その哀切な, ロゴス=心臓をうしなった世界では,はても無いようで,果てに居るから, もうすぐ晴れやかな気持ちはするにしても,甘いフレイバード・ミルクティ。 ブラウンシュガー・シラップでも掛けて凍えた,両脚を暖めて,バンビ。 凍てつく現場では,そうしたファンシーな文化は起こるものなんだ。やっぱり 究極には,人間性の現場で生きる者にはファンタジック・メルヘンチックな, 何かの芳香的な薬味の必要になってくる。人間性<メルヘンなのだな。こう, 孤独や,嘆息と失語の中に見え隠れするのは,ロシア文学のようなメルヘン。 メルヘンと言っては,凍える事に疎そうに見えるけれども,人間性の夜に, 爆裂音楽のような,クラシカルな調べの起こるのは,そういったバイキングの あるいは貴族的な海賊の以て産まれた癒しの調べなのだろう。ロシアの春, とゆうものがあれば,それは,春地帯でも良いのだけれど,あるいは北欧の, 海の碧さを直視できる一瞬の晴合いでもいいでしょうが,それは,無我の瞬間。 漱石の無我の境地は晩年は常にそうだったのだろう,そうして,堀辰雄よりの, 創作めいた,芥川からの直系で,遠藤周作までの殉教詩譚に移ってゆくのだろう, 喜び?飽和?漫談…

ミルク・バタ飴と,考えないことと。

身体の中のバタ飴を,緑茶で解かしてゆく,それはまるで, 考えないことと,例えば,早朝寝起きにあたって,あの, ひたすらに否定し続けてきた,大地母神のヒステリクスなる, 人間性の礎とも執られがちな,人間臭さのあれやこれやを, 一度,大まかにその,大地母神のヒステリクスに憑りつかれて。 それを,許して,瓦解してゆく,個人的な存在の光りと影。 個体には,存在の光りと,影の両面があるのか?イザナミの, その大地母神の土の光りと,泉の影とのあいだに橋架けて, さあ,本質的に人間臭さとは?この,問いに取り組もう。 ミルク・バタ飴と,考えないことと。ヒステリクスはその, 人間味の本質に,何かのカギを隠していて,そんな風貌に, 嫌気の差して,ヨーロピニアリズムは発展してきたのであるが, やはり,アルベルト・シュヴァイツァーの闘ってきた『眠り病』は 南の島を当時席巻していた大病であったそうですが,そのような 大病めいたヒステリクスとも置き換えられて,その酵素体質は, もう,現代には合わないらしい。イザナミの顔をして目覚めて, 次第に,陽の翳りに,聖母の面持ちをして,ミルク・バタ飴。
人間性の光りと,影。両立する自己同一性を求めて,遣って来たのは 雪月花響く夜辺の凍てつき。インド・カリーを頂いて還る夜などは, 自分が,業の泉と一体化して返るような,非常な自己同一性を感じる。 業の泉と一体化?そう。全てを呑み込むような濁流に在って,世間は 非情な繰り返しである,昼と夜を持って来ては還してゆく。このような 歴史の光りと影をないまぜに包み込んで,やっぱり,それでよかった,と こう,思える時は来ないのだろう。凍てつく夜の,カンカンカン,と手すりの 耀いた音のするかと思いきや,ぱぁーっと月の灯りの閃いて,そうだな, やっぱり,修道院の土壌に活きることは日本でもやっぱり文化めいては, たったひとつのことを護るためにも必須の気のする,凍てつきの雪月花。 傷跡を内包するようなロマネスクも,もう要らない,そうは思えるのだけれど ミルク・バタ飴と,考えないことと。身体の中のバタ飴を,緑茶で解かしてゆく, それはまるで,一度,大まかにその,大地母神のヒステリクスに憑りつかれて。 イザナミの顔をして目覚めて,次第に,陽の翳りに,聖母の面持ちをして。 早く自己同一性の欲しいものだ,聖母の面持ちとは言え,傷跡…

ジェイムズ・ジョイスと織田信長,例えば。

境域に守護者あれば,”自由の牢獄”の番人の居る。そう。 ジェイムズ・ジョイスと織田信長,例えば。思い返すと, 抽象的に何かの,肖像を描こうと思えば,いつも,ジョイス。 ”この世”の番人は,堀辰雄=織田信長=平清盛による,牢獄の 世の中なのだ,と。ジョイスと信長,なんて,ロマネスク。こう。 隣の部屋よりの寝息に聴き入れば何とゆう,ヒーリング・ポーション。 ジョイスの名文を朗読された,ムービー・ローディングな音楽を,この 不思議な,なんて不思議な夜のひと時に聞いている。もう,済んだのだ。 済んだ?信長の弔いは何故以て,僕の意味があるかは解らないけれど。 もう,済んだのだ。何故,信長の弔いは終わったのか?よく解らずにも。 今川義元=太宰治=九郎義経の気持になって,ロマネスクな夜。こうして, ばたり,と倒れた”時代の夜”は過ぎ去ってゆく。こうやって,芥川氏を更に, 殊更に,東照宮家康=芥川氏=源頼朝の,あの女神のようなアマテラスの耀き にも,以て似て非ならず,源氏と平氏の,芥川氏=太宰治=堀辰雄さんの, このロマネスクな三角関係に想いを馳せる。点滅する平氏ボタル,明滅の源氏。
馬鹿にして,モノの調子よく語っているような。不謹慎な格好で,また,そう。
弔いの終わったのだ。事は済んだのだ。こう言っては,ジョイスの名文を朗読された,
ムービー・ローディングな音楽を,この不思議な,なんて不思議な夜のひと時に
聞いている。もう,済んだのだ。

ジョイスの気長に追及めいた探究を繰り返してゆこうと,もう活字離れして,この 実吉捷郎・訳のトーマス・マンしか読まなかった昨今,ただ,名訳との出逢い,これを しか,求めなくなっている。こうやって,活字における,人生の秋のような気分は過ぎ, 活字はヒグラシを鳴らし,ダブリンなアイリッシュな響きをして,もっと耀け,と。
信長KINGと,ジョイス・ガーディアンの響きに,しかしながら,活字の秋は過ぎ, もうすぐ,高天原の世界は,冬に嵌り込もうとしている。セガンティーニの冬,また。 やかまし村の,ムーミン谷の,ごたごた荘の冬。信長の力持ちも,ジョイスの弁舌豊かな 発想も,ピッピには適わないし,屋根板いちまい瓦を使わないムーミン谷にだって,彼の 技術は持ちこたえない,子供たちの愉快な騒ぎ立てる声も,老成された聖者には,もう, 適わないものだろう。
秋が済ん…

クリスタル・トレース。

広島より還って来て,私自身のガーディアン・スピリットの, 裏返って,トンネルの出口に雨が降っている,そんな中で, 追悼,決意の切実な顕れ。裏返って,出口に雨が降っている。 意地だ,意気地だ。哀しみは,裏返って,切実さに,そうして。 富岳百景に放屁なさる井伏鱒二先生の,真になさったのか,或は。 今,まさに議論されるべきかは,そうやって,真になさったのか。 いかにして,車で,山道で,夜道で,冷房の中で,水分を必要に。 いかに,手を合わせたのか,そうして,”それ”を願ったのか?或いは。 ”それ”とは,ここまで夜道山道を過ぎては還ってゆく,私自身の ガーディアン・スピリットの,裏返って,トンネルの出口に雨が 降っている,そんな中で,追悼,決意の切実な顕れ。裏返って, 出口に雨が降っている。”それ”は,出口の雨。還っては,また
クリスタル・トレース。クリスタルのツボ押しを右手に把んで, 宇宙船に乗っかっては,真理の議論。宇宙船は遊園地と化して, そうして”神”に合う。目を開ければ,こんな観想感慨より目覚めて。 なんだか脱力感と共に,開花した古木のチラチラ,舞い散るまでの そんな観想感慨のチェロの無伴奏をレンタル落ちより発注しては。 そうして,オニキスのバングルなどをまた発注しては,おののく。 なんだか脱力感と共に,開花した古木のチラチラ,舞い散るまでの そんな観想感慨のチェロの無伴奏をレンタル落ちより発注しては。 そうして,オニキスのバングルなどをまた発注しては,おののく。 パワーストーンの,或いは”神”の存在に関して,まったく脱力した。 平和観想,安寧Nirvana,安堵平安の裡に住して,関与しない。だから, ”それ”は,情熱であり,刺戟であり,理由であり,キッカケである。 これを,願う事。だから,トレースしては,なくなる脱力を求めて。
広島より還って来て,私自身のガーディアン・スピリットの, 裏返って,トンネルの出口に雨が降っている,そんな中で, 追悼,決意の切実な顕れ。裏返って,出口に雨が降っている。 意地だ,意気地だ。哀しみは,裏返って,切実さに,そうして。 富岳百景に放屁なさる井伏鱒二先生の,真になさったのか,或は。 今,まさに議論されるべきかは,そうやって,真になさったのか。 いかにして,車で,山道で,夜道で,冷房の中で,水分を必要に。 いかに,手を合わせたの…

出口,雨。

事実(詩実?)を列挙だけする整然さも必要ないことのように, 織田信長は,平清盛と,また,西郷隆盛と,堀辰雄氏と。 今川義元公は,また源九郎義経を,坂本龍馬に太宰先生と。 千利休は,安徳天皇と,そうして乾退助と,立原道造君と。 前者は,広島の宮島にイチキシマヒメとして,アメノウズメとも。 中者は,三輪山にトビナガスネヒコとして,大国主ともして, 後者はまた,アメノウズメの夫としての春日大神,猿田彦。そう, その三者を以て,和として,事をなきように。こんな,わからずな 妄想を掲げては,祈る。
真名井の泉の湧水を汲んできて,台風の目前を,通り過ぎては一滴を。 残らず,また氷にしては氷水にして注いで夜の喉を潤す。拝啓,織田さま。 かようにしてはめっそうもなきことのようにおもわれますがゆえの口には したくなきことのゆえ,真名井の泉の湧水を汲んできて,台風の目前を, 通り過ぎては一滴を。残らず,また氷にしては氷水にして注いで夜の喉を潤す。 拝啓,織田さま。いのりはかようにして強引に結託して執り行われます横を, すすりなく泉のようにして注がれるかようなかよわきもの。もうすぐ,何が? 何が,たとえもなく頼りがい在り。そうして,購買に能うモノかは,いますぐ。 理解しようにも理解されざる音の調べと,リズム&ビートのパッション・ミューズ。 真名井の泉の湧水を汲んできて,台風の目前を,通り過ぎては一滴を。 残らず,また氷にしては氷水にして注いで夜の喉を潤す。拝啓,織田さま。 あがなうべきものがありましたらのことですが,夜更け前には荒れだす,まほろば。 文化は水源にして,業の在処も蓄電池。さようのこと,存じておりますゆえ。
事実(詩実?)を列挙だけする整然さも必要ないことのように,
織田信長は,平清盛と,また,西郷隆盛と,堀辰雄氏と。
今川義元公は,また源九郎義経を,坂本龍馬に太宰先生と。
千利休は,安徳天皇と,そうして乾退助と,立原道造君と。
前者は,広島の宮島にイチキシマヒメとして,アメノウズメとも。
中者は,三輪山にトビナガスネヒコとして,大国主ともして,
後者はまた,アメノウズメの夫としての春日大神,猿田彦。そう,
その三者を以て,和として,事をなきように。こんな,わからずな
妄想を掲げては,祈る。

ひとっつ注目したく想うのに,広島を鎮護するロマネスクの守護神の居るとして, そのロマネスク神に,サットヴァ・ディクシ…

浪漫情景チック。

ブーブーブーブー,エンジン音の鳴り響いて,もう。 眼を醒ますと,あれは,あれ,扇風ファンの音だったかの, 不可思議な余韻。なんだか,エンパス指向と言って,あの, 未来予測や,出逢う予感めいた,何らかのクリーニング作用を, 不可思議な余韻。そうゆうイヴェントの終わった後。ふ~っと ファンの音で目覚める,不可思議な余韻。聖母マリアの転生譚を, ブッダ=プラトン=マリア=セネカ=アウグスティヌス, ジャンヌ・ダルク=アッシジのフランチェスコ=エリザベス一世, ブレーズ・パスカル=ヘルマン・ヘッセの裡にながめている。 そんな,書店を巡って,三島文学の憤怒の情より,ヘミングウェイ, それからヘッセの聖母像のほうまで伺っている,この浪漫情景チック。
確かに,一度の人生を繰り返す,同じものはなく一度のその人生は, 地獄だ。だから,転生譚などありえない。なんでこの浪漫情景チック。 恋愛像と親い,エンパス指向は恋愛に非常に親密で,聖母の妖婦性とは いかがわしいとは言われつつも,人間性とヒステリクスを結ぶ何らかの マジック=魔術性でもあるので,エンパス指向=恋愛の何らかの繋がりも。 融和性を慣性の丸球の転がってゆく,摩擦のゼロ地点まで行ってしまう。 感謝と恋愛の似ていると言ってもいい,この融和性だけれども,結ぶ何らかの ヒステリクスより人間性に訪れてゆくヒューマニズムの黎明は,基本的なその エンパス指向の融和性を,ヒューマニズムの視点から,分析解除してゆくのだ。 聖母の妖婦性とは,そこから産まれた発想であって,必死にヒステリクスを 人間性に結んでゆく,祈りの外の何でもないのだ。
ヘッセの転換期にみられる,魔術性,そんなものが吹聴されているのだから,
その発想を何処からイメージしているか,妖婦性,いいや,これは祈りだ。
ヒステリクスの源流まで溯ってみようと枯れた泉を掘削してみる。そうだ?
この,泉の発端は,ヒステリクスを産みだす,あの朝食の始まりの,叫び。
叫び,なのだ?昼間のスタートはヒステリクスの開始点。ベータ・ヒーリング。
この,日常,普遍,公共性。この冷静さは至って普段のヒステリクスの源流で。
眠りの追及に目覚めて,あの夜に黎明を感じる,夜明け前のいちばんの暗さを,
これが,真実,じつにリアルなヒューマニズムの発端であるような,そんな気が,
昼の冥さに,夜のほの明るさを計って…

漬物をかじる。

薄青いシャツを着て,漬物をかじる。すぐに,シワの
多い,”シワくちゃだ!”と言われて,洗濯モノの間に,
湿気挟みで,アイロンの代わりになるからと,一枚干し。
味噌ラーメンを啜っては,ウーロン茶を温めて,一服。
コンプレックスとは飽和すると”生きる力”になる,放念し。
”生きる力?世界を一瞬で変えられるとして,何故変化?”
業の泉に浸るその理由は,生命力が,すべての書物の源。
放念して,出来た,”生きる力”のきっかけは,前世ゲームの
書物の渉猟。その文化は,そのまま生命力で,疑念なしに,
何処か見詰めてる?そう。その,生命力の,世界エーテルの
地球を覆う生命力の想像力の鑑のように見える,一枚岩の,
弘法大師?この説話は何処か似ている。業の泉に浸っている
ように,高野山に納まった空海の貴魂にして言えば,Purity
2人の間に貴いConversationのあったとすれば,その会話は,
俗塵=業の泉と独白=瞑目の間にある,精神体の交際体験。

本当に,海の中に浸かって,水平線を眺めてきた。暑かったけど, 火照る黒々とした,鼻の頭を見守ってゆく,懐かしいのは,何故。 柔和にフザけてこないと,言葉にならない。真面目でやさしい,の 解るけれど。なので,言葉にならないことにより,精神病理や,或は コンプレックスを人に問合せて,解決しない問題を我が物にするとや? ふいと,そうした折りに,怒りだ?怒りだ,そう。怒りの涌いてくる。 そうゆうのは,反骨心や,突進力や,破裂する想い,そうゆうのの中に。 怒りの僧正の中に怒りの相貌や,お怒りのみほとけのあるかは,わからぬ わからぬが,しかしながら。この鑑の弘法大師は,常に九郎義経や,そうして, 神々ならぬ,石切に犠牲を孕んで目的は,達成されないまでも”怒りに換る。” 鑑の怒り,そう,そうなのだ。破裂した印象の真実をこのフトコロに孕んで。 Heart Break,ここから始めて,Hard Bread,そうして,Herb Blood,この 精神性を,心に秘めて,直むきに,河川敷への下り坂おりてゆこう。
怒りの具体性。巌をこころに秘めている。Huge Rock,バイアスは非常に。 心に秘めた,コンプレックスに巌=Huge Rockを嵌め込んで,こうして今も, 両脚を伸ばし,熱気を外気に放り出しているのだけど,こういったままの, シャボン玉の出来そう…

パラソルの日翳で。

空気を読み過ぎないことも大事だけれど,”共感”することの,
そんな,”場合”を読む瞬間の優しさを感じたりもする。けれど,
極力,約束事と夢,社会性と自由,他人の為を想う事とワガママの
このPublicとPrivateの対比は,常に55%と45%くらいの,とても。
半分をちょっと過ぎた位,Publicのほうが”善い”。はず。


お土産物屋さんに,ゴリラの何とか,とゆう豆菓子の売っている。
あんな,豆菓子みたいに生きてみたい。丁度,半分こ位,こんな。
バランス採りの,天秤みたく,ジャッジしない。何処か遺伝子に,
組み込まれている。


多分,右耳のしこりの様な,ヒステリクスの原因であるImplantの
これが取られてしまえば,右半身の,直感的な自閉傾向も除いて,
”普通の男の子”に戻るのだろう。ナルシストで,”かわいい”よりも
カッコいい。そうして,塞がりようもなく”かわいい”よりもカッコいい。
こんな”普通の男の子”に戻るのだろう。子離れ=病ばなれのような,
親心のようにヒステリクスとゆう”病”(と言っては”愛しい”もの。)の
身体よりはなれてゆくパラソルの日翳で。

”病”がなくなれば何にもない。それは”善い”ことだ。Publicityなのだ。

パラソルの日翳で。暑いのだけれど熱くはない。灼けているのだけれど
焼けはしない。なので,こんな陰りに這入って想うPublicityとは,その
”隠者の夕暮れ”,教育者のPioneerで,フロンティアは焼けない日翳。
離してしまえば,就いてくる。記憶のなかで,思い出のうちに,また。

百合の香おって陰りには,右肩の痛みも取られてしまう。まだ,こんな。
”時間薬”とゆうのには,20年もそれは,待っていた”治る”とゆうより,
”普通”のPublicity=一般公開。何にも,”ない”ように見えるだろうけれども,
情熱よりも,もっと大事な冷静さを,こんな暑熱に,パラソルの日翳で。

空気読む,風船ガム。

『極力,空気を読まない事だ。”妄想”との区別は,そこ。』
こんな究極なメッセージみたいなものに取りつかれて,そうだ。
極力,読まない。とは,こうゆうものなのだな。”妄想”の始まる。

500円のジーンズを貰った。本当にオシャレな抜け具合の,本当に。 裾絞りで,ストレッチ素材だ。ワン・サイズ大きく,それがまた。また, ブカブカと,財布やスマホ,キーなどの両ポケットに入って,心地良い。 ついでにおんなじ色のデニム・シャツを,インナーにショッキング・ピンク。 Tシャツを挟んで,振り込みに行った。これまたショッキング・ピンクの, 長財布を持っていたので,なんだか西海岸のセレブみたいで記念スナップ。
振り込み先で,楽しんで車の乗り降りをしていると,なんだか視線が。丁度, 壮年期位のオジサンがジロジロ見ている(,気がした。)なので,エンパスの 考えやすい体質の僕は,あれれ,世代間。この,違いまで”意識”する共感って, 要るのだろうか?こんな,”妄想”を企てていた。それから,また別の想像する, あるいは”妄想”を,
想像=イマジネーション=クリエイト。この三者を結ぶところに,何故かしら。 崩壊=落し穴=崖っぷち,のような。なんだか,『そこが,面白いのだけど!』 そんな,悠長には言ってられないのである。三島文学=芥川氏=アマテラス側。 こんな強烈なパッションを感じるのである。文学者は常に妄想側に立っている。 誰にしたって,イマジネーションのなければ書けないだろう。
『極力,空気を読まない事だ。”妄想”との区別は,そこ。』
こんな究極なメッセージみたいなものに取りつかれて,そうだ。
極力,読まない。とは,こうゆうものなのだな。”妄想”の始まる。

クリエイト=天津神,決して,語弊のあるようだけれど,悪者扱いしている, つもりは,決して。『そこが,面白いのだけど!』そう,そうなのである。 ”妄想”なきところに,文学なし。文豪の神々はそう言うのである。なので, もうちょっと,考え直してみることにしよう。”震顫する生命エーテル。” なんて,昨日は全く対極の事を書いていて,さらに,ブレまくりのこんな, これを『妄想=夢想=幻想』態と言わずして,何といおうかな?なんて,この
『極力,空気を読まない事だ。”妄想”との区別は,そこ。』
こんな究極なメッセージみたいなものに取りつかれて,そうだ。
極力,読まない。とは,こうゆうものなのだな。”妄想”の始まる。

と…

震顫する生命エーテル。

EnergyAsWell,エネルギーの機能だけでは,言葉=ロゴスの 機能をうしなうのではないか,と心配されるけれど,たぶん。 生命エーテルとゆう,エネルギーの機能が”すべて”であって, 一般に,得度なるものも,それはエネルギーの機能に生きる, たぶんこうゆうことを指すのではないのか,言葉よりの乖離。
だから,EnergyAsWell,やんわりとはゆうけれども,たぶん。 境域を超えることは,もうできない。エネルギーの境域を抜け, ”知性”に到る道はない,すべて生命にあって,そこに起源を, 超えるべき声明の先達のあるとすれば,エネルギーを携えてこそ, 境域を超えよ!
だから,なーんでもない,生命エーテル=エネルギーの内部で。 ただ,呼吸し,エネルギーの吸収,呼気,吸気,こうして言葉の 壁を超えてゆく。別に,言葉をうしなうわけではない。たぶん。 呼吸するように,エネルギーを吸収しようとどんどん,やっきに なっては,きっと全体性に目覚めるのだろう。

全体性,特にフィルターを持っていたわけではなかったけれど, 絶対に,エネルギーの世界より,”知性”の境域を超えない。この 心がけ,得度するとは,生命エネルギーに生きる。とゆう,あるは 決意なのではないでしょうか?
とにかく,頭の鎧みたいな,ずばり,”考える”ことより。そのような 呼吸する,エーテル体験?のようなものを重要に思う節,もっての, これから,夏の熟してくるような,円熟の夏。思考は爛熟して,こんな エーテル体験へと導かれるのでしょう,だから,むしろ, 『”知性”の境域を超えて,”エーテル体験”ならぬ,生命エネルギーに。』 逆方向に,感情も一緒くたに併呑する,あっての,あの,併呑する。
『これは,丁度,胃腸組織で”考える”ような,至福の安堵感なのだ』と。 そう,気づいた。

固執する夕暮珈琲,

ヘミングウェイとロシアの詩聖・ツルゲーネフ。こんな
パパ・ヘミングウェイと,ロマネスク固執する夕暮珈琲。

第一には,漱石山人の器・物質体。第二には,太宰治の
生命エーテル。第三に,芥川氏の感情宇宙感受性。その,
第四に,自我の三島文学を置いて,第五ミカエル天使長に
ロダン=F・ラブレーの未来志向を据えてはいたものの,

固執する夕暮れ珈琲。こんな,嗅覚にまで発達するような 転生譚,それは,肉々しい存在感。ヘミングウェイ=ツルゲーネフ。 ヘミングウェイはハードボイルドと称されるも,ツルゲーネフの 気品は至ってロマネスク指向である,概してハードボイルドは ロマネスクより遣って来て,そうして,またハードボイルドは, ロマネスクに還ってゆく。この,ハードボイルドを通過した後の
夕暮珈琲に固執する,老人と海の感想文は何処に行ってしまったのか あの時,読めていて良かった,くだんの夏休みは,果たして,何年の 時期にか不可思議な抒情を感じていたものだった。老人と海,なので, 最初に佳作を読んでいて良かった,言うまでもなく,ハードボイルドの 佳作を。
ヘミングウェイとロシアの詩聖・ツルゲーネフ。こんな
パパ・ヘミングウェイと,ロマネスク固執する夕暮珈琲。

どんなにか共感できる転生譚を見付けられれば楽しいか,そんな 事の執着のために,前世ゲーム=書物の渉猟を繰り返してきた。 けれども,ある肉感を伴って就いてくるこの肉感的戦利品にしては, もう,追及しようにも,届かないリアリティで転生譚は迫ってくる。 なので,楽しみにも,彼らの書物渉猟は控えたい。何故かしら, 責め苦を負って,産まれてくる気品のあるとしたら,面白い。そんな その程度の関心と興味。この慎ましやかな感心を以て,もうすこし, 杉の香を嗅いでいたい。夕暮珈琲。昨日の茜色は東雲色になるまで,ホントに 美しかった。眠りのまどろみの裡に見付けた東雲色。夕暮は繰り返す。 また,朝の遣って来るまで。
第一には,漱石山人の器・物質体。第二には,太宰治の
生命エーテル。第三に,芥川氏の感情宇宙感受性。その,
第四に,自我の三島文学を置いて,第五ミカエル天使長に
ロダン=F・ラブレーの未来志向を据えてはいたものの,

あの,散文詩を遺したツルゲーネフは,ロマネスコのようなギザギザの 白い狼=White Wolfであって,パパ・ヘミングウェイに達するまで, その老獪な精神的支柱を失わなかった,もちろんプロコフィエフや…

執筆作道今昔,

”前世ゲーム=書物の渉猟文化”を常日頃大事にしているのだけれど それは嗜好するロマネスク思考とでもゆうべき何かの抒情的な何か であって,少し醒めた感はあるにせよ,実際きょうの読書がなにに なるにせよ,その択ばれた心の読み物にとっては執筆作道今昔。なべて, ひたすらひとところにそれらは,浪漫抒情的な何か,となる。梅肉を, ひたすらに酵素造りをしてのこった梅肉をかじっては捨て,かじっては すこしホロ酔いしていたようだ。少し落ち着いては来たものの,その件の ”前世ゲーム=書物の渉猟文化”を,朝市に出掛けて,休日をたのしもう。
などと,言葉にして浮かべてみては,そんなに身体も動くものでもない, 都市的な生き方は,考え方でもって,本当に町屋意識で精緻なものの見方。 ”認識の限界まで励み挑もう。”そんな”ロマネスク”より少し離れた,その中を 追及しては探究して追い求めたさきに,やっぱり”普通の頑強な判断”だ。 夢のあるから,ロマネスクだ。ロマネスクの夢の先には,頑強な判断力なので
健全さは,残るだろう。都市的な生き方は,考え方でもって,
本当に町屋意識で精緻なものの見方。だから,いっそのこと定式で常識の,
その判断力の強さに浸ってしまおう。ホロ酔いしてから,そう想うのは,
ひたすらな冷泉浴にも怠けてしまったあの感性に,一言置いて”よかったね。”
呟いて投げかけてみては,”夢から醒めたのだ。”そう気づいて,やっぱり,

太宰は聖武天皇的な何かで,サルトルは聖ベネディクトだったりもして,だから そうして,そんな夢より醒めて一言,”つまらなくはないけれど,判断力。”って, あなごめしと,うな重の比較を頭に浮かべながら,批判はもうしない,しないけど 好き嫌いは必ずするだろう,そんな気概を感じては執筆作道今昔,意のままに 想いを連ねる,そんな不可解さのこもった狙いを狙い付けて,さあ遣って来いって 何を獲物にしようか迷っている。優柔不断な物書ハンター。あるいは,また。
”前世ゲーム=書物の渉猟文化”を常日頃大事にしているのだけれど それは嗜好するロマネスク思考とでもゆうべき何かの抒情的な何か であって,少し醒めた感はあるにせよ,実際きょうの読書がなにに なるにせよ,その択ばれた心の読み物にとっては執筆作道今昔。なべて, ひたすらひとところにそれらは,浪漫抒情的な何か,となる。梅肉を, ひたすらに酵素造りをしてのこった梅肉をかじっては捨て,かじって…

鉄の胸板意識,

確かに,太宰のキーワード自体は,そもそもの発端としての ”前世ゲーム=書物の渉猟文化”にとって,最大の功をなし給い, 傷跡のあるがなしかの労によって不屈の狩猟闊歩を成し遂げた。 とは言いつつも,その太宰の傷跡の深さゆえの炯眼を目前に, 昨今,京都のSYMPHONYを聴いて,杉の香をたのしむ始末,その 発端には”町屋意識よりの創造を目指して,定式=常識”などの, キーフレーズをものにして,鉄の胸板意識,怒っている訳ではない, そうなのだけれど,I am KING. などのフレーズと相伴って,それは ただ響いてくるのだ。クリスマスの夜にチラチラ降って来る,その晩。 傷跡のクリスマスと,水風呂の杉の香。ロマネスクは一端に瓦解して, 傷跡も閉じ,水風呂も抜いて,久しく暑かった夜明けの心地いい。
瞑目しては,午前五時の鳥の戯れ楽しそうで。蝉の鳴き声はるか, 果てなくは,たくましくあって。風がそよいで,ロマネスクとは 別の次元に。あの,I am KING. の心地。一般人間の鉄の胸板に, 取っては替わる,もうすぐ背中の大穴も塞ぎそうなのだ。一晩にして, ロマネスクは崩壊してしまった。ツユの様,モヤの様。あの季節感, 季節感グリッドと呼ばれた,零細な非常に美しくあった感性の,見事に 閉じてしまったのではないのか?これも,忘却して,世界の変わる, この季節と同じような,零細な幸せの薄明である。一度ロマネスクの感性, 例えば,慣性的に傾いて降りて行く体力の衰えのような,虚弱であった僕の 閃いては合板のように堅い何かの強い鈍感さを,なびいては消え,傾いては 向かってゆく傾斜具合に諭されて得た何らかの強い感性を目の前に据えては, 鉄の胸板意識。虚弱体質とは,何らかの栄養失調より始まるものか,とさえ 感じつつ,食べているから元気なのか?あの,お赤飯の小豆の,やっぱり, この虚弱に効いたのかさえ本当に想う。
確かに,太宰の感性は,非常な洞察を僕にくれて,その傷跡の深さに酩酊し,
放心し陶酔しながらも,この,季節感グリッド・ロマネスクの過ぎ去った今。
物質系なのか,鉱物質なのか,むしろ霊化して鉱物化してしまったかの如く,
黎明に,はてしなく堅くなっていった私の感性。こうしよう,ああしよう。その,
意志の関連ではなかったのだ,意志する事の鉱石=石ismとつながる由縁は,
きっと,硬化した自分…

概説既視感試論,

腸活=胃腸の元気なひとほど,オーラの小さい気がして,
いつも忘我している必要はないけれど,健康とは何か?
そうして無私の態度で人の空気に融けこめるひとほど,
オーラの薄い気のして,精神的な健全さとは何か?って,
お調子者とか田舎地味て,とか健康・健全の裡にあって,
常にそれは,いつも忘我している必要はないけれど。あの,
忘我している位のほうが色気や,落ち着きや,逆に自己の強さ,
あの”哲学者たる芳香”をにおわせるもので,いつも忘我している
必要はないけれど。

また,逆にも言って,いつも無菌状態でいれば良いとゆうものでも, そんなものでもないのだろうけれど,女性のあるいはフェミニズムに, 別れをすすめる場合のパートナーシップにおける大事な所は,こうした 無菌状態の中に,ぴったし,と合う天然菌・常在菌の在り処を,互いに 認め合うかどうかの是非なのだ。無我恬淡・忘我告白。至って,放心薄弱, 想いは高まって,その在り処は想念清濁,濁流の中にあって清玉を把む, 立派な人物となろう。こういった理想のなかにあって,理想とはやっぱり 無菌状態の中に,ぴったし,と合う天然菌・常在菌の在り処を,互いに 認め合うかどうかの相互比較なのだ。
例えば,概説既視感試論,こういった,ドライヴのさなかに感じる酵素生活。
暮しは,暮らしのなかに成り立って,約束事vs.夢のあいだにさまよって,
夢をみるドライヴの時間,そうして無私の態度で人の空気に融けこめるひとほど,
オーラの薄い気のして,精神的な健全さとは何か?って,他人の感情をひとまず
差し置いてしか,ものを考えられない,この酵素は自分の酵素で合っている?
自らの常在菌のあれば,それひとっつで世界を分解できる,こうゆうのは,
本当に夢の拡がって,例えば,概説既視感試論,獣の気配を感じて網戸越しの
けれども彼らは約束事のなかに生きていない。夢の裡に揺蕩って,いまもこうして
外から僕たちを,不可思議な酵素生活として怪訝に見詰めてる。例えば,もうすぐ,
概説既視感試論,

あなたと逢ったことのある,こんな妄想は,自分の常在菌の近い証拠で,普段は あまり知られることのない天然菌の醸造機関まで一瞬で伝わってしまう。そうゆう 既視感のあるとすれば,それが天然菌・常在菌の=お調子者で約束事の怪訝に見詰め, 不可思議な酵素生活をしているにしても,例えば,概説既視…

170723.7:36am

何かの誕生であるのと同時に,心は言葉にならぬ叫びを, つまりは,地球の酵素的生活を繰り返す感性には,響く。 地球粒子のすべてを吸い込んで愉しんでいたい,と余裕の ある時などは,ただ冷静に温和な表情をもて答えている。 この季節を超えたら,どんな落葉広葉樹の姿は待っている? 170723.7:36。十年も近く以前,まどろみの中で,あの時は 確実に脳障害を罹ってわずらってはいたであろうあの時の, まどろみの中のメッセージを,170723.7:36。この時になって, ようやく気付く,『境域の守護者』やらの,ドニー・ダーコの 兎の神のようなシアターで,”あなたは,この時,逝く”ような。
あの,メッセージを僕はドニー・ダーコの兎の神のようなシアターで, 『いや,いや。生き返ればいいんでしょう。』とっても明るく返した。 そうして,170723.7:36am。岸田繁氏のシンフォニー第一番初演を NotePCで聴きながら,この源動的生命力は,いつも取り得で,これだけの 楽観性は,”ピザを食べて,にーッ”と嗤う僕の遊興性,愉しみに歌う。 灌漑=感慨に似て,ダムの放水現象のような,あの自然に虹もほほえむ。 何かが終わって何かの始まる。よく聴くこの言説,僕にもようやく降って来た。 よかった,ちょっと午睡でもして,一度からっぽに放心したい。飴=雨は, また降ってくるだろう。
こんな映画評論の世界を移したような語り口調には何とも得体の知れぬ変な 感じを受け取られるかもしれない。 けれども,ドニー・ダーコは,飛行機のジェットの墜落した自家のシーンから 始まり,最後の時のさかのぼりまで。僕は,さかのぼって,逝くより,返った。 この,黄泉返りのダブル・ミーニングに掛け合えては,放心しよう,からっぽに なるまで。夕立の時までには,心の様子も落ち着いているだろう。 何とゆうデジャ・ビュ既視感=夢の語り癖,戻っては遣って来て,落ち着いては また戻ってゆく,フロランタンを,ピーナツ・クリームとラテで頂くような。 170723.7:36。まだまだ,何だか落ち着かない。かと言って理由もわからない。 既視感より言えるとして,それは逝ってしまうより,生き返った黄泉がえり。

”常識=定式”とは。

地球全体を認識するのには,人間の脳髄身体ひとっつでは, あまりに,重すぎる。だから,酵素的生活で”世界を分解して,” のちのちのデジタル定式に向けて,準備しているのだ,その重み。
その重み自体に,対応できる,”常識=定式”の,また”不定=一定” の,結びつく所に向けては,駆けて行く,定式とは脳の軽さ。
空調の中でこそ,熱中症の危険を感じることはある,電磁線の極み 際立って,熱さを感じる空調の中でこそ,そうゆう風にして,脳の 地球の,全酵素的世界の中で,重さを体感する一致するのは不一致。
熱源の元?何だろう,そんな危険思想を以て,対峙する,軒下の雨の 詰まり出口を必要としている,お風呂がまに溜った水風呂の後の, あの灌漑を必要とする,水風呂の感慨深き浄化作用のクリーニング後。
彼は,暑さを回避して軽くなった,軽くなった後の”酵素的生活”は, そんなにも,回避して居なくなった者に対しては,想像も付かない, 何らかの否定形を,否定形でありながら,存在の呵責を物ともしない,
あの回避して居なくなった者には,想像も付かない,骨壺の重み。あの 壺中天,とゆう僕は今,骨壺の中で,すでに既存のデジタル・ドリームを, 夢みているのだ。彼は,風葬に如かず,カーテン・コールの舞台裏で, このすでに既存のデジタル・ドリームを,夢みているのだ。夢から醒める?
そんな可能性は持っていない。世界の原理?そんなものには興味はない。 埋まっている壺の中には僕がいる,ただそれだけの,この清浄さにも。 あるいは,恬淡と不可思議さにも身を委ねられない。こんな不屈な作用,
幸不幸の定義でもない,あれは多分,身を失ってゆくデジタルイズムの,だから 幸せは,不幸の裏より遣って来る,もうすこし,身を翻して,やってごらん? この一本綱渡りはチーズケーキを食べながら遣ってゆくもの,壺の裡より,
自分を眺める,この僕は”離見の見”?大正琴?あの音色の発信元の,尋ねる, 夢のうちより遣って来た,世界は変わるのならば,そんな世界=僕の在り方は, きっと,軽くなる宇宙の軽くなる,そんな姿の溶融点の相似点。有り様に,
イチョウの葉の黄色を,樹の倒れる音になぞらえて,もうすぐ,勝手の気ままに 僕の心柱の倒れるのだ。

意識の透徹した人。

意識の透徹した人のいるとすれば,芥川氏だ。また, アマテラスさんのそうゆう,瑞穂の稲の香りにも似て, もみ殻は三島文学,玄米にしたって太宰の犠牲。また, 胚芽の発芽すれば芥川氏のようで,精白すれば漱石山人,
未来志向に,清酒に傾ければ『ロダンの言葉』読む,その ”パンタグリュエルとガルガンチュア”のF・ラブレー。また, R.シュタイナーの読者としては, ロダン,ジヨット,ラブレー, スウェーデンボリ,ウェルキンゲトリクスのアーサーキングは, 月の精に寄りかかって,泉に腰を掛けている天使ミカエルのようで, 文学者の五段階を通り抜けて自分の書物の渉猟文化はどこに辿り着くか,
芥川氏の, EDUCATIONAL ASSIST(教育支援)=CLOUD PRINTING(画像通貨)の ALL GROUNDING RECORDING(全時代的洞察)に加えれば,個性を, その教育支援に対して,個性を発達させたいものとして,第四,第五の 三島文学や,パンタグリュエルのF・ラブレーに至る道程みちすがらの, 熱いブラック・コーヒーを淹れて呑んでいればそれで良いのかと,それは, フェア・トレードの謂れを考慮した全時代的洞察のあの視点を忘れずに。 全時代的とは全酵素的生活とも言えるのだ。そんな余裕のある時つぶやく。 ひたすら,写真を撮ってupしていれば,画像通貨は産まれるのかとは。いえ, やはり,楽しんでいるのが浮世絵通貨の刷る処の所以,よりどころとなる。 アストラル・トラベル。言われて,昨今。夢の嬉しさの一つ所,犠牲よりも 羽ばたけば,一様に意識の透徹した人。
ただし,執拗に,書物の渉猟を続ける,このしたすら感,会話の中に産まれ, さあ,話しを吹っかけてみよう,み続けるところから,聴きはじめる心。まだ 杉の樹の葉は落ちない,季節はいつごろかと問われればわからない,けれども, まだ落ちない,ミカエル大天使の言っていた,言っていたのかは定かでない, ”あの未来志向の,オーガニクス・ナチュラリティは,ヒステリーと人間性の一致。” 『情念を,花に換えては如何だろう,そうすれば,床の間も玄関先も綺麗になる,』 漱石山人の遺志を継いでは,芥川氏。
結局のところ,水風呂に浸る今の河童は僕。 どどーん,とひらめいた時,書物の渉猟文化は終わるのだ。だから,その轟きを待って いつも,本棚をさぐっている。むろん,心の視点を連ねる書棚の探訪。
もうすこし,
情念のあった方がい…

情と熱と天性栽培。

HystericsとHumanityは同一のもので, TemperatureとHumidityが,水で一致しているように, ヒステリーは,人間性と,”命の源動力”とゆうもので, 一致している。人間には,大地(水)のうちにあって, 熱=気温+湿度の境界線は厳密に引くことは出来ないのだから 「大地の”器”に漱石山人を貰い,三島文学の油粕を肥しにして,  芥川氏の水分を頂いて,太宰の種を淹れる。  この,世界エーテルの育て方に,秘密の鍵を世界エーテル。  一度しか水やりをせず,一度きりの肥しに添えて,一粒の種。  幸せの大地に”天性栽培”の,芽は噴いた。なので,どうしても  遊興に,町屋意識よりの創造を目指して,定式=常識。天女の  また,天馬のたてがみ,揺らしては世界エーテルを振り廻し。」 もうすぐ,夜明けだな。町屋意識まで辿り着けば,あとは”記憶”を 紐解くだけの挨拶回り。
”天性栽培”の叶って芽の噴いたのならば,それはイコールの,以て 世界エーテルとゆう境域をほどいて超えてしまえば,”記憶”の紐解き, 一膳に,自己クリーニングとゆう世界の紐解きに他ならない作業の, 宇宙大に拡がったマクロより,”記憶”像の挨拶回りとゆうミクロ性へ, 移転しては,移行して,移染される,身体の記憶。腺組織とはそうして, 熱中症などと深い関わりのある作用を持っているが,そうしてまた。あの, 腺組織の解除を成功して,試みにそんな事を言っている市井のESSAYは, あのお,腺組織の解除とは?と言われて,いやあ冷房の効いた部屋を, 氷枕をして,水のお風呂に入って,もう万全とゆう奴ですね。など, 口を揃えて,あれは冷やす目的の,ひやかしにすぎない。 なんて,そう言って。帰ってゆくのだ,月の国。そうですね。あのお, の次は必ず,疑問符だとおもっていたのだけれどもそれはそうとしても。 世界エーテルの解除,って言ってもよいのだった。それは,腺組織の, とゆう世界エーテルの解除。空調の自分の部屋に戻って,”記憶”の挨拶回り。 もう,口々に”よろしく。”と言って,回るので,良い加減に,世界の紐解き。
「遊興に,町屋意識よりの創造を目指して,定式=常識。天女の  また,天馬のたてがみ,揺らしては世界エーテルを振り廻し。」
俗っぽく言うつもりはないのだけれど,”記憶”の紐解きは,そんなに関心を 惹くなどと,…

熱する=時間扇。

熱するとゆうのは,果物が完熟に向かう,ボイルする 沸騰する湯沸かしに,時間は十倍速に進む。そうして, アンチエイジングとは,抗酸化とゆうの解る気のする。 だから,夏は,時間の進むのが全時間的に環境的に, ずっと早く廻っているのだ。何故?なぜ全時間的に, 環境は時計の針を早く進める,必然の速度増す。この, 夏の時間の速さに,もうどうしても驚愕を隠せない。その 時間全体の,地球全体の酸化=老化している。この感慨,
もう早くも,朝ごはんに白菜の漬物と白米。昼ごはんに, 茄子の塩漬けと白米ごはん。繰り返しては,あいだに夢想の アイス・オーレを氷カラ・カラ。たまには動物性蛋白も。 なんて感じながら,オーレに優柔不断のミルクを加えて。 せっせ,せっせ。どうしても,働きたい余裕のある時に。
その余裕のある感情は,あと一息。自分のクリーニングの 佳境なのだ。佳境。良い言葉は,時間の速度を早めるから, もうすぐ,15時のおやつの時には変わらずアイス・オーレと 氷カラ・カラ。鳴らしている自分を想っては,筆を速める。 スラスラ・スーラ。点描画は,スラスラ・スーラ。なんて,
この夏の時間速度に焦点を当てて。果ては,自らの胃腸は, 腸活の極致にあって,7年に一度の細胞入れ替えはこの速度の 中で、始まる。終わる,空調の管理は必須で,その下でも, 容易に氷は解ける,溶ける。熔けてゆく氷の見て実感。 やっぱり,氷みずならぬ,冷泉浴のうちに停まって,体も
熔けてゆく。暑さはごちそう。時間の進みはごちそう。そんな この夏の時間速度に焦点を当てて。スラスラ・スーラ。点描画は, スラスラ・スーラ。『地球会議』なるものに出掛けて,すぐに, 門前払いされるのは時間の進みは早いけれど,創作には遅い,
体の熔けない,アイス・オーレを氷カラ・カラ。繰り返しては, あいだに夢想の,繰り返してる自分のクリーニングの佳境。この 僕自身は身体を冷やして,冷泉浴でも,この夏の過ごし方でも 酸化や,熱する=時間扇にあらがって,まだ果実は堅いのですよ,
そうして,抗酸化を謳っては,
”ボイルする世の中を”
逆廻り時間扇の,左回し珈琲を淹れて,あらがっているのですよ。
茜色の空には もうすぐ,もうすこしのひとさじお砂糖を許して差し上げます。

作り置きアイスコーヒー

濃い目に淹れたアイスコーヒー,保存していてその, ホットが良いと,手鍋で温めたら,またこれが美味い その訳は,やっぱり”常識=定式”。質量保存は,業の 意味でも使われると,以前とある天使論の本で読み さながら,アイスコーヒーをゴボウチップスと落雁, 合わせて頂くかのように味わいながら,その意味は ”前世ゲーム=書物の渉猟”文化の表れだとして,その 趣味は,平凡なありきたりの所に隠れてる,そのまま 奇想天外を諭さずに,またこうして,平凡な中を届ける。 計算上は,そのまま冷やしておいた方が珈琲も美味い。 けれども温めて,何故だか美味いので,こうした趣味は, ”真実はどこにあるか”ではなくって,”真実の見つけた” あの,ロマネスクの趣好雰囲気にある。常に反芻して。
”常識=定式”。ここに意図があるとすれば,”意味=浪漫”。 ロマネスクの追及を基にして。意味は,反復する中枢の, ただ集中して,ロマネスクを追及するそんな所に,解決の ”真実の見つけた”。自他同然の趣好をめぐる,WOODY。 反復する中枢に,働きかける,VISIONは他人まかせでも。 中枢は,働き続ける,中枢の思考,集中する嗜好。また, どんな所でも,浪漫的集中力は有難いので,もっての外は アイスコーヒーの渋みに,何かを加える事なのだ。氷で良。 綺麗ごとエスプリに身を任せてグルメーに 舌鼓すれば,そのアイスコーヒーの渋みは遣って来ないので, もっての外は腸活に合わない脂肪分は摂ることのないようにするべし。 このグルメーの油身は,解消される”迷うのは,子羊”。のため。 本当に考えた,ひとめぐりしてかんがえた,奇をてらったもの 奇想天外な嗜好の中には,VISIONはあってもWOODYなしの だから,温めなおした作り置きアイスコーヒーの偶然性には, ひとめぐりした旨味の拡がっているのだろう。この期待感。
アナトール・フランスのエスプリに迷ったことがあった。本当に 彷徨った。犬猿の仲のあるとすれば,ドイッチュ・シュタイナーと フランス・フランソワは,犬と猿,山と海のようなものなのだ。 簡単に考えていた,食あたりしないと思っていたのだけれども, 食べ方を間違えないように読んでいても,食傷気味である。正直に 犬=山と,猿=海のどちらも食あたりしてしまう。この感じ,なので あたらないようにグルメーのフランスを読み,無添加のように…

知性偏重の時,

太宰龍馬のオーナーシェフをしている,シェ・DAZAIは,
東照宮芥川氏がギャルソンをして,太閤漱石山人が内装を,
手がけた壮大なフェスティバルを思わせる素敵処である。
ギャルソンは菓子パンを包み,シェフの刻んだパン種で,
太閤の店構えにブーランジェリーを営む,パン屋さんでもある
だから,知性偏重の時,意味はやがて,音韻を失うだろうけど
そんな中で,やはり歴史を創世してゆく『意味の知性』。その
創世する『未来はやがて音韻を取り戻し。意味の知性は進展し。
崑崙の融通。見事に世界は,一粒の麦を開花させる。未来は。』

腸活の進んでチャクラ・ワークにまですすんでゆく。未来は,
ランチに山麓のリゾートで食事する,そんな優雅な森の匂い。また,
何処かで逢おう。これは,山麓に拡がる水脈の龍神さんの声で。
この,けっして食べる順番を間違えない,食べる順番さえ合って
いれば,腸活を間違えることは,ない。ここからチャクラ・ワーク
の始まりは黎明となって始まって,ガードの取れた精神からは,また
水脈となって龍神さんの所々に拡がる,身体自身の水源となる。

太宰龍馬のオーナーシェフをしている,シェ・DAZAIは,
東照宮芥川氏がギャルソンをして,太閤漱石山人が内装を,
手がけた壮大なフェスティバルを思わせる素敵処である。
ギャルソンは菓子パンを包み,シェフの刻んだパン種で,
太閤の店構えにブーランジェリーを営む,パン屋さんでもある
だから,知性偏重の時,意味はやがて,音韻を失うだろうけど
そんな中で,やはり歴史を創世してゆく『意味の知性』。その
創世する『未来はやがて音韻を取り戻し。意味の知性は進展し。
崑崙の融通。見事に世界は,一粒の麦を開花させる。未来は。』

だから,マウスを光学にして,さらにワイヤレスになってからは
本当にマウスはハツカネズミのように,活きいきと,恬淡として
活躍している。これは,キーボードもワイヤレスで,クジラ雲。
クジラ雲にハツカネズミの載っている。
こうして,叩き打つタップ音からは,風力や水源のよって立つ,
あの生命感はPCより湧き出て,生命源である,知性偏重の時,
poorでもweakでも,stop All the Fight,の黎明である。

太宰龍馬のオーナーシェフをしている,シェ・DAZAIは,
東照宮芥川氏がギャルソンをして,太閤漱石山人が内装を,
手がけた壮大なフェスティバルを思わせる素敵処である。
ギャルソンは菓子パンを…

キュウリとズッキーニ。

携帯の着信音が鳴っているのかと思いきや,先ほどの おやすみ伝えて寝て行った奥さんのいびきだったことに, 驚いた。相当に安心もして,疲れていたんだろう。なんて, 夕食に,ズッキーニのソテーと,キュウリの漬け物を一緒に 食卓に並べてもらって,何だか,火を通してはズッキーニ, 生食ではキュウリとゆう,夏野菜のトップ・レートにはいる, この代表格のMr&Mrs瑞々しさなんてゆう共通項に,追憶し 驚いた。暑さの中に比類なく怜悧な追究心のある涼しさに, だんだんと涼しさを増してゆく涼しさに,探求し追及する,この 怜悧な追究心のある涼しさに,だんだんと涼しさを感じながら。
比類なき涼しさ,それは腸活や,冷泉浴に似ている。比類ない, こうゆう志向を身体に持ってくると,やっぱり食の秋の訪れまで 少し休んで,背中のおできを治すようなイメージで比類ない涼しさ, キュウリとズッキーニを食べて,ただ身体に正直に冷えていたい,が 冷えているとゆう実感を持てるのも,また暑熱の抱く有限さ。貴重な この融通の効く,遥かな地球の水平線。入道雲の湧き上がる,湧き上がる あの,盆踊りの雷鳴ならすよ,お母ちゃん。イザナミの夢を見ることがある, いっつも自然の味方,次いで彼女の味方をすることのできるのは,スサノオ。 だから,自らを漱石山人のスサノオ神話に駆り立ててゆく。彼女のイザナミ。 イナダとスサノオ,アマテラスとオオクニヌシ。果てはイザナミとイザナギ。 オロチ退治だって,『オロチのようなのが女神だ』って,なりふり構わず言う。 だって,それはただしいことだから,オロチのような女神は愛すべき彼女。 オロチ退治に駆り出される酒造りのアーティスト達は,本当は求めている。 私達には無い,うぶすなの祠を。と,まあこんな嗜好を連れづれに考える,また いびきは続いている。本当に,感謝だ。そうして,僕は,冷泉浴励行。
オーガニックとゆう指向は,ルーツを求め,根をもとめ,シモーヌ・ヴェーユの また,ジョン・レノンの,そうして,マクルーハンのようなデジタル指向を産む。 そこに行っては,ゆけない。ブレイクもまたデジタルに叫び,ヴラマンクもそれで 描けなくなった。アーティストの産みだす,オーガニックとはフェミニズムを叫ぶ, スピリチュアリティ=植物性=男性主事の,アーティスト酒造りに違いないから, より叫ぶのだ。『解体してゆく文学には,絵画とWebを一体化させよ。もちろんの 事,文学にしか…

Ding-Dong鳴そう,

遊興次元に,豆乳ラテ淹れてLONDON眺める。
修道異言に,梅肉あめ舐めて崑崙融通しとおす。
情熱は氾濫して,言葉を失くし,熱源には空しく,
一日をscheduleで俯瞰するのは詰まらないので,ただ。
遊興次元に,豆乳ラテ淹れてLONDON眺める。
修道異言に,梅肉あめ舐めて崑崙融通しとおす。梅肉の
渋味は,豆乳のmildな甘みに合わさると,夏のエッキス。
情熱だ,情熱だ。繰り返す,集中力熱源。ただLONDONの
写真を眺めて,繰り返す,集中力熱源。例えば,情熱は
ヤマタノオロチの酒造りを任されて有意義に行う道すがらの
思考を客観的に見届ける,自我の第三者的な姿。私は,外周を
計ってから,すこしずつ殻を破って孵化してゆく,外側からの
『孵化は外周より起る』。ただ啜っては置く陶器。

スイカを畑で,割った。収穫期の暑さの中では,常温の貯水源。
冷泉浴と銘打って,水風呂に入る。不思議と夕暮れの西日が一番辛い。
背中にできた腫れ物は,ズッキーニの大王さんを見つけた時の記憶。
身体中が震えるとする,ふるえたとして。戻ってくるのは,愉悦。
ただ,集中力なのだ。集中力熱源。LONDONの写真集みつめながら。
遊興次元に,豆乳ラテ淹れてLONDON眺める。
修道異言に,梅肉あめ舐めて崑崙融通しとおす。
身体が貫通した時,すべては始まる。終わっているのだから,開く。
ただ,集中力熱源なのだ。すーっと,透き通して。LONDON眺める。
遊興次元に,豆乳ラテ淹れてLONDON眺める。
修道異言に,梅肉あめ舐めて崑崙融通しとおす。
『孵化は外周より起る』。ただ啜っては置く陶器。

暑さの中に何かを学ぶ,それは貫通する身体。 集中力の熱源は貫通させる。 恐い夢を見たとする。無防備だから,怖い? 夜には怪談。昼には暑熱の,なので, だから,できれば,豆乳ラテを啜る時には考えてほしい。 とめどなく流れる,あの果汁や水源には, 私たちの記憶も含まれているから, だから,記憶を贈る。 送り出す記憶の最中には,良い記憶ばかりの籠められている。 だから,そんな。そんな記憶を,ギフトとして,”贈る”。 常に繰り出される,写真や時間の技術の中には, そんな世界のアートのなかには,もちろん。 ギフトとして,贈られる”記憶”の籠められている。

遊興次元に,豆乳ラテ淹れてLONDON眺める。
修道異言に,梅肉あめ舐めて崑崙融通しとおす。