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朗々と,柚子供養。

健康になる,その手前に,つい,と思う。
熊さんクッキーを,食べよう。太宰治は,
アフォリズムの連続のような小説も書いたし,
もともと,単一表現とゆうくらいなので,前もって
ストーリーテラーを目指していなかったのかもしれない。
『現代は,文学より,映画だな。そういっても,
真空状態のストーリー造りより,アフォリズムの映画も,
あってよいのかもしれず,それは,きっと写真だろう。』
など,朗々と,柚子供養。熊さんクッキーを食べるまで,
柚子風呂に浸かっていた。上がって,蜜柑も頂いた。
自然の神は,すごい。身を焦がしてまで,陽光に捧げ,
栄養果を実らせるのだもの,どうしたって,小麦の酵素は,
分解性の強い強烈な香ばしさを漂わせるけれど,自然は
コミュニケーションとして,ありのままを要するもので,
つまり,健康になる,その手前に,つい,と柚子供養。

業の泉,というテーマで,KARMA SPRING,カーマスプリング,
名付けてみたはよいものの,やっぱり,ありのままを,泉に
浸かる思いで書き綴ってゆく,こんな姿が,文筆らしい,あの
悟ったからと言って,市場に身を隠す正覚者の想いを,まだ
身の憶えさえもないのに,市場に身を隠したいとゆう,健康の
手前に,熊さんクッキーを食べる。波動干渉,何故だろう。

とにかくも,変な言い方でもあるけれど,”ある程度”,健康に
なってみて感じたのは,コミュニケーションは,ありのまま。
波動干渉するのは,つまり,それが”ありのまま”であるから。
パクパク,と口に運んで,あぁ,あと,チョコのが2つ,プレーンも
ふたっつ,合計四個,止まらない,3個。2個,今日は風の強い,
お掃除もしやすそうだ,余計なことは止まることを知らないのだから
ちょっとや,そっと,強風に押しとどめてもらいたいので,そんな
あと1つとなった熊さんクッキー,もたげる窓べりの樹々。あれか,

急に,こんな勢いで,食糧が尽きてしまう,本当に,もう。おやつ,
おやつも,欲しいのだけど,健康の手前に口上を述べる程度,別に
普段から健康でいるより”ありのまま”で,いいじゃない,って。
普段から,普段より,”ありのまま”のコミュニケーションを,
そうして,段々と日の明けてゆく朝方の空は,冬至の夜に連れて,
柚子や,蜜柑の,むらむらとした春の予感を”桜の森の満開の下”より,

もう,正月も,うどんを頂いて,クリスマスもケーキを頂いてから,
年越し蕎麦にしても,早めに頂いてしまってから,KARMA SPRING。
むらむらとした春の予感,蠢く春の化身,彼の訪れてやってきた,彼は
他力行のなか連れてきた,岩戸を抜け出た天照さんではないか,春は
見事に色づいて,夕焼けよりも綺麗です。

こちらは如何?

KARMA SPRINGとゆう、LONDON ONEの書類群。

腸がつまる、など。必然的な兆候を含む、現代のシンドロームには業の湯浴み、として。沢山の娯楽をエンターテイメントのように軽く、 楽しめるかとゆう、趣味の時間を1分2分。どうしようか? ほんとうに湯舟に浸かれる瞬間は、ご褒美だけれど、郵便物を 受け取るための深夜窓口も、寒くって伺う気にはならない。
疲れている?いいや、眠たいのはいちばんのご褒美で、またあの 思考を放棄する瞬間にこそ、曖昧で朦朧とした意識の、それは、 諦念する、問題も、なにもかもなくしてしまわれるのだから、 業の問題を考えるにしても、その問題をこそ、考える理由にこそ、 思考をなくしてしまえる瞬間に、解決されるとゆう、自己回帰。
スムーズに、ヨーグルトのプレーンを朝食に、必然的にも トーストの欲しくなるのは不可思議以上の不思議な事で、 思考し過ぎる事かあ、趣味と言えば趣味らしいモノだろうけれど 逆に、その時期を通りすぎれば、遺産として、KARMA SPRINGとゆう あの書類群の、ギフトだったのだな、ギフトだったのだ。 LONDON ONEとゆう、思考の山人による、最高の贈り物。
篤姫や、真田丸のあとには、足利学校のテーマなどみられる のでは、など、そんな、太陽悪魔や、オロチ伝説の、赤猪岩受難の、 岩戸伝説や、岩窟の聖母像と重ねて、ヒトの受難は、獣神化する道程を 経て、進む。確実な過程として、行程は、目的地の、アマテラスへ。 太陽の夜明けに繋がるのは、そんな、獣神の角と眼の筋の取られて ヒトよりも人らしい、そのグラウンドダウンしてゆく人間性の、 これは、地味に滋味栄養のある、豊富な、例えば、あの古い語の 富国強兵論なども、こうした、筋肉質な糖質制限や、あるいはまた 腸の詰まりは、富国強兵に、カルマ・クリーニングを一跳びして パクチーのコンソメスープなどを啜る朝に、やはりあの、 トーストを欲しくなる、都市街の朝食風景は、ループする。あんな ループする朝食を求めて、世界は廻り続けているとしたら、 このグラウンディング指向も、また、おんなじ様に、新年のお雑煮を、 頂けそうな、そんな年末のグツグツ、カマドは周るのである。

右側のチカラを抜いて、左肩をいきり上げる。

スーパーに出掛けるまでにも、右肩で考えて、そのトータルに見届ける事を優先していた。けれども、その優先度は右肩上がりには 決してならないものだった。トータルに全体主観によってみえる その眺望は限りなくミクロで、情報分析には役立つが、 現状認識には、あまり用をなさないのだ。 現実を見詰めるとは、想像によるものでなし、それは、 未来を無くし、その視点より時間を無くし、左肩上がりで、 あえて時間軸より、あるいはイマジネーションより、もっと 空間的に、リアリティは、期待も時間もない、悪びれたモノ。 スケジュールに関して、悪態をつくくらいの丁度いいのだ。 それは、左胸で考えること、そうして、論理的なリアリティは、 とっても毒づいて、リアリティに頑強に厳密な、 NO TIMEの様。
左胸で考える、それは腹で考える。すぐにはできなくとも、 とりあえず、両脚を伸ばして、アキレス腱を延ばす所より。 あぐらをかいて、息を吐いて、リズムを刻んで、背筋をのばす。 水出し風烏龍珈琲を呑みながら、右側のこめかみにかつては チカラを入れて考えていた、トータルな全体主観を、あえて クリスマスへの供え物にして捧げ、僕はいまもう、この 土の上に落ちた南天の実のように感じながら、土の酵素を身に 付けて、プーアール黒茶を啜るように、あんな感じで、むしろ サンタクロースのように1年の1度せかせか届けものに、 あくせくそれは、黒茶を発酵させる酵素は、毒づいて僕の 論理性リアリティとよく似ている。これは、烏龍珈琲のミラクルでも、 毒は薬にもなる、ホメオパシックな奇跡的酵素生成にも似て、 本当に、実際に効果的なモノとは、毒素を酵素に変質させる何か。