スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

僕の中の三重の太宰と、野草酵素を呑みながらみる三日月と

イザナミと、イザナギ。それらは、太宰と大谷崎。赤鬼青鬼と役行者。そうして、芥川氏と、三島文学の影に、いつも佇まう太宰のイロニー。 それは、ヒューマニズムといった姿でもあり、またの名をイス・キリ。 聖母マリアのヘッセに、聖ヨゼフのトーマス・マンの裏には必ず、 イスキリの太宰のいる、そんな三重苦にある恩寵の姿は、三輪明神なのか? 野草酵素を呑みながら、有機農家さんの教えで摘んだ春の酵素を、ちまちま した感じでしたためながら、新月の影までみえる、三日月に謝々と言う。 物語はあまりにストーリー化すると、写真にならなくなるのだし、例えば UFOをみたときなんて、物語とゆうより、あっけにとられてむしろの 平然としている自分のいるのは、そうゆう物なんだ、と然々然々。そう、 永続するデニム生地や、帆布などに魅力を感じて、綾織りらしいと 気付く夜辺には、藍染もそうだけれど、すこし脆い部分に強さを宿すのを そうやって、自然共生のうちに培ったメソッドのある。永続する、その 鎮静と、国境を超えるまでの足の痛みに身体の解体してゆく感じのあれは 静寂だろう。月の灯りに月の影までみえる夜更けに、今度の週末は、あの ヒューマニズムにより、もっと擦り切れた遊びを求めて、ドライブに専念。 どの道が好き?確かにそうだ。その土地の酵素を吸うとゆうのは、何よりも 永続するとゆうので良いのだった。とにかくも、静かな三日月に感謝して。
机の横には、取り寄せられたバナナの箱が、ワイルドに置かれて、 段々と深くなってゆく暗さのなかには、すこしの知恵と、ファンの廻るリズム あとは虫の音もそんな風の感じのお気に入りのようだった。すべて月のお陰で そうゆう、不可思議な恩寵に、このひと時を有意義にすごさせる静謐のさなか 狂気は半分、正気をまた残り半分持っているのだから、魅惑的であって、その 蠱惑するほどの、正気の侵食された姿に、怖ろしさよりも美しさを想い出す、 梅雨の間の静けさなのだった。アーティストは、そんな蠱惑する所を持って、 よき意思と、よきスタイル選択をすすめて、さらにカレースパイスの、あの 渾然一体と求むる所を、完遂する何とも酩酊とは狂気となかば友だちなのだ。 しずかな瞬間のつづくこの夜更けには、ひとことの意味をさがすのだろう。 意味、生活。暮らしの手段。なりわいのうちに、継続してた、時間の連続は こういった静けさのうちに姿を浮かばせて、それは僕にとっては本当の狂気 …
最近の投稿

敗退しては芽吹く麦の種は、それらが産み出すカオスなので。

精神構造をつくりだしてくれる、サディズムの黄昏やそのエクスカリバーの宝剣みたいな鋭さの訪れには それをやはり恩寵として受け取ろう。フィルタリングは 精神の待受には要らないのだった。ポエジーは善意の表れ、 けれど、サディズムの訪れに、もう詩性より抜け出して 乱文調には、むしろのつくりだす創作の継続性に、成長の 現れ方を見てとる、それの非常に大事なのだった。それは フィルタリングしない精神姿態の、あの自然体で充分な、 神性を宿していたのだ、と。構えないのと、力まないことに 神は宿る、以前にそこより爾来居たのだ、と気付く所存に、 フィルタリングしなければ、サディズムの黄昏ですよ。と、 わかっています、光る刃のように居ることが、この世間で。

霊能者、とか。シャーマニズムにおける虹の橋を渡って、 これが、精神姿態に待受を設けない、全体主観よりも、さらに すすんで、世間の一般に対して身に覚えのない所見まで辿り着いては けれども、詩性感情の情緒情感より入り込んでゆけば、 そこには朝方に、サディズムの訪れた思春期の黄昏には、きっと 真実の含まれていた。そう気付いて、もう遅い。十余年の巫病みたいな 時期をすぎて、やっと詩情を感じ取って満足いくような感覚には まだ、乱文調の創作意欲に黄昏への憧憬をくすぐる何かの酵素霊の 自然一帯のなかに含まれる、情景に根源性を深めるのなら、 それは酵素霊と名付けられもするクリエイティブとゆう前進する 車輪の轍をみるようにガラガラゴトゴト、水牛の曳くあの音色に 一度は興じてみたい。あの、牛の角に突かれてすすむ、如来の行進には ユーモアとペーソス、すべて含まれて悟る心地に諧謔とは、またの その名を哀切と言い、合わさったものをイロニーとゆう皮肉には、 結び付けられないものか、日輪の水没すれば赤く焼けるのは、それは 酵素霊の紅潮する、彼の意識には皮肉をみた所に、またあの 崩壊のなかに学びをみるといった、叡智の先触れを察知するのだから。

珈琲の生豆を発注しては、今朝の一服には間に合いそうもない、 そんな時にも、こうして感想をしたためる心地。フィルターの なくていいのだ、と思えるうちには、僕らは朝の酵素に浴して、 心のガードを抜かして、攻撃性も厚い盾も、または不安な準備に 気持ちの安らぎを守らなければ、といった必死なヒューマニズムの 囲いも、すべて廃して僕の酵素霊をさがしに、キッチンへと向かい ただ、朝方の口寂しさの一手を、豆乳…

すんなりと快く、イメージは秋の日の香りのように

湧水を汲んできて ひと安心する
焙煎するデカフェの珈琲豆のホッとする
炬燵をしまってしまっても まだ暖かいいつものように ウーロンドリップ珈琲豆乳を
汲んできた 湧水によって淹れる夜には
もう寒くもないので 一枚板のお爺ちゃんの机の
スースー通る 足元の風の心地よく生活を成り立たせるひとつひとっつの
優しさは そのまま豊かさ意識へと結び、
切なさより以上の 強い 安定へのステップを
ひと刻みずつ 記憶させる
豊かさとは 優しさのことなのだこうやって日記はポエジーを含んできて
大事なことは少しずつ練り上げなければ造られず
拘泥して 舞い上がるのにも飽きてようやく出来上がる
切なさは悲惨さの産む副作用のようなカサブタみたい
それはやはり必要なモノでもあるし
それでこそ クリエイトされる犠牲と朝焼けの意味とビスケットを摘まんで カステラを買って帰って
仮眠の前などは食べない方が 胃のもたれるのは必至
それでも 珈琲は欲しい すこし氷を足して一気にのむ眠気の晴れた辺り空腹の時間は快癒の知らせ
深く暗い海よりあがってきて吸い込む地上の空気は
新しく鮮やかに彩られた空模様の 天候だけでなく 空模様の
ビスケットはどこだろう? 摘まもうにもまだうつろクジラのようには食べ続けられないので
空模様には 雲のような あの大食いのかたちをして
希薄な体積をあらわしてるので 希薄とゆうか 息の切れる
そんな夢のなかでは呼吸をしながら潜水できるのだ
こうゆうふうにして 珈琲をのもう救いは喫茶で 自然採取の何らかの 足元を通る風の
スースーとしているイオン系の感触なので それから通る
感傷にひたって やっぱりここを通りすぎるのは 風とイオン
風とイオンは 趣味と思考 風とイオンは サイダーと飴のこと思考するとき 四股を踏む 眠る前には 歯磨きする趣味
雨のなかには佇まえず しかしながら家のなかの 雨のごとく
雨模様 雨模様 そうなのだ 傷の癒えるそんな頃合いには
心模様 空模様 雨模様 思考様々 趣味様々 飴様々
ビスケット カステラ デカフェ珈琲 歯磨きの前に珈琲のんで 雨のなか 歯磨きをする