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投稿

賢治のリンゴパイ,永訣の朝には烏龍珈琲を利く。

ラファエロの描く,ペテロの改心は,あれは知恵の実の一連の事象。 一度,写真でみた加藤清正の井戸なるものは,あれはリンゴの実だ。 そうして,達磨大師や円空上人の木食する,彼らも皆,リンゴの使徒。 だいぶ冷え込んでこの冬将軍に一瞥する何をかを言いたいとき,その 発言は,自らの魂を差し出してヒトのココロの隙に這入りこみ,情熱を 粗雑な想いよりもリンゴの赤に換えてゆくのは,あれは賢治のペトロの ようにみえる,いまはもう,リンゴポテトパイを焼いて,ウーロンドリップ によって,珈琲烏龍茶抽出を試みる,瓦解する身体,『脱落,脱落』と, 禅宗に答えられる,その精神は,リンゴの果汁の滲み出たときよりの彼ら リンゴポテトにウーロンドリップ,差し引いては,ようやく染み入るので, この知恵の実の一連の事象は,ようやくのこと,昇華されて消化され砕かれ, ヒトの身となり肉となりて,こうして,雪の朝にも,こちらは温かいので。 さては,『雪国』の朗読などを聴いてドライブをする心地,熟した甘柿と 烏龍珈琲を豆乳割りして頂く所存。また,人の世は起きていることほどの それを,昼間に覚醒してある状態に映しては,またこんな奇跡な事柄はない, 昼間の光りは,もうどうしようもないロマネスクだ。
冷えに関しては,足首を暖めておくことを,そうして,インナーウェアは, 裾にきちんと入れておくことを唯一の防寒手段として,あとは下取りにだす スマートフォンの行方を案じてすこし寂しく,きちんと身上整理をしてより 沢山の写真を撮り,様々な文章を連ねて,こうして趣味の高ずる,アートを 楽しめているのだから,これからも,機種の変って,防護ケースは講じては 計算して,傷まないようにこういった精密な相棒ウェアと付き合っていたい。 こうしてAIならぬ,精密機器のどういったところにたましいの宿るのか想像 するのに,そうだなあ,やっぱりプロフィールの部分は宿るべきところだろう と,その部分は,写真フォルダなどの,切り取られた画角の部分。影像の, また,翳の差すところには,暗転した世界の実像の描かれる,そこに誰かの魂。 寒さの染み入る部分とゆうのは,むしろ寒さとは関係のない,無味乾燥とした この冷えを誘発する実体の果たして何もない所のポイントであって,脂肪質の 状態や,動物性たんぱく質の摂り過ぎは無論の冷えに親いのではないか,影像は そ…
最近の投稿

存在するってのは様式美よりも,門戸のない野原。

自我の領域より飛翔したいとゆうのは,ちと違う。青空は二層にも 分れて,上は真空,地上は温暖に溢れているのだから,もっとあったかく 野性の酵素に満たされているくらいの力強いパワフルな悟性を,もっと。 訓戒は破るためにある,それは依存だったとの由。カビは,潔癖が産むとは 功利に走る感性の,腫れ物に換わってゆく様を想えば,まさに,土着の農業に ミラクルな意地の強さを頂いて,キレイな大理石にはわかるまい,あの祟りの ように,タケミカヅチにはもう解放の予兆。萩原朔太郎の詩性には,孤独の。 上杉謙信には辛口の酒。平敦盛の首塚には,近藤勇の肖像をポケットに歩いた。 猫町横丁を逍遥しながら,妻帯せずもののふの塩辛よ,供養する美青年への悔恨を 結局の優勢,無勢に関わらず,人を助くる所に助られる者なり。と,もう予兆は, 確かに,土着の酵素に適えられて,やはり,ネギの収穫を手伝ってきて良かった。 そこで,得も言われぬパワーを頂いたことは,潔癖症より打ち克つ何よりもの,あの 祟り神とは,本当に(神話は誰にでも当て嵌るように出来ているのだから)リアルの 神がいるとしたら,いいや,リアリティとゆう意味の唯一無二の,現実性のあるなら, それは,祟りの比喩にこそ存在している。嫌ってはいけない,正直であるのに対し。 少しの笑顔で,不思議だなあ,と。理解できない野性的趣味にも,世界の歴史上,まず 野性のあってこそ,存在するのは”白亜”の様態なのだ。この野獣のかんばせをこそ。
ミケランジェロや,漱石山人などが,彫刻を制作する折りには,あるいは大英博物館など 訪れたのちには,親くのお宿などで,石膏の石板などをテイスティングならぬ,毒見した のでは,とゆう白昼夢をみる。創造知性の探索,または西洋文化なる知見を目的として, その無味なフレイバーはきっと夢のなかでも秘密を,ある世界の歴史においての,秘密を あらわしているように感じる。僕には体感的に,それが潔癖症を治す,唯一ほどの手段に 感じるのだ,イマジネーションの上では,そういった,酵素質の話しは差し置いても,の 白磁,青磁の陶器にも至る道程には,なぜかしら”白亜”の生誕の上で,土の鍛錬に結ぶ, そういった工程を,この町で通り過ぎる石膏彫刻の姿に,”デッサン・アート教室”の看板 には,『素晴らしい文化だなあ』町の中で,何か日に照らされて暖かい硬質な花の匂…

ゆきずりの恋を活きる共同体形成の宵明け珈琲。

自己責任の発想は,やっぱりちょっと違う。海外のひとからは ナンセンスと言われる,例えばコモン・センスには,合わないのかも 知れない『日本の”常識”=その噂話=逸脱した集合無意識など』は, 確実に,共同体形成や,防災意識,暮らしの成立,自由の体現などに 必須事項であるはず。ちょうど,ゆきずりの恋に,宵明けの珈琲を啜る みたいに。極端な疲れには,珈琲を呑んで寝る,この発想が,なかなか 疲労自体の裏にある,自己解除作用に結び付いて,ダイエットする精神。 腸活や,リンパケア,遺伝子のONなども,こういった作用に関連して, きっと痩せることが必要ではないかも知れないけれど,精神は痩せていた ほうがずっと良い。なんて,最近は,そうゆう精神肥大について,半ばの ダイエットを始められそうな次第である。大抵は,パートナーが寝ているとき 僕自身の目覚めてアートを楽しんでいる。僕が大いびきをかいて眠るときに 彼女は,その録音をコラージュなどして,ダンス・ミュージックなどに仕立て 起こしながら,朦朧の意識に意地悪など仕掛けてくる。今日は僕が起きてる番。 塩釜をコトコト煮詰めながら,灯油代も,その理由で気にならずに暖を取られる 心地は,冬景色の良い効果だ。半額で,豚ひれ肉のブロックが売り出してあって 醤油みりんで漬け込んでいたのを,じわじわ焼いていたら,簡単なチャーシューが 出来上がった。タイミングよく,父が”キタアカリができた”と届けてくれたので, お礼にすぐにタッパーに入れて,持ち帰ってもらう。実際は,なぜだか自然体で そんな一連の火の調理づきあいのできてるので,こんな精神のダイエット構想には もってこいの火の調理週間であるはず,水回りはキレイにして,しっかりと使おう。
ちょうど,フグの湯引き調理のあとに,床底に暖気のたまるみたいに,業の観念は どうしても内にも外にもただよっているものである。こんな,感情を知的に合わせる もみじおろしみたいに,はっきりと業を認識することは大事である。認識できず,あの ポイズンに当ってしまうこともあるだろう,瀕死の業中毒はよくあることなので,ただ 業が過ぎ去るのを待てば良い。ここで,自己責任にNO,を言うのは,業の付き合い方は ちょうどの,ゆきずりの恋愛ドラマをみるような,そんなあえての”自由の発想”で良い。 中毒になっているときは結構大変なモノ。精神…

脳細胞のひとつひとつが共同体鏡像姿態で,あの。

多分,鏡のように世界の映るのが心眼だとしたのならば、もう
他人の頭脳まで分け入って這入る必要はないのだろうなあ。
脳細胞のひとつひとつが共同体鏡像姿態で,あの。僕の世界は,
その幾億もの組織のワンオブひとつひとつなのだ。そうやって,
ヤル気と勇気は,火の意識として,業の最中にも,また漂泊する
そんな,ひと粒で一瞬に発火する,山椒のような”薬味”になって
クラフトの態度を熱っぽく煽動する。”神さま”は,きっとヒトの
普通の意識が業を抱え込んで,世界はそのもので,宇宙大な何か,
自分は傷つき世界精神まで膨れ上がった,そんなチーズ発酵のあの
革袋,ワイン袋,貯水袋になった,乾燥した灼熱の荒野を進むには
そんなショートスリーパーの珈琲通の現す,オアシス好天気の気候,
気象条件を必要に,晴れ男,雨男の何でもいいので,きっと世界大。
喉風邪を引いてから,咳が付いて離れない。けれども,これは正直に
我慢していることがあると,発生する咳込みなので,むしろ感情の
パラメーターとして,有効に働いている。そんな金木犀より寒椿。
随分と,底冷えする季節には,このピリピリとした寒さの中に,あの
あかぎれやささくれが自動発生するこの気候の何らかの神秘を感じる。
正直でいられるのだ。そう,正直にいられるのは何よりの神秘作用。
特に,寝不足で,珈琲のウーロン割など呑んでしまう。

基本的に,中毒は順応に帰してしまう。そんな信念を,深淵に隣接する 議事堂の,コミュニティ・プラザみたいな公共の神の境域関門のような 気分で,喫茶風情の咳込む灯油ストーブに安心の嘆息する夕暮れ珈琲。 社会的な視点は,元来日本には馴染まず,縄文の気持ちの残る喫茶の 噂話と,そのコミュニティには,きっとほんとうの暮らしの在り方の 垣間見える。なので,空気のような順応性と,揺蕩う流動性の風体で。 むしろ,その諧謔と剽窃の,イロニーのつるつるした円滑なスタイル。 中毒は,珈琲においても,その飄々とした所の美しさは,人間性の最もな 美学を堪能させる,漂泊する,そう,上滑りに微風に揺蕩うスタイルで, もう,そのままその美しさは,軽妙で,爽やかで,ふんわりと無頓着な そう,なので,そのままで行こう。この旅路は,社会的な外への通り道を ふさいでしまう回路はしていない,その通路は,内側を過ぎ去りつつ,また いつか,すべての執着の離れてゆく,…

青カビのチーズは,なぜか青い薔薇のよう。

ニニギ=神功,アマテラス=武内宿禰,ニギハヤヒ=仲哀,と置き換えて,
彼らをまた,三島文学と芥川氏と漱石山人に並列に,ならべてみては,その
ニギハヤヒによる薫陶を経て,アマテラスの女神性は発揮され,そしてまた
ニニギとゆう,文学による発露にして,訓戒を,神事的に昇華した文化史を,
おもわず計らずとも,ユーモラスにシニカルに皮肉めいた発露をその中に。
稲佐の浜,とゆう実在する国譲りの砂浜に立って,満月の翌日のお潮汲みに
出掛け,三杯ほど汲み入れてからなぜかしらそんなことを考えていた。例えば,
(文学史に置き換えるのが好きなので,)太宰の大黒さんの国譲りする浜を想い,
タケミカヅチとゆう,天孫降臨にも似た,あの大黒に迫りくる,三島文学のような
勢いを察して,ああ,国譲りの力比べとは,あれは何だか,正義において,気迫の
上の勝負だったのか,モラルや,慣例や,正当な判断はもう,踏まえて,その気迫。

例えば,太古の神が何ゆえの譲り渡す理由を探ったのか,とはそれは,もう新自然の
ネオ・ナチュラル・メンタリティなどを見出したからだったのだ。
なので,法則とは,メソッドや,技術によるモノを超えた,
何かをあらたに見つけたとき,
『あれは脱規則的に天然発生的に起こったのだ』って,そう言った
何かの気迫をさえ感じたときに,”譲られた世界において定着”するのだった。
青カビのチーズは,なぜか青い薔薇のよう。こんな感じだった。そうやって,
科学的な何かは,化学的に可逆的に,科学発生的に起源へと還ってゆくのだ。
ケミカルな法則的心理の否定するときに,逆に,自然は世界を譲ってくれる。

汲んできた潮水は,反射式灯油ストーブで,ことこと釜炊き海水塩になるように,
奥さんが楽しそうに,鍋に移していた。正直,盛り塩になどすれば,すごく様になる。
汲んできたこと自体が,僕にとっては神事的で,利用価値などは考えてなかったのだけど
あとで確認してみれば,そういったことだったようだ。もちろん,稲佐の浜に行けたのは
とっても良かった。曾祖父も昔から,元旦近くには,お潮汲みに行っていたそうで,その
信心深さは,評判だったように聴いているし,ほんとうにわるいものではない,それは
変な言い方だけれど,とっても清々しい,お家に海のある感覚。不可思議に伝統的な行事
とは,清々しさ以外にまず表門は飾っていないように感じる。…

人間性の羽虫の飛びかう,世界はそのまま浮遊感。

夢に同化せずに,影になることを択ぶ。また,そうして,薄っぺらい決意の, そのままに,夢に同化するより,そうやってエゴイストの夢の住人よりも, さらに,夢のインプラントを抜けるように促しながら,人間性の羽虫の飛びかう, 世界はそのまま浮遊感。草叢より翔び立つ羽虫の数々が,世界の夢そのままで あることを教えてくれる。夢の姿の虫の知らせ=世界そのままの私の姿。それは 突如のこと身魂鳴動せり,羽虫のように宙を舞う,浮遊感を感じたあとに, 川端文学=菱形信玄墓=五輪書武蔵=放念する法然。ガイストを堀辰雄に任せて 魂を,ヘッセに据えて,身体は川端文学に預けて,宙を舞う。そして,古都には ぼんぼり屋敷と,護摩焚き法要。入江に燻す,何かの匂いのして,水面に映る 幻燈の走馬燈の余りに,終に仕舞うことを思うのなら,川端文学に落着こう,と 室井コアラの『工房の宝石』などを読んでは川面に響く輝きの照り返しを思って 涙する羽虫の群れ「夢に拘泥する気はない。ないのだけれども,夢を楽しむもので。」 浮遊感に任せて,舞い散ることのできれば,夢も意味はなくし,ただ,水汲み場で 感じるような,その浮遊感のみに,想いを託すのだった。
夢みることを止めたら,それは,影になりきったことの証左であるのだ。なぜだか, エゴとか,それに世界とか,人間性や人間自身まで,虫の姿で,夢の姿で抜けてゆく。 責任感は,責任遂行力には換わるはずもない,それは,感情は100%に近づくほど 身体的には宙を浮遊し,影に親づいて,段々と責任感も能力も消えてゆくのだった。 それは,自由である。好きなことを,能力や評価により曇らすエゴより”希薄化”され。 「夢に拘泥する気はない。ないのだけれども,夢を楽しむもので。」段々楽しみだす。 夢は消えていったとゆうより,希薄化して,考えずに気にならなくなって,責任感も うすくなって気づくのは,ああ”好きなことやっているな。”と,影になった,感慨とは。 観照して,感傷的になる,スピリチュアル・センチメンタリズム。お茶も,煎じるとは 花の匂いのして来る凝集化であって,開花するとは濃密に,存在収縮して,ブルーム化。 あんまり収縮されると,お茶も水分を減らして,カオスな種のように少なくなってしまう ので,さあ,ある程度で,また湧水など足していってもいいのかなあ,何だかわからない けど,水分を摂るため…